TEXTチェック(6) ======================= 壮烈!降伏勧告で斬首に =======================  ある日のことすでに捕虜になっていた伊江島住民の中から若い女五人。男一人が選ばれて降伏していない陣地に投降勧告にゆくことになった。  六人の行先は渡嘉敷島の西山A高地のA隊だった。彼等は島の地理も事情も判らなかったが、同じ日本人同士だという安心もあって、白昼を選び、白旗をかかげて、海岸づたいに部隊のいる陣地に向った。  彼等は教えられた道を通って部隊に辿りつき勧告状をA大尉に渡した。大尉は勧告状を一通り読み終ると、彼等に十字鍬と円匙を渡し小高い岡に各自一個宛の”タコ壷”を掘ることを命じた。女五人男一人は大尉の命令が何を意味するのか間もなく判断することができた。だが運命に案外従順なこの島の乙女達は、姫百合の女生徒がそうであったように黙々と穴を掘りつづけた。  各自が掘り終ると、大尉は六名をうしろ手に縛りあげ、各自が掘った穴の前に端座させた。  大尉は部下に、六人を斬首せよ!と命じ、自分は壕内に入って終った。彼にしてみれば敵に降った住民が憎かったのであろう。  日本刀を抜き放った下士官が、 「いい残すことはないか?」と表情も変えず一同の顔色を窺った。  同じ民族を今まさに殺すような男達に何んで人生最後の言葉を残せよう、三人は力なく首を横に振った、しかし年若い三人の女性は、 「歌を唄わせてくれ」と希った。 「ヨシ歌え、お前達はわけの判らん沖縄歌でも唄うんだろう」  いい終わらない内に三人は声を和して、”海ゆかば”を低く荘重に歌いだした。  下士官達の顔色がさっと変わった。  しかしかれらに助命する権利はなかった。  アメリカ兵達に救われた若い乙女の命はこうしてはかなくかき消された。 TEXTチェック(7) ===============  見せしめの処刑 ===============  その数日前にも。同じ場所で十五歳になる二人の少年がA隊員によって銃殺された。この少年達は恩納河原の自決の時に死にきれず負傷して人事不省に陥ったが意識をとりもどして、父母の後を追ってさまよううちに米軍にとらえられたのである。  彼等も同じように軍使に仕立てられ、顔見知りの赤松隊に勧告使を仰せつかったために、あたら若い命を失ったのである。  このように同胞の手によって、犬ころの如く殺りくされた例も数多い。今後の調査でも新らしい事実が幾つか判明するであろう。  南部地区知念村では自国の兵隊によって三名が射殺された事もある。  米軍がまだ上陸していない三月中旬頃知念村地区守備隊I部隊長の命令で、村民への見せしめと称して村民三名の殺戮が行なわれた。  村民の与那城伊清さんは“部隊のある公式の席上で日本軍の高射砲の命中率はどうして悪いのかと反問したため”  前城常昂さんは“部隊に納めた薪代の支払を再三督促したため”  村会議員、大城重政さんは“I部隊の兵隊が。無断で家畜を持ち去るのを強談判したため”三名とも同じように射殺された。  部隊長はこの極刑の罪名を「スパイの疑あり」と宣告したのである。   TEXTチェック(8) ======================= 米軍の"ヒューマニズム" =======================  ここに激戦の真只中に身を挺して数多くの住民を救いあげたネルソン中尉の活躍をスケッチしておこう。  米軍進撃部隊の踵に接して何時も米将校、通訳、二世からなる少人数の一隊が進出していた、彼等は壕と壕を結ぶ線を選んで必ず行動していた。壕の入り口に来ると通訳が、 「外は安全だ。決して危害を加えないから、出てこい」と呼びかけていた。  それは海軍軍需部の壕であった。壕内は不気味に静まりかえって、何んの応答もない、最後の誘出宣伝が試みられた。その時突然一発の銃声が、そして壕壁にパシッと当る銃声の音もした。壕内から一行に発砲して来たのである。しばらくすると轟然たる爆発音が、壕内を揺り、つづいて人間のうめき声が聞えてきた。  この頃、飛行機からネルソン中尉あて「海岸の壕に住民が多数隠れている」と無電連絡があった。  中尉は早速舟艇を準備して現地に向った。  雨期もぬけて南の島上には初夏の空が青く拡がっていた。  目的の喜屋武岬の海岸に近付くとマイクが用意され、例の調子で通訳の説得が続く、繰り返すうちに何旦葉の群生した中から島の住民が恐る恐る這い出して来た。ぞろぞろ数十人が出たので舟を近付けると、何処からともなく十名位いの日本兵が現れ住民が投降出来ないよう威嚇的体形を整えた、中尉は上甲板に飛上ると同時に機関砲をクルリと回して日本兵に狙いをつけた。そうしておいて、 「オイコラ、日本兵の馬鹿野郎! 貴様達は武士道を忘れたか。それでも日本の軍人といえるか。貴様達が立派な日本軍人だったら何故可哀想な住民を救ってやらないのだ。日本魂にもとる誤った行為はやめろ。何故住民を道連れにする。貴様達は卑怯者だ」  中尉の怒声が、そのまま通訳の口に移った。住民達はあっ気にとられて成行を見守っていた。しばらくすると日本兵はもと来た道を引返して行った。  ネルソン中尉の眼には、波打際で揺れている数百名の蒼ざめた住民の顔より、明日をも知れない生命をもってスゴスゴと立去って行った日本兵の後姿が、何処迄も焼ついていたとは、戦後、親しくなった沖縄人に語った言葉であった。    ×――――×  石まくら 固くもあらん 安らかに   ねむれとぞ祈る 学びの友は         ―姫百合之塔           みんなみの岩の果てまでまもりきて   散りにし 竜の子 雲わきのぼる         ―健児之塔  このほか、沖縄には“白梅之塔”“瑞泉之塔”など戦没した戦争協力者を祀る塔が多く建立されている。  この塔の由来は沖縄に人のある限り何百年も、また何千年も口伝され、この塔はまた、悲しき記念塔として永久に残ることだろう。   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 (以上)