口実としての「自己責任」論

(イラク人質問題・前近代と90年代の2つの「自己責任」・そして野宿者自業自得論)


イラクの日本人人質への「自己責任」論とその背景について。これは野宿者「自業自得論」(自己責任論)と合わせるといろんな問題が浮かび上がるみたい。


その1■(2004.4.24)


ここ何日か、人質問題での「自己責任」に関心を持って、新聞やネット上でそれに関するものを捜していろいろ読んでいた(「自己責任」論はいまや国民的話題だな)。その中でぼくが参考になったのは、特に「エロライター」松沢呉一の
http://www.pot.co.jp/matsukuro/20040416_687.html
経済学者、批評家の浅田彰の
http://dw.diamond.ne.jp/yukoku_hodan/20040416/index.html
小説家の星野智幸の
http://www.hoshinot.jp/diary.html
ジャーナリストの江川紹子の
http://www.egawashoko.com/menu4/
など。特に松沢呉一は鮮やかだった。もちろん他にもあるが、挙げていくときりがない。


人質事件そのものも「とうとう起こった」という思いと衝撃とを感じたが、それ以上にそれ以後の日本政府と一般市民(?)からの「自業自得論」をはじめとする被害者へのバッシングが驚きだった。星野智幸が言うように、
「日本社会の予想外に多くの人間は、事件の解決よりも、人質となった人とその家族を非難することに労力を注いだ。犯行グループよりも苛烈に、人質の家族は非難されたのである。自己責任という言葉が、まるでその言葉を使えばこの社会で一人前と認められるとでもいうかのように、大量の人が幾度となく口にした」。
とはいえ、一般市民の野宿者「自業自得論」を考えれば、こうした事態はある程度は予想すべきものだったかもしれない。しかも、野宿者自業自得論と今回の自業自得論はある程度の共通点を持っている。


人質事件をめぐる発言で感じたことの一つは、「イラク人をはじめとする外国から自分たちの発言がどのように見られるか」という対外意識のなさだった。
そもそも、アメリカに追随して軍隊をイラクに派遣した時点で、イラク(および中東)でそれまで良好だった日本の印象を政府は相当に損なった。「自己責任」論についてのNGOなどの共同声明で言われているように、「国連のガイドラインでも、人道および軍事活動間の明確な区別を維持するために、軍事組織は直接的な人道支援をすべきではないという基準を設けており、紛争地域で中立な立場で人道支援できるのはNGOだということが確認されています」。その意味で、中立的な立場で人道支援を行ない、中東地域での平和的な役割を果たす機会を日本は自ら失ってしまった。その結果として、自衛隊撤兵を要求する人質事件が起こったのだが、そこからの政府の発言はさらに信じがたいものになっていく。
例えば、浅田彰が言うように、解放後に高遠さんが「それでもイラク人が嫌いになれない、今後もイラクでの活動を続けたいってアル・ジャジーラのインタヴューで言ったのは、あの地域での日本人のイメージを良くするのに自衛隊よりずっと効果的だった」。
しかし、それに対して小泉純一郎が言ったのは、「これだけの目に遭って、多くの政府の人たちが自分たちの救出に寝食を忘れて努力してくれているのに、なおかつそういうこと言うんですかねえ。やはり自覚というものを持っていただきたいですね」だった。この発言をイラクの人々が知ったとしたら、相当の人があきれてしまったことだろう。
一方、パウエル国務長官は「私は日本の国民が進んで、良い目的のために身を挺したことをうれしく思います。日本人は自ら行動した国民がいることを誇りに思うべきです。そしてリスクを引き受けて派遣された兵士たちを誇りに思うべきです。(…)たとえ彼らが危険を冒したために人質になっても、それを責めて、危険地帯に行ったのは本人の間違いだ、と言ってよいわけではありません。私たちには、彼らを救い出すために全力を尽くし、深い配慮を払う義務があるのです。彼らは私たちの友人であり、隣人であり、仲間なのです。」と言っていた。
ぼくが仮に日本政府の人間でアメリカのイラク攻撃を支持する立場だったとしたら、パウエルと同じような事を言う。つまり、NGOなどの民間団体の意義を語った上で、「しかし、現状では軍隊が必要な時期なのです」とか言って、軍隊と民間団体の「併用」を計ろうとするだろう。その方が、あらゆる点で効率的だからだ。
しかし、首相を始め日本政府の人間は、「おまえらのせいで面倒なことになった。苦労させられた。ええ加減にせえよ」というような、公人とは思えない幼児的な発言を続けていた。それは当然、NGOなどの団体からの反発を買うことになったが、鈴木宗男の例を思い出せばいいように、まずそれは彼ら彼女らがNGOとの協力関係の意義を知らない古いタイプの政治家だということを示している。そして、自分の方針と相容れない立場との折衝の仕方を知らない「民主主義の未成熟」を示す政治家だということでもある。しかし、より深刻かつ重要な問題は、こうした政府の姿勢が多数の日本人に支持されていることだろう。
「17、18の両日に実施した全国世論調査(面接方式)で、先のイラクの日本人人質事件についての政府の一連の対応を「評価する」人が74%にのぼった。(…)毅然(きぜん)とした対応への評価を反映してか、自衛隊のイラク派遣そのものを「評価する」人も60%に増えたほか、内閣支持率も約6割に上昇した。」(読売新聞)。それに呼応しているのが一般から噴出した「人質自己責任論」である。
ぼくは、こうした反応が普遍的なものなのか日本に特有なものなのかしばらく疑問だったが、韓国の東亜日報やフランスのル・モンド、アメリカのニューヨーク・タイムスなど海外の反応を見ると、やはりかなりの程度、日本独特のものであるらしい。


「人質になった者は、危険を承知で紛争地帯に入ったのだから、ひどい目に遭っても自業自得だ」
「ボランティアだ人助けだとか言って、人様に迷惑をかけてしまってどうするんだ」
「一個人の独善で突っ走って、国政や国際関係を揺るがしかねないような問題を引き起こしていいのか。無責任だ」
こうした「自己責任論」については、ぼくが読む限り松沢呉一の議論が最も明快だった。
一部引用すると、
「寝タバコでの火災は誰のせいでもなく自分のせいですが、それでも消防隊は消化活動をしなければなりません。(…)夫婦喧嘩で肋骨を折ったら、誰のせいでもなく夫婦のせいですが、それでも救急車は病院まで運ばなければなりません。それぞれ自分の行為によって生じ、その責任は自分でとらなければならないにもかかわらず、救済される権利があります。そのための税金ですから。そのことをわかっていない人たちが「自己決定・自己責任」「自業自得」などと言っているのではないですか。したがって、政府が自衛隊を派兵したことによって彼ら3人が拘束される要因を作り出したにせよ、拘束されたことの責任を直接には政府がとる必要はないでしょう。その責任がないだけのことで、彼らを救うために尽力する責任はあります。それをやらなかった時には当然非難されるべきです。「あれは夫婦喧嘩で大怪我したんだから自業自得」として救急車が放置して死んじゃったら、死んでしまったことにつき、救急隊が責任をとらなければならないのと同じです。」

つまり、かりに「寝たばこ」のように本人が全面的に悪い場合でも、救急車は出動しなければならないし、消防車は仕事しなければならない。そして、それらが行政サービスである以上、その「費用を自己負担せよ」などということはありえない(人命救助や公衆衛生問題については、実費を請求すると「金持ちしか救われない社会」「かえって社会全体にマイナス」になりかねないから、行政が税金を使ってやっている)。ましてや、人質になった人たちは、「加害者」ではなく「犯罪被害者」なのだ。

▼も一つ引用すると、
「酔っぱらいが線路に落ちたのを助けようとして、もろともに死んでしまう人に対しても、「自業自得」とは私は言えないですよ。これも以前書いたように、自分も死ぬかもしれないのですから、助けなかった人たちを批判する気はまったく、それとともに救助しようとして死んでしまった人を笑ったりする気もなく、ただひたすら礼讃するしかないです。じゃないと、そういうことをやる人がいなくなってしまって、居心地のいい社会にならんです。」
ここでちょっとだけ触れられた事件は、2001年1月29日にJR新大久保駅で酔って線路に落ちた男性と、それを助けようとしてホームに飛び降りた韓国人留学生李秀賢さん(26)とカメラマン関根史郎(47)さんの3人が電車にはねられて亡くなった事故のことだろう。
当時の報道によると、李秀賢さんの通夜には福田官房長官(!)が出席し、追悼式には、森首相(!)、河野外相(!)が出席、弔意を表する書状を贈った。公的補償としては人命救助の事故だったとして警視庁(!)から遺族に給付金と葬祭給付金、それに見舞金が支給され、朝日新聞・読売新聞(!)・産経新聞(!)などマスコミ各社や、秀賢さんが通っていた日本語学校「赤門会」などには、関根史郎さんと秀賢さんの家族にあてた、1億2000万円を超える多くの見舞金が寄せられた。
金大中大統領が送った弔電には「(李さんの)義のある生き方は今後の韓日友好協力関係の発展とともに永く残ることになる」とあり、李秀賢さんのサイトの掲示板には事故後から、友人だけでなく日韓両国の人々から「あなたのことを忘れない」「日韓の懸け橋になることでしょう」など、多くの追悼メッセージが寄せられた。

