暫定版 

2009.9.18更新

15年戦争資料 @wiki

 

赤松部隊「陣中日誌」の原本と改本

1945年 辻政弘中尉が戦場で執筆した原本「本部陣中日誌」(沖台・沖縄209所収)と

1970年 谷本小次郎元特幹伍長を中心にして赤松隊戦友会の合議でつくった改変版「第三戦隊陣中日誌」(沖台・沖縄405所収)との違いを検討する。

http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/2251.html

 

 

沖台・沖縄209 辻版「本部陣中日誌」1945手書き

http://www.okinawa-sen.go.jp/view.php?no=B0305202

沖台・沖縄021 辻版「本部陣中日誌」別写本手書き

http://www.okinawa-sen.go.jp/view.php?no=B0302096

沖台・沖縄405 谷本版「第三戦隊陣中日誌」1970和文タイプ

http://www.okinawa-sen.go.jp/view.php?no=B0301130

 

 

(5)   1945(昭和20)年71日 〜 731

 

1945(昭和20)年 辻版

赤字は改変時に削除された要素)

(緑字は引用者注記。紫は死亡者・行方不明者名

1970(昭和45)年 谷本版

(青字は改変時に加筆された要素)

(緑字は引用者注記。紫は死亡者・行方不明者名

補完ソースである「第3(皆本)中隊陣中日誌」は、430日〜77

http://www.okinawa-sen.go.jp/view.php?no=B0301107

(日付乱丁を訂正)

(日付順になっている)

六月三十日(再掲)

 

一五一五 桃坂伍長戦病死ス

     「第三中隊陣中日誌」

 

六月三十日(再掲)

 

 

 

○六○○ 第三中隊所属水上勤務隊軍夫吉本(名不祥)より岩村班等昨夜逃亡せる旨報告あり

※「第三中隊陣中日誌」

一四三○ 阿波連駐止斥候連下隊より連絡兵二名特設水上勤務隊曽根一等兵を主謀とする某事件の報告を受く。

一八○○ 新海中尉以下二十二名捜索隊を編成、曽根一等兵以下の偵察に出発す。 (※←71日)

 

某事件とは

特設水上勤務隊斉田少尉以下二四○名朝鮮人を主力とする軍夫で戦隊の舟艇を秘匿する舟艇壕の掘進、舟艇の泛水、引揚、器材の運搬を目的として集められ戦場にかり出されたものである。

敵の上陸後は西山複廓陣地に於いて日夜連日陣地作り(防空壕、タコ壷掘り)弾薬器材の集積に従事し武装する兵器なく、唯自決用の手榴弾一ケのみ与えられたるまったくの丸腰である。敵弾の落下する中、不足したる食糧に飢え精神的な焦燥に耐え切れず敵軍に集団投降したる事件である。

 

七月一日 晴後曇

 

一四三○頃 阿波連駐止連下隊ヨリ連絡兵二名来隊曽根一等兵ヲ首謀トスル某事件ヲ報告ス

一八○○ 新海中尉以下二十二名別紙ノ通リ捜索隊ヲ編成 曽根一等兵以下ノ捜索ニ出發ス

(※→630日)

71日記述なし)

 

七月二日 晴

 

○五三○ 稲垣少尉以下八名阿波連方面ニ於テ通信業務ニ従事中ノ処情勢ノ変化ニ伴フ連絡不能ニ到来シ器材携行 部隊本部ニ皈還ス

七月二日 晴

 

○五三○ 稲垣少尉以下八名阿波連方面に於いて通信業務に従事中情勢の変化に伴い(沖縄本島軍司令部最後の斬り込を取行し玉砕したるものと思われ以後通信が途絶したるものと判断)連絡不能となり通信器材を携行、本部に帰隊す。

 

日時不祥、防衛隊員大城徳安数度に亘り陣地より脱走中発見、敵に通ずる虞ありとして処刑す。

 

米軍に捕えられたる伊江島の住民 米軍の指示により投降勧告、戦争忌避の目的を以て陣地に進入、前進陣地之を捕え戦隊長に報告、戦隊長之を拒絶、陣地の状態を暴露したる上は日本人として自決を勧告す 女子自決を諾し斬首を希望、自決を抱助す。

 

(記述なし)

七月三日

 

第二中隊多里少尉以下A高地の敵陣に攻撃を実施之を撃退の上引揚ぐ、整備中隊の重機関銃之れを側面より援助攻撃す。敵は渡嘉敷に退避す。

 

戦利品 自動小銃二、弾丸六箱、手榴弾一三、鉄帽一、

昨日に引続き捜索隊を編成出発す。

 

七月四日

 

知念少尉以下一○名逃亡セル曽根並ニ軍夫捜索ノ為渡嘉敷島南部方面ニ向ヒ出發ス

一七○○ A高地附近及阿利加ノ稜線ニ迫撃砲並ニ軽機ノ連射アリ

 

○二○○ 須賀上等兵以下二名逃亡者捜索ヨリ皈隊ス

(※75日→)

七月四日

 

知念少尉以下十名、曽根一等兵及び軍夫捜索の為、渡嘉敷島南部阿波連方面に向かい出発す。

一七○○ A高地付近及び阿里賀稜線迫撃砲並びに軽機の連射はげしい。

 

 

七月五日

 

 

一三○○ 捜索隊河崎軍曹以下七名逃亡中ノ軍夫四名捕縛 本部ニ護送皈隊シ捜索隊ヲ解散ス

七月五日

○二○○ 須賀上等兵以下二名、捜索より帰隊す。

(※←74日)

