このページは、@wiki で 2018年05月01日 17:08:20 GMT に保存された http://web.archive.org/web/20071118022959/blog.livedoor.jp/pidurugi/archives/2005-04.html キャッシュです。
ユーザがarchive機能を用いた際、@wikiが対象サイトのrobots.txt,meta情報を考慮し、ページを保存したものです。
そのため、このページの最新版でない場合があります。 こちらから 最新のページを参照してください。
このキャッシュ ページにはすでに参照不可能な画像が使用されている可能性があります。
@wikiのarchve機能についてはこちらを参照ください

@wikiはこのページまたはページ内のコンテンツとは関連ありません。

このページをキャッシュしたwikiに戻る

半ズボン復活

2005年04月30日

ようやく真面目な議論が

1989年のこと、関西在住の小児科医が朝日新聞大阪版紙上で、「最近半ズボンの子どもが減った」と問題提起をした。私もこのままではいずれ半ズボンは消えると警鐘を鳴らしていた頃である。問題提起のあと、読者の反応が掲載されたが、からかい半分と思われる内容ばかりであった。減ったとは言え穿いている子どもはいるじゃない、なぜそんなことを問題にするの?というのが大方の受け取り方だったのかもしれない。

しかし、半ズボンが現実に消えている今、神戸新聞の読者の反応では論点が煮詰まっていた。

半ズボン支持派→子どもらしい
ハーフパンツ支持派→安心できる

子どもをめぐる治安が悪化していると言われる現在、両者の綱引きで安心を選択する側が勝ってしまっているのではないか。
ダサい、かっこ悪い、恥ずかしいと言うのは、誰も穿いていないことから来るものである。  
Posted by pidurugi at 09:40Comments(1)TrackBack(0)

2005年04月25日

取材

先ほど、学習塾講師から帰ってきた。
かねてから、ブリーフを使用すると言明している新6年生に、15年前の半ズボン少年たちの写真を見せ、感想を聞いた。「ダサい」「カッコ悪い」「恥ずかしい」は禁句にした上で。
すると、以下のような回答があった。

半ズボンはドラえもんを見て知っていた。自分がハーフパンツを穿いているのは、ただ家にあったから。半ズボンというデザインが悪いとは思わないし、これを穿いている友達がいたとしても、からかう気はない。
現代ではハーフパンツがカッコいいと思われているが、時代が変わればそれも変わるだろう。

ハーフパンツしか知らない世代にしては、何とも理性的な発言。
ただ、時代が変わるのは、相当困難なのではないか。
水と安全はただ、携帯電話の着信音は聞こえればいい、とならなけばならないのではないか。  
Posted by pidurugi at 20:26Comments(0)TrackBack(0)

2005年04月24日

ハンパな気持ちで時代の流れは止められない

http://www.kobe-np.co.jp/kurashi/200504hatena/02.htm

神戸新聞の記事に反応が集まり始めたようだ。
ハーフパンツのほうが安心できるとの声がある反面、半ズボンのほうが子どもらしいとの声もある。
半ズボンを肯定する意見を引き出すために、半ズボンを否定する意見ばかりを載せたとするならば、直情的に気持ちを訴える私には思いもよらない高等戦術だ。

だが、半ズボンを肯定する人がいるならば、しっかり主張してもらいたい。
体操着のハーフパンツ化が提案されたとき、否決されることが絶対にないのは、何が何でもハーフパンツという人はいても、何が何でも半ズボンという人がいないからだ。
ハーフパンツ化を決める審議で、議事進行を止めるくらいの抗戦をすれば、審議未了で廃案ということもあり得るのである。  
Posted by pidurugi at 21:05Comments(0)TrackBack(0)

2005年04月22日

日本をダメにするヒノエウマ

http://www.kobe-np.co.jp/kurashi/200504hatena/01.htm

不愉快だ。
息子には半ズボンを穿かせたくもないだって?
38歳主婦と言えば、私と同世代だ。
「あなたの子どもを産んであげるわ・・・」という歌謡曲があったが、半ズボンを穿かない少年を育てる女など存在価値はない。半ズボンを穿かない少年など産んでほしくもない。

前述したが、私は同世代から受け取ったものはない。
挙句の果てには、私から半ズボンという最も大事なものまで取り上げようと言うのか。

1970年代半ば、幼児番組に「ひらけ!ポンキッキ」というものがあった。番組のエンディングで、「君らが作る 未来都市」という一節があった。既に未来都市は作られているわけだが、こんな奴らとなぜ未来都市を共に背負って立てようぞ!!私は「君ら」の一人ではない!!  
Posted by pidurugi at 23:31Comments(0)TrackBack(0)