みんなが知っているように、駅では「危険だからホーム下に下りてはいけません」と警告されている。しかし、この事件について「危険を承知で入ったのだから、どんな目に遭っても自業自得だ」「人助けだとか言って、人様によけい迷惑をかけてしまってどうするんだ」「後始末にかかった費用は遺族が負担しろ」などと言うヤツはいなかった(と思うぞ)。
同じように「人道援助のために危険な場所に自ら行って」結果的に「救助が必要な事態になってしまった」というのに、人質事件とこの事件で反応が180度ちがうのはなぜなのか。この2つの比較から、「自己責任」とは人質になった人々を責めるための「口実」(pretext)であり、本当の理由(いわばtext)は別にあるのではないかという推測が成り立つ。
(したがって、「自己責任」論の間違いを正し続けても、それだけでは効果的な反論にはならない)。


その2■(4.26)( 27日一部変更)



2つの事件の比較から言えることは幾つかある。
一つは、人質、特にボランティアへの一般人からの「反感」である。
新大久保駅の事故については、「ホームから人が落ちて、電車が近づいた」ら、多くの人が「あっ。助けなきゃ」と普通は思うわけだ。ただし、その場で実際に体が動く人は少ない。それで、実際にホーム下に助けに行った人に対しては、素直に「立派な人だなあ」と思う。阪神・淡路大震災のボランティアなどでも同じ事だろう。
さて、それに対してイラクの場合は、おそらく多くの人は、「駅から落ちた」人に比べてずっとちょっとしか「あっ。(戦地で苦しむ人たちを)助けなきゃ」と思わないのだろう。よく言われる言い方だが、多くの人はテレビを見てポテトチップスでも食べながら「戦争か、大変だなあ」とか思っているわけだ(だから、人質になっても、情報を送ってくれるジャーナリストのことはあまり責めない)。ま、そう言うぼくも、そんなものですが。しかし、イラクの状況を知ったら自然に「体が動く」人もいるわけで、例えば高遠さんとかはそういう人だったようだ(断わっておくが、彼女のことは詳しく知らないので、別にそれだけで理想視する気はない。釜ヶ崎に入ってくる人はそこそこいるが、それだけで理想視しないのと同じだ)。
しかし、多くの人はそういう「助けなきゃ」という前提の気持ちそのものが薄いため、「賞賛の念」はもちろん「共感」も持ちにくい。というか、やってる事自体に文句はつけられず、かといって自分にはピンとこないし、する気もないから、なんなとく「反感」というか「違和感」を持つ。これが2つの事件に対する反応の相違の原因の一つなのだろう。


では、あくまで「かりに」の話だが、今回人質になった人が、イラクで「人道援助活動の過程でケガを負った、あるいは命を落とした」(不謹慎な想定をお許しください)としたら、一般の反応はどうだっただろうか。バッシングはおろか、大した批判はなかったような気がする。むしろ、少なくとも大メディアでは「(待避勧告を振り切ってまで)こういう立派な活動をしてた人がいた!」とか持ち上げられた可能性さえある。
かりにそうだとすれば、人質バッシングは、3人が「人道援助のために危険な場所に自ら行って」結果的に「救助が必要な事態になってしまった」ために起こったのではないということになる。つまり、バッシングは「人質の自己責任」とは関係がない。パッシングは、3人が「自衛隊を撤兵せよ、さもなくば人質を焼き殺す」という政治的脅迫に使われたことによって起こったのだ。日本に対するこの深刻な脅迫に対する混乱が、「3人の自己責任」という矮小な口実に出口を見いだしたのではないか。
いうまでもなく、自分が決めたことについてのリスクを自ら負うのが「自己責任」というものだ。だから3人は、人質になったことを「人のせい」にはしなかった(客観的には、自衛隊派兵によって人質事件が引き起こされたにもかかわらず)。なぜなら、彼らもまた軍隊を派遣した「日本」の人間だからだ。
一方、国会の議決によって「民主的に国民の総意によって」日本が自衛隊をイラクへ派遣したことに対して、その「リスク」がついに浮上したとき、かなりの日本人はそのリスクを直視することを拒んだのではないか。つまり、「あれは身勝手な人のせいで起こった事件だ。あの3人の自己責任だ」と発想したわけだ。「自己責任」とは「口実」(pretext)であり、本当の理由(いわばtext)は「自分たち(国家)が自ら行なったことが、国際的な場で引き起こすリスクについては目を向けたくない」という無責任だと思われる。一言で言うと、「人質の自己責任」を言う人々は、日本が選択したことに伴うリスクが「3人によって発現してしまった」ことを憎悪しているのだ。(多くの人は、そのことを「3人はみんなに迷惑をかけた」と表現した)。
こうした発想は、「リスクについては目を向けたくないという無責任」な人だけでなく、自衛隊イラク派兵に賛成し、そのリスクを引き受けようとする人々についても当てはまる。つまり、その人たちにとっては絶対に起きてほしくない「人命か撤兵かという脅迫」が起きたことについて、その原因を「日本の選択」ではなく「人質個人の責任」にしてしまいたかったわけだ。そして、そのもくろみとプロパガンダは、上に言った無責任さと呼応して大成功をおさめた。
かりに人質になったのが、自衛官や外交官などの「政府関係の仕事をする人」だったとすれば、その人たちの「自己責任」を云々することは絶対ないだろう(むしろ、大変な同情が寄せられたはずだ)。ところが、人質になったのは個人の意志で、そして政府の意に反してイラクに来たボランティアだった。その点に、政府を支持する人々の怒りが集中したわけである。
しかし、リスクは3人を人身御供にしても消えることはない。例えばこれからゴールデンウィークに入って多数の日本人が海外に出かけていくが、そこでかりに人質事件などが起こったとしたら、「こんな時期に海外に行ったヤツの自己責任だ」と言うのだろうか。あるいは、日本国内で同様の事件や別の襲撃事件が起こったとしたら、「こんな時期にのほほんとしていたヤツの責任だ」と言うのだろうか。残念ながら、もはや「日本国内でそんなことは決して起こらない」などとは言えない(だから政府や警察がテロ対策をあんなに熱心にやっている)。要するに、狙われるのは「日本人」一般なのだ。そうなのに、たまたま被害にあった人を責めても何の意味もない。被害者の「責任」を言うのは、「セクハラは、女性の方にスキがあるからだ」という発想と同じく、真の原因の「免責」にしかならない。
建築家・小説家の鈴木隆之が言うように、
「なぜ、犯罪被害者を「自業自得」といいたがるのか? 端的にいえばそれは、自分たちにはそのような「業」はないから大丈夫、と思いたいがためだ。そうすることで被害者を自分たちの社会から切り離し、そして社会は安定を保つことができる、と。人質になったひとたちを「自業自得」と切り捨てるのも根は同じだ。紛争地域に行って危険に満ちた空気を我々の社会に持ち込んだものは許せない(「彼らは迷惑をかけた、謝罪すべきだ」という言いかたがこれを物語る)。」http://www2u.biglobe.ne.jp/~sdn/iraq.htm
あらかじめ断わっておくと、「リスクを負うようなことはするな」と言いたいのではない。特に国際的な場で何らかの決断をすれば、多かれ少なかれ「リスク」が生じるのは当たり前だからだ。パウエルが言うように、「危険に入るリスクを誰も引き受けなくなれば、世界は前に進まなくなってしまう」。ぼくは自衛隊のイラク派兵に反対だが、どういう選択をするにしてもリスクは伴う。今までは、(おおざっぱな話だが)アメリカの影に隠れて、責任もリスクも日本は考えなくてすませてこられたというだけのことだ。それが、アメリカの影から一歩踏み出したため、「リスク」が現実化したのだ。ぼくはアメリカとは別の方向で選択をし、そのためのリスクについては責任を取りたいと思っているが、人質になった人たちもそういう考え方だったのではないかと思う。


その3・前近代と90年代の2つの「自己責任」■(4.28)