一三○○ 捜索隊河崎軍曹以下七名逃亡者四名を逮捕し本部に護送帰隊す。

本日を以て捜索隊を解散各原隊に復帰せしむ。

 

七月六日

 

一四○○〜一七○○ニ於テ 渡嘉敷方面ヨリA高地並ニ整備中隊前進陣地ヘ迫撃砲重機自動小銃ノ乱射

飛行艇前日ニ異リ早朝ヨリ哨戒ス

七月六日

 

一四○○〜一七○○ 渡嘉敷方面よりA高地整傭中隊、前進陣地へ迫撃砲、重機、自動小銃の乱射激しく飛行艇も前日と異なり早朝より哨戒巌なり。

 

(記述なし)

七月七日

 

A高地に於いて敵の遺棄せし自動小銃について本部兵器将校南少尉より該中隊に使用法を教育す。

 

七月八日

 

二○○○ 田中伍長以下三名ノ芭蕉採集班留利加波ニ於テ留利加波沖碇泊中輸送船ヨリ射撃ヲ受ケ 田中伍長右大腿部擦過傷 中本伍長手ニ擦過傷ノ軽傷ヲ負ヘリ

 

七月八日

 

敵情昨日と変化なし。二○○○ 第二中隊田中伍長以下三名、芭蕉蘇鉄採集班となり留利加波にて採集中留利加波沖に停泊中の艦船より攻撃を受け田中伍長右大腿部擦過傷、中本伍長右手に擦過傷の軽傷を負えり。

 

七月十日

 

○八三○ 片桐一等兵陣地ニ於テ病死

海峡ノ船舶甚ダシク数ヲ減ズ

七月十日

 

○八三○ 片桐一等兵栄養失調のため戦病死す。海峡の艦艇甚しく数を減ず。

 

(記述なし)

七月十六日

 

整備中隊芝山一等兵、渡嘉敷に於いて戦死

 

七月十八日

 

○五○○ 浮田軍医少尉戦病死

七月十八日

 

○五○○本部軍医、浮田少尉戦病死す。

 

七月廿日

 

原口伍長栄養失調症ニヨリ病死

七月二十日

 

第三中隊原口伍長栄養失調にて戦病死す。

 

七月廿一日

 

一六○○ 座間味敵陣地ヨリ栗良波方面ニ向ケ高射砲並ニ重機ノ射撃有リ

七月二十一日

 

一六○○ 座間味方面より第一中隊陣地栗良波方面に敵の高射砲らしきものの水平射撃を受く、第一中隊田村伍長、左手切断、右大腿部に重傷を負えり。

 

(記述なし)

七月二十七日

 

依然敵は攻撃して来る気配も見えず、唯日夜迫撃砲を主力として砲撃するのみ。

一一○○ 第一中隊稲森一等兵栄養失調のため戦病死す。

本部陣地杉橋一等兵栄養失調のため戦病死す。

 

(記述なし)

七月二十八日

 

○八○○ 本部陣地加藤上等兵栄養失調のため戦病死す。

 

七月二十九日

 

一一○○ 知念副官第一中隊稲森一ト兵戦病死ニ依リ埋葬式ニ参列 一三一○帰隊ス

一一○○ 本部杉橋一ト兵栄養失調症ノ為戦病死

 

(記述なし)

 

 

戦時死者記載

1945(昭和20)年 辻版

1970(昭和45)年 谷本版

所属

氏名

階級

死因

調書

所属

氏名

階級

死因

調書

 

日時不詳

 

 

 

 

 

 

防召

大城徳安

不明

処刑

 

 

 

 

 

 

 

 

伊江島

女子1

住民

処刑

 

 

 

 

 

 

 

 

伊江島

女子2

住民

処刑

 

 

 

 

 

 

 

 

伊江島

(男女)1

住民

処刑

 

 

 

 

 

 

 

 

伊江島

(男女)2

住民

処刑

 

 

 

 

 

 

 

 

伊江島

(男女)3

住民

処刑

 

 

 

 

 

 

 

 

伊江島

(男女)4

住民

処刑

 

 

昭和2074

昭和2075

水勤

704-1

軍夫

逃亡逮捕

5

 

水勤

704-1

軍夫

逃亡逮捕

5

 

水勤

704-2

軍夫

逃亡逮捕

5

 

水勤

704-2

軍夫

逃亡逮捕

5

 

水勤

704-3

軍夫

逃亡逮捕

5

 

水勤

704-3

軍夫

逃亡逮捕

5

 

水勤

704-4

軍夫

逃亡逮捕

5

 

水勤

704-4

軍夫

逃亡逮捕

5

 

昭和20710

昭和20710

 

片桐

一等

病死

10

 

 

片桐

一等

栄養失調

10

 

 

昭和20716

 

 

 

 

 

 

整備

芝山

一等

戦死

16

 

昭和20718

昭和20718

勤務

浮田

医少尉

戦病死

18

 

勤務

浮田

医少尉

戦病死

18

 

昭和20720

昭和20720

艇隊

原口

伍長

栄養失調

20

 

戦隊

原口

伍長

栄養失調

20

 

 

昭和20727

 

 

 

 

 

 

 

稲森

一等

栄養失調

27

 

 

 

 

 

 

 

 

杉橋

一等

栄養失調

27

 

 

昭和20728

 

 

 

 

 

 

 

加藤

上等

栄養失調

28

 

昭和20729

 

 

稲森

一等

戦病死

29

 

 

 

 

 

 

 

 

杉橋

一等

戦病死

29