沈黙している復活派の声を聞きたい

職業デザイナーが、再商品化する気になるまで静観しなければ、復活するものも復活しなくなるという人がいる。
果たして、半ズボン復活を叫ぶのは逆効果なのだろうか。
デザイナーが「その気」になるのは、来年かもしれない。10年後かもしれない。あるいは、目が黒いうちに訪れないかもしれない。明ける見通しの立たない夜は、不安である。

私が声を上げ始めたのは、既存の半ズボン掲示板の投稿者があまりにも不甲斐ないと感じたからだ。1000も2000も議論を重ねながら、なぜ「復活してほしい」のうめき声に終始するのか。なぜ、昔話や愚痴で満足するのか。それなら俺が行動する、という人間が、なぜ現れない。

もちろん、復活を主張するには、それなりの立場が必要だ。復活を願う人が現在の平凡な職業を辞職して、デザイナーになることも出来る。  
Posted by pidurugi at 10:09Comments(0)TrackBack(0)

2005年04月17日

キチガイ世代

少なくとも高度経済成長前に育った親たちは正常なセンスを持っていた。
「小学生はタンクトップに短パンでいいっしょ。」
「子どものくせにおしゃれなんかするもんじゃない。」
といったことが、当たり前に通用していた。

しかし、高度経済成長以後に育った親たちのセンスは狂っている。
「息子にジャニーズ・ジュニアの服装をさせたい。」
「女の子は婦人服顔負けのトレンドなのに、男の子は旧態依然たる半ズボン(もちろんハーフパンツのこと)。男の子ももっとおしゃれになってもいいのでは!?」
私の同世代は、おしゃれがしたくてたまらないのに、それを抑圧され、半ズボンなどという子どもっぽく味も素っ気もない服装を強制されて、そんなにおしゃれに飢えていたのか。

とてもではないが、このキチガイ世代と共に社会を支えられたものではない。
60歳まで、同世代が狂った社会を作るのを傍観しているしかないのだろうか。

私は、戦前・戦中世代の親から素朴な児童文化を授かったことを感謝している。生まれつく時代は自分で選べないわけだから、私の息子世代に生まれつくしかなかった今時の子に心から同情する。  
Posted by pidurugi at 19:26Comments(3)TrackBack(0)

2005年04月15日

新のび太も従来の小学生だった

今日からリニューアル版「ドラえもん」が始まるということで、見てみた。
ひょっとしたら、これを契機にのび太もハーフパンツ化されるのではないかとの危惧があった。もしハーフパンツ化されていたら、今時の小学生に半ズボンを奨めるのは不可能になると思われた。
しかし、心配は無用だった。のび太はちゃんと半ズボンを着用していた。おまけに、ブリーフまで着用していた。
ここまで徹底しているのは、藤子プロがファッションを変えないとのポリシーを持っているのだろう。
レトロも昭和50年代まで対象になっている可能性がある。
あと少しの辛抱と考え、半ズボン復活のために汗を流したい。  
Posted by pidurugi at 22:24Comments(0)TrackBack(0)

2005年04月12日

正常化

池袋のビックカメラで「俺はあばれはっちゃく」のDVDを買ってきた。
吉田友紀が白い体操着にえんじの体操帽・・・とは先に書いたが、DVDを鑑賞していたら通りかかった母が、「あら、校庭でドッジボール。これ、あんたの時代の景色じゃない。」
そう、やはり吉田友紀は私と同い年だ。そうして、「そんなことしたらママに怒られちゃう」が口癖の妹尾潤も、私と同い年なのだ。
私にとってはあれから地球が太陽の周りを26回転しただけで、特別これといった変化があったようには思えないのだが。

以下、DVDの解説書の前書きからの抜粋である。

「前時代的価値観を持った本作品では、当時既に減少傾向にあったガキ大将を題材に作品世界を展開した・・・本作品で描かれた長太郎は、実に魅力的な存在であり、当時の小学生にとって憧れの存在だった・・・。」
「現在の基準に照らし合わせてみると、本作品の世界観は非現実的かもしれない・・・何しろ、小学生雑誌の附録に化粧品がつく時代である・・・。」

公共掲示板で、あばれはっちゃく的な子ども像を取り戻そうと主張した辺りから私に対する反発が広がったように思える。

また、以下も他の公共掲示板からの抜粋である。

昔の女の子は、「あんまり短いスカートを穿いてはいけません」とか、「パンツを見せちゃダメ」とか言われたけど、 男の子は超短いジーンズの半ズボンなんか穿いて、足も太ももまで見せ放題だったよね。
お尻まで見えそうだったし、パンツも丸見え・・・。 それでも何にも言われなくって、逆に誉められてた。
今の時代はなんか逆になってる感じ。

私の主張に反対なのではなく、私の人格に反対であるとの感じさえする。いや、私の主張に反対することは、結局小学生雑誌の附録に化粧品がつくような現状を追認することになる。あばれはっちゃく的な子ども像よりも、今時の子ども像のほうがいいと理由をつけて断言できる人がどれだけいるか。もし断言できる人がいれば、子どもをペット化しており、私が子どもを人間扱いしていないと批判する資格はない。