〃絶対に起きてほしくない「人命か撤兵かという脅迫」が起きたことについて、その原因を「日本の選択」ではなく「人質個人の責任」に矮小化しようとした〃として、では他でもない「自己責任」という言葉が、なぜこれほどまでに広範囲に使われのだろうか。(これは、最初に言った「野宿者自業自得論と今回の自業自得論はある程度の共通点を持っている」ということとも関連する。)
「自己責任」「自業自得」という言葉がそれこそウイルスのように流行するには、それなりの素地が必要だ。
最初に引用した星野智幸が言うように、「自己責任という言葉が、まるでその言葉を使えばこの社会で一人前と認められるとでもいうかのように、大量の人が幾度となく口にした」。つまり、この言葉を口にした多くの人は、人質たちは「身勝手」な「半人前」だと見なした。
なぜ元人質たちが「半人前」かというと、この件のインタビューでよく街のおじちゃんおばちゃんが言っていたように、「みんなに迷惑をかけた」かららしい。つまり、多くの人にとって、「人様に迷惑をかけない」ことこそが、きちんとした「責任ある人」の定義のようである。
多くの海外メディアは、日本人のかなりの部分がよりによって被害者である人質を非難するという奇妙な現象について、日本独特の「集団主義」を挙げていた。これは、どうもある程度当たっているようだ。実際、「人質はみんなに迷惑をかけた」と言った街の人たち自身が、人質たちにどのような「迷惑」を被ったのか、さっぱりわからない。その人たちは人質のために奔走したわけでもないし、金を取られたわけでもない(税金は使われたが、でもその人たちは、救急車や消防車が税金で走っていることを「迷惑」とは思っていないだろう)。
「人様に迷惑をかけた」というのは、先に言ったように、日本が選択したことに伴うリスクが「3人によって発現してしまった」ことを言っていると思われるが、それは同時に「世間様を騒がせたという罪」について言っているようでもある。日本では、海外でのボランティア活動などより「世間様」の方がずっと重要だし、「公共心」は「人様に迷惑をかけないこと」か「お国のため」を意味する。「世間様を騒がせて」まで「海外でボランティア活動する」なんて論外なわけだ。「和をもって尊しとなす」精神で、「和」を乱し、個人の行動で国策に波乱をもたらすような輩(これには人質の家族も含まれるらしい)は許しておけない。そういう人は、今回のように家族ともども「村八分」にあい、精神的に追いつめられることになる(元人質たちにとって、ナイフをのど元に突きつけられたときよりも、3人の「責任」を言う日本のテレビ番組を見た方がショックが大きかったという)。
浅田彰は「結局、謝罪と感謝でひたすら頭を下げて回るだけってところまで人質と家族を追い込んじゃうんだから、まさに前近代のムラ社会」と言っているが、それはある程度当たっているようだ。衝撃的な事件によって、一見超近代化が進んだかのような社会に依然として残る封建的国民性があられもなく露呈したと言う面が確かにあった。


しかし、「自己責任」という言葉が好んで使われた背景には、こうした「前近代のムラ社会」性だけではなく、90年代以降に政治・経済の領域で「自己決定」「自己責任」という言葉が広く使われるようになったことと関係があるようだ。というのも、「自己責任」は結構最近になって登場した言葉で、それがしばしば使われ出したのはここ10年ほどのことらしいからだ。
「自己責任とはなにか」という本を書いた桜井哲夫によれば、

〃おそらく用語としての「自己責任」の基となっている文書だと推測される、平岩外四を座長とする経済改革研究会の中間報告「規制緩和について」(一九九三年十一月八日)のなかでは、以下のように使われている。
 「消費者保護のために行われる規制については、自己責任原則を重視し、技術の進歩、消費者知識の普及などを踏まえ、必要最小限の範囲、内容にとどめる」。
 「金融、証券、保険に係る規制については、自己責任原則を重視した競争原理の徹底を図るため、規制の一層の緩和を行う」。
見られるように、自己責任原則という言葉は、競争原理と対になって用いられている。〃
〃このように「自己責任」という言葉は、多くは「自分のことは自分で始末をつける」というふうに国民に思わせておきながら、実は行政の側が国民の自己負担をふやし、結果として弱者へのしわよせが進むことなのではないのか、というのが拙著の執筆動機であった。〃(新聞研究 98年9月号No.566)

つまり、「自己責任」という言葉はもともと「競争原理」「規制緩和」と対になって1993年ぐらいから登場してきたらしい。これは、不況が続くのは「集団主義」が根強く「規制」だらけの「日本型経済システム」のためだ、だから「構造改革」して「競争主義」を徹底しなければ日本の景気は回復しない、というようなおバカな議論(この手の話については、稲葉振一郎の「経済学という教養」、あるいは小野善康の著作にいい整理がある)ともつながっている。
一方で、「自己責任」は「自己決定」という言葉と対になって90年代から使われていた。例えば宮台真司による「まったり革命」である。宮台真司の主張の一つは、「いい学校・いい会社・いい人生」みたいな「共同体への所属」に自己の尊厳を預けるような「同調圧力」から抜け出て、自分の生き方を「自己決定」し、試行錯誤から得た自尊心を尊厳のリソースとする生き方をお勧めするものだった。

成熟社会になると、過渡的近代に必要だった共同体幻想(家族幻想・学校幻想・会社幻想)が崩壊し、人間関係が流動化する。すると、理想的秩序(崇高な国家・一流企業・エリート官僚組織……)への所属を、尊厳のリソースとする生き方には無理が出てきます。代わりに、他者とのコミュニケーションの自由な試行錯誤から得た自尊心を、尊厳のリソースとする生き方が重要になります。(…)実際、「所属による承認」ほしさに「長いものに巻かれろ」と同調圧力に負ける大人とは対照的に、個人的に不快なら直ちに所属を取り消す生き方が、若い世代に爆発的に増えています。
(「これが答えだ!」97)

このように、90年代の日本では、「競争主義」に伴う「自己責任」と、従来の共同体からの心理的自立を意味する「自己決定」=「自己責任」の2つが同時に使われていたわけだ。
ところで、この2つの「自己責任」は重なるのだろうか、それとも別ものだろうか?
「競争主義」に伴う「自己責任」とは、簡単に言えば「競争で負けても、全部自分のせいだから、誰も助けてくれないよ」という話とも言える。実際には「競争主義」には他の立場もあるが、一般に使われる「競争主義」「自己責任」は、このような身も蓋もない「失敗しても自分のせい」という意味で使われていることが多いようだ。このことは、リバタリアニズム的発想が最近、日本で一般化していることと明らかに関係している。

リバタリアニズム(libertarianism)
「個人の自由は、 (経済的)平等や公共の福祉といった政治的目標に優先するとする立場。リバタリアニズムは、個人の自由を最大限に尊重し、政府による個人の干渉は最小限にすべきだとする。この主張の背後には、 自由市場の働きに対する信念、すなわち政府は経済活動に手を出さず個人の自由な営みに任せておいた方がうまくいくという考えがある。そこで、通常、 自由主義が社会的正義の名の下に福祉政策、富の再配分、 アファーマティヴ・アクション などを認めるのに対し、リバタリアニズムはこれらをすべて政府による個人の自由の侵害だとして反対する。」
http://www.ethics.bun.kyoto-u.ac.jp/~kodama/ethics/wordbook/libertarianism.html

宮台真司の言う「自己決定」「自己責任」が、これと同じであるはずはない。ただ、同じではないとしても「矛盾」もしないということがややこしい。数学用語で言えば、その2つは「整合的」なのだ。しかし、この点については後で触れる。


その4・リバタリアニズムの「自業自得論」■(5.11)
 
           

先に、
「競争主義」に伴う「自己責任」とは、簡単に言えば「競争で負けても、全部自分のせいだから、誰も助けてくれないよ」という話とも言える。(…)このことは、もちろん、リバタリアニズム的発想が最近、日本で一般化していることと関係している。
と言った。
ぼくは、日本でリバタリアニズム的な発想を聞くことが多くなったと感じているが、それはなによりも野宿者問題についてである。最初に「野宿者自業自得論と今回の自業自得論はある程度の共通点を持っている」と言ったが、一般の人たちの「野宿者自業自得論」は、身も蓋もない「失敗しても自分のせい」「だから助ける必要はない」という発想で結構一貫している。中学生や高校生だと、「やっぱりホームレスになるのは自業自得だから、自分でなんとかすべきだと思う」「なんでホームレスが病気になったからって入院費を税金で出さなアカンの?」と言い、大人だと「そもそもホームレスは税金払ってないじゃないか」「だからホームレスのためにわれわれの税金を使わすのは納得できない」とか言う。
こういう話を聞くと、「この人は生活保護法とか憲法とか社会保障とかを学校で習わなかったのだろうか」とまず思ってしまう。生活保護法や社会保障の理念については、ぼくは中学や高校で聞いたことがあるし、多くの人もそうだと思う。では、そういう人たちは「分数ができない大学生」と同じで「初歩」さえ忘れてる(か知らない)のだから、「啓蒙」して「常識」をわきまえてもらえばいいのだろうか。
ある意味ではそうなので、「所得の再分配」や「社会保障の理念」についてのイロハを再教育して「野宿者についても同じではないですか」と言えば、「あっ。そういえばそうですね」と納得してくれる人もそこそこいるようだ。
(念のため言っておくと、野宿者のほぼすべては「税金を払っていない」のではなくて(例えば消費税などの間接税は払っている)「払うべき直接税が0円」なのだ。常識的には、生活保護水準以下の収入の人は直接税はゼロと考えるべきだろう――払ったら、その分をまた保護費で補充しなければならなくなるから)
しかし、「野宿者自業自得論」を言う人は、多分「生活保護法」や「社会保障」について、ある程度知識としては知っている。ただ、知識は持っていても、その内容についてリアルには納得できないのだろう。ましてや「あんなホームレスたちに社会保障」なんて論外と感じるのではないか。「通常、 自由主義が社会的正義の名の下に福祉政策、富の再配分、 アファーマティヴ・アクション などを認めるのに対し、リバタリアニズムはこれらをすべて政府による個人の自由の侵害だとして反対する」が、野宿者問題については、人はラジカルなリバタリアニズムにいきなり近づくようである。所得の再分配を行なう社会民主主義やリベラリズムよりも、「自業自得」「自己責任」の方がリアリティというか真実味がある空気が成立しているわけだ。そして、事は多分、野宿者問題だけではなくなっている。今回の人質に対する「自業自得論」「自己責任論」はそれと同じ面を持つからだ。
人質「自己責任論」について、田中康夫が「自己責任を突き詰めれば、住民サーヴィスを担う行政機構そのものが無用の長物となります」と言っている(日刊ゲンダイ)。これはその通りで、菅直人など多くの人が同様の事を言っている。「リバタリアニズムは、個人の自由を最大限に尊重し、政府による個人の干渉は最小限にすべきだとする」どころか、これではうっかりするとアナーキズム(無政府主義)である。
しかし、「自己責任論」を言う人は、自分が救急車や消防車のお世話になったとしても「その費用は自腹で出します」とは言わないだろうし、自分のこどもが学校に通っていても「学費はすべて自費で出します」と言ったりしないだろう。要するに、野宿者やイラクでのボランティアみたいに「とことん生活に困っている人」や「気にくわないヤツ」については「自己責任」を問い、自分については問わないというダブル・スタンダードをやっているとも考えられるが、しかし問題はそれほど簡単でもない。


先にも引用した松沢呉一の「黒子の部屋」(なお、このサイトを読むには自分の本を半年に一冊購入せよとある。ぼくはちくま文庫で「ぐろぐろ」を買いました)には、こうもある。

「危険をわかっていたのだから救出する必要がない」なんて論理が通用するなら、国はムチャクチャ楽ですわ。どんどん志願する自衛官を戦地に送り込んで、あとのことは知らんぷり。海外の日本人はなにがあっても自業自得、海で溺れる人も自業自得、夜の海岸を散歩していて北朝鮮に拉致された人も自業自得、今時カギをひとつしかつけていない家に強盗が入っても自業自得。警察は税金で宴会ばっかりやっていても、なんの問題もないですな。

ここで一言言われた「今時カギをひとつしかつけていない家に強盗が入っても自業自得」というくだりはなかなか興味深い。「今時カギをひとつしか」って、多くの家ではカギを2つも3つもつけているのだろうか。あるいは、セコムみたいなホームセキュリティ企業とかと契約しているのだろうか。どうもそのようなのだ。
なんでそんなにまでして家を守らないといけないかというと、日本の治安がすっかり悪化し、警察の犯罪検挙率もどんどん落ち、「自分の安全は自分で」守らないと話にならなくなった(という雰囲気が一般化してきた)からだろう。従来は、セキュリティは警察をはじめとして「国家」がまずまずのことをやってくれるという前提があったが、そういう神話は崩壊してしまった。そこで、自腹でカギを増やすとかセキュリティ会社と契約するということになっている。
ついでながら、これは「公立学校はあてにならないから、自腹を切ってでもこどもを私学に通わせる」「年金とかはあてにならないし、なにしろ国会議員だってろくに払ってないんだから、保険会社のプランを契約して買う」という流れと重なっている。国家の機能低下を誰もが感じているので、その諸機能を「自腹を切って」買う流れが一般化しているわけだ。というわけで、それをしないで「今時カギをひとつしかつけていない家に強盗が入っても自業自得」ということになる(当然だが、国家の諸機能を自腹で買えるのは高所得者だけである)。
現在この傾向を象徴するのは、監視カメラだろう。監視カメラについては、最近様々な議論がされているが、その最も重要な意味の一つは、監視カメラがかつてのように「警察による治安維持」(ご存じのように、日本における監視カメラのはしりは釜ヶ崎のものだ)や「店主による店内監視」ではなく、「市民自らの希望による路上の監視」だということにある。治安の悪化を肌身に感じた市民が、場合によっては自腹を切ってでもカメラで国家機能を代替しようとし始めたのだ。
ところで、監視カメラは本当に犯罪を減らすのだろうか? 
近年、歌舞伎町では大々的に路上監視カメラを導入した。その結果、導入後1年間は犯罪が目に見えて減った。ところが、その1年後には元の水準に戻ってしまった。
考えてみれば、監視カメラを使うと「カメラが映している場所だけ」は犯罪は減る。しかし、監視カメラは犯罪が起きる「原因」をどうこうするものではないから、犯罪全体の水準には関係しない。したがって、「カメラが映していない場所」では犯罪はむしろ増えると考えられる。つまり、監視カメラの導入を望む市民とは、「自分の近所だけ安全になったら、よそで犯罪が増えてもいいや」と考えている自分勝手な人たちだということが(冗談抜きで)わかる。
もちろん、監視カメラ設置を望む人には様々な理由があるのだろう。だが、客観的にはそれは上の「自分の近所さえよければ」という構造を持ってしまう。そしてそれは、「自分の家のセキュリティだけを向上させる」場合でも変わらない。もちろん、自分を守る権利はすべての人にある。ただ、それが「公共的なレベル」での犯罪防止策と同時でなければ困るわけだ。路上の監視カメラについては、プライバシーの問題や匿名性の問題が議論されるが、同時に監視カメラが「公共性」を破壊するという点が重要だと思われる(それはゲーテッド・コミュニティの問題に直結している)。


その5・リバタリアニズムの帰結としての野宿者問題■(5.20)
 
                 