「あの昭和のガキ大将が戻ってきた」とDVDでは謳っている。
今時の子の文化を止め、半ズボン文化に戻すことはいわば正常化であり、一昔前の親なら当然したことだ。それを子どもと一緒になっておしゃれ全開の現代を謳歌しているから、私は現代を肯定する同世代をゴミ世代と呼ぶのである。  
Posted by pidurugi at 18:30Comments(3)TrackBack(0)

2005年04月10日

真っ暗闇の春

ハーフパンツが一過性の流行ではないと分かったのが2001年2月。
それ以来、鬱状態になり、一日中布団に包まっていることも少なくない。
こんな状態が、4年も続いている。

せめてもの心の癒しが、70〜80年代の少年ドラマを鑑賞することだ。
今朝も「俺はあばれはっちゃく」を胸を熱くして見た。
白い体操着にえんじの帽子。いい光景だ。吉田友紀は、私と同い年である。

だが、考えてみれば、ハーフパンツ少年たちの親は、ここに出演している子どもたちなのだ。自分たちが半ズボン文化という素晴らしい文化で育っていながら、わが子と一緒になって半ズボンがカッコ悪いと貶している。半ズボン世代は、実は半ズボン文化の値打ちが分からないゴミ世代なのだ。

私が時代に付いて行っていない、という批判は当たらない。
時代が好ましい方向に流れていれば私も付いて行こう。
しかし、時代はことさら私が嫌いな方向に流れている。
自由や豊かさのどこがいいのか。アメリカの若者の奔放さのどこがいいのか。
中学時代の私が、アメリカとは正反対、貧困と統制の北朝鮮に憧れたのも理由のないことではなかった。
1980年代初頭には、小学生の中身が若者化する時代がいずれ来ることは目に見えていた。

昨日、新宿に誘われたが、行く気がせずに自宅で布団をかぶった。
どうせ春爛漫の都心に繰り出したところで、街で見かけるのは若者化した小学生なのだから。
おしゃれをする小学生を育てた同世代が憎い。  
Posted by pidurugi at 10:31Comments(0)TrackBack(0)

2005年04月06日

同世代なんぼのもんじゃい!と言ってしまえ

今日の関東地方は初夏を思わせる陽気であった。
今年こそはハーフパンツが飽きられるかも、と期待に胸を躍らせたのも束の間、今日は一気に半数近い少年たちがハーフパンツに衣替えした。
昨年も、一昨年も、新学年が始まる直前に衣替えが行われた。今年の夏も部屋の中で古き良き時代を偲ばねばならないのか。

さっき、塾講師から帰ってきた。今年6年生になる担当の生徒は、半ズボンでもハーフパンツでもどちらでも構わないと言う。そうして、自分はブリーフを穿く主義だと明らかにした。見えない場所におしゃれをしても意味がないし、それには父親も同意見らしい。
しかし、黙っていないのはやはり同世代のようだ。「ブリーフなんで馬鹿らしい」と何度か言われたことがあるらしい。本棚にあった国語辞典を持ち出し、馬鹿の意味を調べた。解説は長かったが、どうやら以下の3点に集約されるようだった。
1.頭が悪い。
2.常識がない。
3.つまらない。
同級生の言う「馬鹿らしい」の意味として、私は3に解釈した。デザイン性も何もなく、衣類として不満があると受け取った。しかし、生徒は「2に近いと思う」と述べた。なるほど、同世代の感性に合わせろということか。最近の子どもはギャング集団を作らずばらばらだから、自閉傾向のある子どもでも入りやすい、と知り合いの臨床心理士から聞いていたが、心のつながりを持てないなら服装や持ち物で仲間であることを確認しようというわけか。いずれにせよ、幼稚園から高校までクラスに入れたことがなく、中学校の修学旅行のグルーピングからも外されたし、成人式の二次会にも呼ばれなかった私としては同世代なんぼのもんじゃいと思うが。

ところで、友人からなぜ冒頭の投稿で参加条件をつけたのかと聞かれた。ここでお答えしよう。要するに、同じテーブルに着くためだ。半ズボンに愛着のない人、復活を願っていない人にテーブルに着かれても、テーブルを設定する必要性そのものを否定されてしまう。また、自分に子どもがいることを前提にするのも、テーブルの設定を否定する行為だし、ましてやエッチが目的の人に投稿されても、人々が半ズボンを敬遠するばかりである。

それに、私と同調することがなぜ私に利用されることになるのか。半ズボン復活を願う人々の共同戦線を張ろうと述べているだけではないか。復活した暁には、あなたも心が温まることになる。  
Posted by pidurugi at 22:41Comments(0)TrackBack(0)