「治安が悪くなったから新式の鍵を付けたりセキュリティ会社と契約する」「公立学校はあてにならないから、こどもを私立学校に通わせる」「年金はあてにならないから、保険会社のプランを契約して買う」。これらの流れは、行政の機能不全傾向を肌身に感じた人たちが、「自腹を切って」国家機能を求め始めたことを意味している。監視カメラや(最近多い)自警団はその「地域」バージョンである(監視カメラは警察の管轄の場合が多いが…)。
そして、こうした流れは、「規制緩和」と対になった「自己責任」という言葉の登場と同時進行していた。すでに触れたように総理大臣の諮問機関である経済改革研究会の報告「規制緩和について」(1993)が用語としての「自己責任」の基となっているとされる。この意味での「自己責任」は、個人の自由に任せて政府は経済や福祉政策に手を出さないことを肯定するリバタリアニズムに重なっているが、90年代以降の資本と行政がこうした「競争原理」「規制緩和」の方向へと向かったことは確かだろう。つまり、行政の機能への人々の「見放し」(「年金は、公立校はあてにできないから民間(市場)と契約する」)と、「失敗しても自己責任、政府をあてにするな」という行政からの国民の「見放し」との両方が同時進行していたわけである。このことは、行政の機能低下が今後ますます進むだろうことを当然に予測させる。
そして、この「規制緩和」「競争主義」と対になった「自己責任」は、「格差の拡大」を肯定する。「格差が生じない競争」などありえないのだから当然だ。問題は、その格差がどこまで許容されるのかという点にある。
従来(60年代後半から80年代あたり)の日本では、格差の存在はありつつも、超大金持ちも超ビンボー人もいないという「総中流社会」を実現したとされている。ぼくは、それはかなりの部分で神話であると思うが、しかし、世界的に見ればこの時期の日本が相対的に所得格差が少ない社会であったことは間違いない。
「総中流社会」がなぜ実現されたかについてはいろんな説があるが、一般によく聞かれるのは「従来の日本は競争のない横並び社会だった」という話である。バブル崩壊以降は、「だから日本も競争主義、成果主義、規制緩和を実行していかねばならない」「その結果、競争に負けて(例えば)失業しても自己責任だ」という話になっていく。そういう方向に流れた結果どうなったかというと、仕事どころか住む家さえなくなった究極のビンボーである野宿者の大量出現である。
野宿者問題は、疑いなく格差拡大の最大の目印の一つである。ニューヨークのホームレスや中国のホームレス・チルドレンの話はこの「近況」で最近触れたが、日本についても、ご存じのように90年代以降に野宿者数が劇的に増大した。しかも日本は、いったん野宿に陥った人が「仕事と家のある状態」に復帰することが極端に困難な社会でもある(野宿者問題に詳しくない人は、「いす取りゲームとカフカの階段」や「野宿者がよく言われるセリフ」でも読んでください)。もちろんこれは日本に限らない話で、ホームレス問題は一般に先進各国で70年代以降、深刻化する一方になっている。時々言うことだが、「20世紀は難民の世紀」と言われたが、少なくとも先進各国では「21世紀はホームレスの世紀」となる可能性がある。
考えてみれば、日本には「憲法」や「生活保護法」というものがあって、文化的な最低限度の生活を保障していたのではなかったか。しかし、極度の貧困に陥った野宿者一般に対して、行政は生活保護を適用することを拒み続け、その場しのぎの対策(生活保護水準以下のシェルター建設とか)を続けてきた。福祉政策、富の再配分を認めない最も厳格に考えられたリバタリアニズムでは、どれほどの貧困に陥っても行政による救済は否定されるが、野宿者問題については事実上それが現実化していることになる。「格差の拡大」は、経済全体の底上げを実現したかもしれないが、それと同時に「金持ちとビンボーの二極化」を進行させた。そして、ビンボー人には経済好調の分け前は届かなかった(その最大の例がアメリカである)。


格差拡大の結果として、野宿者の存在が常態化した。このことは、一般的な市民生活に対してどのような影響を与えたのか。
家を失った野宿者は、公園にテントを張るとか商店街や駅にダンボールハウスを作るとかして生活し始めた。ある程度の期間にわたって野宿が続くとなれば、決まった居場所を作らなければ生活などできないのだから、これは当然の流れである。格差の拡大は、一般市民にとって、多数の野宿者が自分の「近隣」に住みつく、いわば「ホームレスが隣人になる」という結果として現われたのだ。
それらについて一般市民はどう思ったかというと、多くの人は「ホームレスが駅や公園の土地を不法占拠している」「税金も払わないで公共の場所を占有してわれわれ住民に迷惑をかけている」と発想した。それら市民にとっては、野宿者とは「自業自得、自己責任の」「社会のルールを守れない輩」「人様に迷惑をかける連中」でしかなかったのだ。われわれから見れば、そういう発想の住民は「人間の不運や社会的な問題」を考えたことがないのか、自分の事しか考えられないのかと思ってしまう。だが、それら住民に言わせれば、公園に住む野宿者の方こそ「自分さえ良ければよい」「人様に迷惑をかける」「身勝手な人間」でしかないわけだ(イラクの日本人人質に対して言われたセリフと全く同じ)。
野宿者が近隣に住み着くという事態に対して住民がよく採る方法は、一つには、行政にかけあって「ホームレスを公園から追い出す」というやり方である。事実、これはしばしば行なわれている。しかし、考えてみれば公園を追い出された野宿者は、行く場所がない以上今度は別の公園に移るだけなのだから問題は何も全く解決しない。これは「地域エゴ」の典型例である。
それが、行政がシェルターを作るという段階に行くと、「ホームレスはシェルターに入れろ」「ただし、そのシェルターは自分とこの近所ではなく、海のそばか山の中に作れ」という話になる。事実、行政による野宿者シェルター計画はどこでも地域の大反対にあっているが、住民の本音は「ホームレスはわれわれとは関係のない場所に集めて収容すればよい」というものだと思われる。これは、あからさまな収容主義であり、ある意味では経済的アパルトヘイト主義である(これを逆方向に実現したのがゲーテッド・コミュニティだと言えるだろう)。
このように、野宿者問題は社会における公共性の問題を「ネガ」の形で一般住民に突きつける。「総中流社会」までの社会では問題化しなかった「格差」が、「ホームレスが隣人になる」という形で自分の日常生活にもろに関わってくるからだ。この突きつけにどのように対処しうるかで、社会に対する住民の質が問われるわけだが、悲しいかな多くの住民は「ネガ」の形で突きつけられた公共性の問題を「ネガティヴ」に解決しようとする。そしてそれは、21世紀型の「共同体主義」として現われるように思われる。


人質やその家族に「謝罪と感謝でひたすら頭を下げて回る」ことを強いる精神風土は、確かに浅田彰の言うように「前近代のムラ社会」のものだと言えるだろう。とはいえ、「前近代」(明治あるいは江戸時代?)の心性が21世紀初頭にまでそのままの形で継続されているのかと言えば、それはやや考えにくい。つまり、「自己責任論」に現われた「前近代のムラ社会」性は、その一面において「超近代」的なものだったのではないか。例えば現代的なコミュニタリアニズムは、旧来の「共同体主義」と同じではなく、市場経済やリベラリズムに対する批判として形成された面を持っている。
「communitarianism は、1984年の初出で、市場経済優先の保守主義、及び、個人の権利を優先させようとするリベラリズムを拒絶し、常識的な道徳観、社会全体の責任、ならびに、家族単位の社会における重要性を推進する政治的理論、あるいは、イデオロギーを指すようになった。」
http://www1.linkclub.or.jp/~seagull/DATA/communitarianism.html
そのように「自己責任論」は、「前近代」と「超近代」(「プレモダン」と「ポストモダン」?)の両面を持っているように思われる。
例えば、宮台真司が「自己決定」と対になった「自己責任」を言ったとき、それは「いい学校・いい会社・いい人生」みたいな「共同体への所属」に自己の尊厳を求める生き方から抜け出て、試行錯誤から得た自尊心を指針とする生き方を勧めるものだったはずである。これが、日本的な「共同体主義」(ムラ社会性)からの「個」の確立を促すものだったことは確かだろう。いわば、プレモダン(ムラ社会)からモダン(個の確立)への移行を実現するはずだった。
しかしこの「自己決定」は、「競争原理」「規制緩和」と対になって登場した「自己責任論」と「整合」してしまった。つまり、「自己責任」は、「共同体」から「個の確立」の方向へ向かうかと思いきや、「失敗しても自分のせい」「政府による個人の干渉は最小限にすべき」というリバタリアニズム的発想へと方向付けられてしまったように見える。
おまけに、このリバタリアニズム的発想は実は「ムラ社会」と親和性が高かった。言い換えれば、個の確立とリバタリアニズムは同じようで実はちがった。リバタリアニズムは、個の確立へと向かわずに、そのまま「共同体主義」「ムラ社会」と合体し始めたのだ。


その6・公共空間の崩壊と新たな共同体主義■(5.28)



リバタリアニズムは経済的自由を最大限に追求するが、それは同時に政治的な個人的自由をも最大限に追求しようとする。リバタリアニズムは「経済的自由+政治的自由」を求める立場であって、そこでは例えば「移民の自由」「婚姻制度の廃止」「裁判所、刑務所の民営化」「姓名の自由な変更」のようなラジカルな主張を提唱する場合さえある。これに対して、「経済的自由」+「政府による個人的自由への介入」への志向は「保守(コンサヴァティヴ)」である。
しかし、日本では確かに経済的自由は強まっているが、その一方で、1999年に一気に成立した「国旗国歌法」「周辺事態法」「盗聴法」のように、政府による個人の自由への介入はむしろ強まっているようにも見える。だとすれば、これは「保守(コンサヴァティヴ)」であって、リバタリアニズムではないのではないだろうか?
しかし、「治安が悪くなったから新式の鍵を付けたりセキュリティ会社と契約する」「公立学校はあてにならないから、こどもを私立学校に通わせる」「年金はあてにならないから、保険会社のプランを契約して買う」という、行政が管轄してきた「教育」「治安」「福祉」などの領域が事実上「民営化」されつつある流れは、「政府による個人の干渉は最小限に」するというリバタリアニズムの流れと一致する。そして、これら「教育」「治安維持」「福祉」とは、国民の「健康で文化的な最低限度の生活」を保証する「ソーシャル・セキュリティ」の領域である。政府の役割のこうした相反する変化は何を意味するのだろうか。
おそらくそれは、国家の機能が「福祉国家」(ソーシャル・セキュリティ)から「監視/管理」(セキュリティ)へと移行しつつあることを示している。つまり、国家を頂点とする行政の機能は、「ソーシャル・セキュリティ」から「セキュリティ」へと移行しつつある。そこで抜け落ちたのは、「ソーシャル」つまり近代的な公共空間だった。大澤真幸の言うように、「小さな政府」の理想は「夜警国家」と言われるが、アメリカが行ない日本が追随しつつあるのは、今や「攻撃は最大の防御なり」という意味での「(最小=最大の)セキュリティ」への軸足移動なのだろう。その意味で、リバタリアニズムと「国旗国歌法」「周辺事態法」「盗聴法」のような近年の流れは一致する。

「福祉国家にはソーシャル・セキュリティという概念があった。だが、80年代にはいると、この中からソーシャルな部分が抜け落ち、国家が保障するセキュリティは公安だけになった。(…)アメリカの一連の行動を理解するキーワードは「セキュリティ」にあると言える。近代的公共空間を支えているのは、不特定多数への信頼である。テロリズムは、それを破壊する目的でなされる。9.11で明らかになったのは、知らない人間への信頼が、きわめて脆弱であるということだった。ドイツの社会学者ウルリッヒ・ベックは「リスク社会」の問題を提唱しているが、信頼が壊れれば、それを監視で埋め合わせようとする。」
http://members.jcom.home.ne.jp/cuba/estudio03.htm

そして、フーコーの意味での「規律/訓練」から「監視/管理」への移行は、「自己決定」の拡大と整合的である(「規律/訓練」によって成立する「会社員」から、不安定就労としての「フリー」ターへの変化を考えるとよくわかる)。「リバタリアニズムは、個人の自由を最大限に尊重し、政府による個人の干渉は最小限にすべきだとする」。事実、「自由な自己決定」を通しての「監視/管理」が成立しているわけである。


「経済」的自由と「政治」的自由。しかし、一般に「自由」を考える場合、さらに一つか二つの領域を考える必要があるようだ。
エスピン=アンデルセンの「福祉資本主義の3つの世界」(1990)は、「福祉後進国」→「福祉先進国」という単線ラインで従来考えられていた福祉国家論を、「資本」「国家」「家族(あるいは同業組合などの共同体)」(それぞれ「自由主義」「社会民主主義」「保守主義」として考察されている)という「3つの世界」の極で捉え直し、各国の社会保障のあり方をこの3つの極によって実証的に位置づけた研究である。これを前提にして言えることの一つは、「自由」を語る場合、それを「経済」的「政治」的、そしてあと少なくとも「共同体」的な観点から考察する必要があるということだ。
例えば、リバタリアニズムは経済と政治への行政介入を極力排除しよう(夜警=セキュリティ国家)とするし、結果として日本においてもそうなりつつある。しかし、「共同体」についてはどうだろうか。日本で強まっているのは新たな「共同体」的道徳による「個人的自由への干渉」なのではないか(だからリバタリアニズムが主張する「移民の自由」や「婚姻制度の廃止」は議題にもならない)。言い換えれば、それは国家、あるいは近代的公共空間の機能不全を「(最小=最大の)セキュリティ」と新たな共同体道徳で置き換えようという志向である。そして、共同体道徳の最大のルールの一つは「人様の迷惑になっていけない」だが、今回のイラクの人質問題(イラク戦争そのものが「攻撃は最大の防御なり」を地で行くセキュリティ戦争だった)がそうだったように、日本国民の比較的多数がこの流れを文字通りに受け入れているように見える。それは一見、前近代的「共同体」=「ムラ社会」への回帰に見えるようで、実はそうではない。
実際には、従来の意味での「(家族をはじめとする)共同体」は、近代化とともに形骸化し崩壊していた。「家族」については離婚、非婚、家庭内暴力、児童虐待の増加、出産率の低下であり(小倉千加子が「結婚の条件」で言っているように、日本は「非婚」について事実上世界一のレベルにある)、「地域共同体」については言うまでもないような即物的崩壊である。
まず、「家族の意義」を唱えても、復活しないものは復活しない。早い話が、誰もが携帯電話を持ち、どこにでもコンビニがある社会では、サザエさんチみたいな「居間のちゃぷ台で家族全員で食事、家族団らん」というスタイルはもはや一般化しないし、小倉千加子が言うように、政府が頑張って「結婚支援」をしても結婚する人はさっぱり増えない。それに対して、「地域共同体」はどうだろうか。
上に引用したように、「近代的公共空間を支えているのは、不特定多数への信頼である。テロリズムは、それを破壊する目的でなされる」「信頼が壊れれば、それを監視で埋め合わせようとする」。
不特定多数への信頼によって成り立つ近代的公共空間は、テロ以前に「治安の悪化」(最近の例では、学校での事件の増加)によってすでにかなりの程度失われていた。日本の中で現実化したテロの可能性は、その信頼の破壊を更に劇的なまでに推し進めた。こうした「顔の見えない」不特定多数への信頼が失われていた場合にしばしば採られるのは、「顔の見える」関係を閉鎖的に構築し、その枠内でセキュリティを強化するという方法である。ゲーテッド・コミュニティがまさにそうであり、自警団、監視カメラ(「顔が見える」ようにする)もそうなのだろう。
町内の監視カメラや自警団は「犯罪予防」を謳っている。しかし現実には、その目的は「不審者の発見、監視」にあるようだ。学校のセキュリティ問題については、監視カメラや警備員の配置によって「不審者の監視」をするのだと明言する場合も多い。そして不審者とは、多くの場合「知らない顔のヤツ」や「ホームレス」を指している。地域住民の安全を脅かす者、「公共の場所で寝起きする」など「ルール」を守らない人間ということである。
不特定多数への信頼によって成り立つ近代的公共空間が弱体化し、それを埋め合わせるために「顔の見える」共同体への志向が強まった。その内部を結束するのは、「社会のルールを守らない人間は排除せよ(監視し、われわれと関わり合いをもたせるな)」という共同体的道徳である。この道徳が、「他人に迷惑をかけない限り、個人の自由を最大限に尊重する」というリバタリアニズム的な原則と合致している。


その7・再び前近代と90年代の2つの「自己責任」■(6.1)


〃例えば、宮台真司が「自己決定」と対になった「自己責任」を言ったとき、それは「いい学校・いい会社・いい人生」みたいな「共同体への所属」に自己の尊厳を求める生き方から抜け出て、試行錯誤から得た自尊心を指針とする生き方を勧めるものだったはずである。これが、日本的な「共同体主義」(ムラ社会性)からの「個」の確立を促すものだったことは確かだろう。いわば、プレモダン(ムラ社会)からモダン(個の確立)への移行を実現するはずだった。
しかしこの「自己決定」は、「競争原理」「規制緩和」と対になって登場した「自己責任論」と「整合」してしまった。つまり、「自己責任」は、「共同体」から「個の確立」の方向へ向かうかと思いきや、「失敗しても自分のせい」「政府による個人の干渉は最小限にすべき」というリバタリアニズム的発想へと方向付けられてしまったように見える。〃
この点について、図を使って整理してみよう(「その3」の図は撤回)。
垂直軸のプラス方向を経済、ソーシャルセキュリティからの行政の撤退(規制緩和、公教育の衰退など)、マイナス方向をその逆の経済・ソーシャルセキュリティへの行政の介入(財政・金融政策、所得再配分など)とする。要するに、上がリバタリアニズム寄りで下がリベラリズム寄りだ。
そして、水平軸のプラス方向を「自己決定」、マイナス方向をその逆の「共同体へ自己の尊厳を預ける」「同調圧力」の方向とする。
規制緩和や競争主義が進められる場合、いわゆる「勝ち組」と「負け組」の二極分化が発生するため、この領域ではさらに2つに分けて考える。
こうした方向づけを、ここでそれぞれの領域に適合する「職業形態」で表わすと、次の図が得られる。


競争主義が進みソーシャル・セキュリティが損なわれた中、自己決定は避けて共同体を頼る
「会社員(あるいは公務員)」
「会社に入りたい『やむをえず型』フリーター」

競争主義が進みソーシャル・セキュリティが損なわれた中(つまり「失敗しても自分のせい、誰も助けてくれない」)、共同体に頼らず自己決定する
「会社を渡り歩くスペシャリスト」
「会社正規雇用を忌避する確信型フリーター」

共同体に守られ、自己決定はしない従来の生き方
「旧来の会社員」

ソーシャル・セキュリティが健在な中(つまり「失敗しても再チャレンジが可能」)、共同体に頼らず自己決定する
「起業者」

まずそれぞれの領域の数の問題として、
」の「起業者」だが、これは大変少ない。玄田有史の「仕事のなかの曖昧な不安」にこの問題について言及がある。そこからおおざっぱな結論だけ引用すると、
「バブル経済が崩壊した1992年以降も、(2000年まで)200万人強、雇用者は増えている。雇用者と反対に大きく減ったのが、自営業者と家族従業者である。それぞれ100万人以上減っている。働く人々の総数がバブル崩壊以降ほとんど増えない原因は、雇用者がリストラにあったことではない。自営業者や家族従業者が減ったことである。」
「若者が開業を希望しないのは、きびしい経済情勢のなか、会社を経営することが以前にもまして困難となっているからだ。そのことを多くの人が自覚し、慎重になっている。若者がリスクに対し挑戦する意欲が低下しているのだ。そんなチャレンジ精神の低下の一つの兆候は、1980年代以降、30代や40代の自営業が大きく減少しているという事実にあらわれている。」
つまり、会社に頼ってではなく「自分で自分のボスになる」(自己決定!)起業者はむしろ減り、雇用者が増えた。具体的には会社員やフリーターである。とりわけフリーターは400万人を超えると言われる急増ぶりである(実数はもっと多いはずだ)。
では、フリーターは「フリー」ターというぐらいだから、自由な自己決定によって生きているのかと言えばそうでもなく、この「フリー」は「新自由主義」による格差拡大(下層日雇労働者としてのフリーター)と、「会社からの自由」としての「フリー」ターの自由の2つの意味を持っている。これは、(4月5日のところで触れたように)個性尊重をうたう「ゆとり教育」において、格差拡大という「新自由主義」と個人の「自由」という二つの両面があることとパラレルだ。
したがって、フリーターは領域「」「」「」のいずれにも適合するのだが、様々なアンケートで明らかなように、フリーターの8割以上は実は「将来は会社に入りたい」と考えている。つまり、競争主義が進みソーシャルセキュリティが失われた状況を「多くの人が自覚し、慎重になっている。若者がリスクに対し挑戦する意欲が低下し」、自己決定は避けて共同体(会社)を頼る方向に流れているわけだ。
こうして領域「」が増えることになる。結果としては、「」は減少し「」は増加する。これは、図に即して言えば、両軸が(予想通り)「共同体寄り」ブラス「リバタリアニズム寄り」になっていることを意味する。
日本的な「共同体主義」(ムラ社会性)から、試行錯誤から得た自尊心を指針とする「個」の確立を促す「自己決定・自己責任」は、「」あるいは「」の実現を促すはずだった。しかしそれは、「失敗しても自分のせい」「政府による個人の干渉は最小限にすべき」というリバタリアニズム的発想のもとでの「自己決定・自己責任」である「」あるいは「」と同時進行していた。つまり「自己決定・自己責任」は、「」の方向へ行くかと思いきや、「」を仲立ちとして「」、しかも「」のみの増大へと方向づけらてしまったわけだ。これはある意味で、リベラリズム的な「自己決定・自己責任」の理論が、リバタリアニズム的な「自己決定・自己責任」に対して一部「整合」的であり、反論、対抗が困難であることを示している。
結果的に増大した「共同体+リバタリアニズム」の領域だが、この二つをリンクするキーワードの一つは、「人様に迷惑をかけない」だった。それが「ムラ社会」の重要な戒律であることは言うまでもないが、同時にそれは「他人の自由を侵さない限りにおいて、人は自由に行動することができる」というリバタリアニズム的な原則と重なっていた。そしてリバタリアニズムの場合、「自己決定の結果は、政府に頼らず自分で責任を取らなければならない」ということになる。イラクにおける人質問題で噴出した「自己責任論」は、この「共同体+リバタリアニズム」のキーワードの合体だったわけだ。
しかし、この「他人の自由を侵さない限りにおいて、人は自由に行動することができる」という原則は、リベラリズムのものでもあったのではないだろうか。このことはやはり、リベラリズムがリバタリアニズムに対して一部「整合」的であり、反論、対抗が困難であることを示すものだろうか。


その8・リバタリアニズムの自由と野宿者問題■(6.8)



言うまでもないことだが、野宿者問題とは単に「野宿者が存在すること」だけではなく、シェルター建設問題や公園からの排除問題で示されるように、その存在が行政や市場、一般の市民との間に幾つかの解決困難な問題を提示するという点にある。そしてこの野宿者問題の中で、リバタリアニズムは重要な意味を持っている。
リバタリアニズムの自由と野宿者問題については、J・ウォルドロン(法哲学・政治理論)が論文「ホームレスと自由の問題」(1991)の中である程度扱っており参考になる。(Waldron〃Homeless and the isse of freedom 〃 「Liberal Rights  Collected Papers 1981―1991」)
「リバタリアンの一部は、社会のすべての土地が私有されているという可能性について空想している(「道路を売れ!」)。それは、ホームレスにとっては破局的事態である。(…)我々の社会はその領地の幾分かを集団の(collective)財産として持ち、公共の(common)用途に使っているという事実の力によって、ホームレスをこのカタストロフから救っている。ホームレスは存在を許される――道路や公園、橋の下にいることができるから。(…)ホームレスが存在を許されるのは、われわれがコミュニストでありうる程度によってである。」
「これが、私有財産制の多くの擁護者にとっても、なぜリバタリアニズムの提案が居心地悪く、またなぜそれが空想にとどまったかの理由である。しかし、穏健でリベラルですらある所有権の擁護者にとって、もっと居心地よく見えそうなリバタリアニズムのカタストロフの修正版がある。それは、道路や公園、地下鉄などの公共の場所で可能な行動を制限しようとする規則が増えつつあることである。空想などではなく現実に起こっていることは、100万人以上の人たちが、眠ったり料理したり食べたり小便をしたり立ってたりするという原初的な人間の行動を行なう場所がなくなったという事態である」。(テキトーな訳です、念のため)
ウォルドロンの言うところによれば、「リバタリアンのパラダイス」は「ホームレスにとっての地獄(plight)」である。そこでは、「ホームレスには何の自由もない」。なにしろ、寝る場所も食べる場所も排泄する場所も存在しないのだから。(では、「ホームレスにとってのパラダイス」は「リバタリアンの地獄」で、「リバタリアンには何の自由もない」だろうか?)。
ウォルドロンは、アメリカ各地で広がった「公園で寝てはいけない」みたいな条例について触れているが、こうした条例はもちろん「ホームレスと毎日あちこちで出くわすことにうんざりしてきた」(ウォルドロンの論文に引用されたニューヨークタイムズの記事)市民たちの要望に応えてできたものだ。しかし、こうした光景は日本でもすでにある程度見られるのではないだろうか。
つまり、日本各地で、「ホームレスが公園を不法占拠している」ことに怒りをつのらせている地域住民がいっぱいいる。それら住民は、「税金も払わないホームレスが公園や駅を不法占拠して」「われわれ住民に迷惑をかけている」と言う。それら住民にとって、公園などで暮らす野宿者とは「社会のルールを守らない」「人様に迷惑をかける身勝手な連中」でしかありえない。
「通常、 自由主義が社会的正義の名の下に福祉政策、富の再配分、 アファーマティヴ・アクションなどを認めるのに対し、リバタリアニズムはこれらをすべて政府による個人の自由の侵害だとして反対する」が、それは「野宿者自業自得論」あるいは「野宿者自己責任論」という極端な形で現実化していることになる(思想としてのリバタリアニズムの多くは、最低限度の生活保障までは否定しない)。「ホームレスになるのは自業自得だから、自分でなんとかすべきだ」「ホームレスのためにわれわれの税金が使われるのは納得できない」というわけだ。その「野宿者自業自得論」は、「税金」であれ「公園や駅」であれ公共の資源の野宿者(ビンボー人)への使用を拒否するという点で態度を一貫させることになるだろう。
ただし、それはアナルコ・キャピタリズム(無政府資本主義)ではない。税金や公園の存在を否定するわけではないからだ。ただ、それはみんなに「公平に」使われるべきであって、例えば野宿者のようなビンボー人に「偏って」使われるべきではない、と言っている(いわゆる「逆差別」!)。
アナトール・フランスが言うように、「厳正なる公平の精神のもと、法は貧乏人と同じく金持ちに対しても橋の下で寝ることを禁じている」。「橋の下」でなくても「公園」でも「税金投入」でも同じ事が言えそうだ。しかし、その「厳正なる公平」って何なのか。


先に言ったように、日本各地で「ホームレスが公園を不法占拠している」ことに怒りをつのらせている地域住民がいっぱいいる。1月28日のところでも触れた掲示板からこうした主張を(断片的に)引用すると、(以下、この掲示板の書き込みから何度か引用するが、それは必ずしもこの掲示板を代表する発言ではなく、野宿者に対して否定的なタイプのものだけを特に引用している。念のため。)
「弱者だからといって、何をしても許されるものなんですか? みなさんの生活の中で、不法占拠等々同じことをやれますか? できやしないでしょう? 弱者云々以前の、人間としてのモラルの問題でしょう。なぜに彼らなら許されるのですかね。」
「日本のホームレスは恵まれているような気がしますね・・・ 勝手に一等地に住み(駅とか)・税金は払わず(勿論水道・電気)・擁護団体が守ってくれる・食事もある程度は確保できる・等々 まぁ、社会にパラサイトしてるんでしょうね。」
「努力してやっと我が家を築き、平和な住環境を手に入れたと思ったら、目の前の公園に税金も払わず広い土地を占拠するホームレスの集団...」
「そもそも小屋持ちはホームレスなのか? 家(ホーム)なら立派な小屋を持っているではないか。連中は違法な建築物に住み着いて近隣に害を及ぼす、単なる犯罪者集団に過ぎないのではないのか? そんなもの、援助してどうする?」
「ホームレスでなくとも、公園を占拠している人間を近所の人間とは思っていません。占拠している悪質な人間と思っています。」
これらの書き込みから読み取れることの一つは、「弱者云々以前の、人間としてのモラルの問題」として、「違法な建築物に住み着いて近隣に害を及ぼす、単なる犯罪」は許されるべきではない、ということだ。問題は、それが野宿者かどうかなどではなく、単に「公園を不法占拠している」ことにあるのだという。まさに、アナトール・フランスの言う「法の厳正なる公平の精神」である。
確かに「他人の自由を侵さない限りにおいて、人は自由に行動することができる」=「他人の自由を侵害するような個人の自由(身勝手)は許されない」という原則から言うなら、これは妥当な考え方ではないだろうか。
ウォルドロンが代弁して言うように、「他人や公共の財産(土地)に侵入するのは悪いことだから、そのような人としての義務を遂行することは、自由の侵害ではない」(平たく言えば、「悪いことをする自由はない」)という意見はあり得る。公共の土地に野宿者が住むことが「他人が公園を楽しむ自由を侵害する(不法)行為」だとすれば、公共の資源である税金を野宿者の生活の援助のために使うことも、当然に「他人の自由を侵害する」悪となるだろう。(ただ、ウォルドロンはすぐに「このような自由の概念の〃道徳化〃は、皮肉にもバーリンの言う「積極的自由」の方向へシフトすることになる」と注意している)。
しかし、ウォルドロンの論旨は、そうした「厳正なる公平の精神のもと、貧乏人と同じく金持ちに対しても橋の下で寝ることを禁じている法」は、実際にはホームレスのあらゆる自由を抹消することになってしまう、という点に向けられている。事実、アメリカでは「100万人以上の人たちが、眠ったり料理したり食べたり小便をしたり立ってたりするという原初的な人間の行動を行なう場所がなくなった」(ただし、アメリカでは日本のよりまともなシェルター類がメチャクチャ多い)。突き詰めて言えば、ビンボー人は「存在する自由」そのものが剥奪されるのである。


こうした「野宿者が公園や駅などの、みんなが使う場所にいるのは迷惑だ」というセリフについては、ぼく自身はこう答えている(「野宿者がよく言われるセリフ」より)。
〃世の中には大体のところ、路上や公園みたいな、みんなが使う「公有地」か、個人や法人のための「私有地」しかない。「公園や路上などの、みんなで使う場所にいるのは迷惑だ」というのは、野宿者自身が多分一番痛感していることである。公園が自分のために狭くなったり、道が歩きにくくなったりするのは、本当は不本意にちがいない。
しかし、だからといって「公有地」でない「私有地」で生活していると、今度は「不法侵入」かなんかで訴えられてしまうのだ。要するに、野宿者に対して「みんなで使う場所にいるのは迷惑だ」と言うのは、野宿者に対して「消えてなくなれ」と言っているのと同じである。
それに、阪神淡路大震災の時などもそうだったが、災害に遭った人たちは、とりあえず学校や公民館や公園みたいな「公有地」に避難して被災生活を送っていたではないか。こういう「公有地」が、「野宿」という社会的災害(人災)に対する緊急的避難所として使われるのは当然のことだ。「みんなの使う場所」は、とりわけ「今困っている人」のために使われるべきである。
もちろん、公的な(そして生活保護水準以上の)シェルター類、生活保護支援、就労支援などが行なわれ、野宿者が仕事と住居のある状態に復帰するのが一番いいことはいうまでもない。〃
ここで言いたかったのは、「みんなの場所」の「みんな」に野宿者は入るのかということだった。公園占拠問題で問われることの一つは、「みんな」=「われわれの社会」に野宿者が入るのか排除されるのかということである。繰り返すが、公園にテントが建てられている事態は好ましくない。そもそも、公園の野宿者の大多数は「仕事さえあればこんなところで寝ていない」と言っている(というか、事実、仕事があったときには野宿していなかった)。仕事と住居のある状態に復帰するのが、誰にとっても一番いいのだ(仕事ができない人には生活保護である)。
しかしそれにしても、阪神淡路大震災の時、被災者がとりあえず公園などの「公有地」で被災生活を送っていたとき、「なんであいつらはみんなのものである場所を占有して使っているんだ」なとど言って責めるアホはいなかった。それに対して、野宿者については多くの人がそう言って責めるのだ。その理由は何なのだろうか。


その一つの理由は、地震などの天災の被災者(あるいは犯罪被害者)は「たまたま」被害にあっただけで全然本人の責任ではないが、野宿者は単に「自業自得」だからだ、というものだと思われる。したがって、いかなる援助も不必要だ(あるいは「かえってよくない」)、ということになる。野宿者は究極のビンボー人のことなので、この見解はつまり「ビンボーなのは単にそいつが悪いからだ」ということである。
こうした意見を再び掲示板から(断片的に)引用すると、
「ホームレスはちょっとしたことで陥るんじゃない、やっぱり本人に重大な過失があったからそうなったんですよ。酒やバクチの放蕩の末や、やくざ者や前科者のなれの果てもかなりの割合を占めている。肉親と音信不通になるなんてのもやっぱりそれだけの不義理や失態をしてるからだと思うがね。そりゃ中には商売でだまされたとか、保証人になって借金を背負ったという本当に気の毒な人間もいるだろうがそれも究極は本人責任ですよ。」
「結局は落伍者なんでしょ?若いときからちゃんと人生設計たてて、会社がどうなろうとちゃんとしてたら、ホームレスなんて選択肢にはならないんじゃ? 若いとき国民年金もちゃんとかけずに、年老いてから収入がないとかつて、生活保護受けるやつと一緒じゃん。だから私はちゃんと国民年金はらってまーす。学生だけど。」
「駅まで徒歩0分、うらやましいでーす。大人たちが人間のクズって言うから、クズなんだと思いまーす。人生はゲームです。生き残って、価値のある大人になりましょう。」
(ついでながら、「ホームレスは働くのが嫌いな人間だ」という偏見も相変わらずだが、それについては例えば厚生労働省が2003年に全国の野宿者を対象に行なった調査がある。それによると、路上生活に至った理由は、「仕事が減った」が 35.6%、「倒産・失業」が 32.9%、「病気・けが・高齢で仕事ができなくなった」が 18.8%となっている。まあ、行政の調査を鵜呑みにするのもいろいろと問題はあるが)。
こうして見ると、天災の被災者(あるいは犯罪被害者)と野宿者(というかビンボー人)との違いは、「たまたま」か「自業自得」(「自己決定・自己責任」)かどうかという点に集約されるようである。
もちろん、この手の「自己責任だからほっとけ」論はおかしいので、以前に引用した松沢呉一の言うように、
「危険をわかっていたのだから救出する必要がない、なんて論理が通用するなら、国はムチャクチャ楽ですわ。どんどん志願する自衛官を戦地に送り込んで、あとのことは知らんぷり。海外の日本人はなにがあっても自業自得、海で溺れる人も自業自得」「そもそも東京には遠からず大地震が来ることがわかっているんですから、東京の人たちが地震で死ぬのは自業自得です」
ということになってしまう。
しかしそれにしても、野宿者を筆頭とするビンボー人は、本当に「自業自得」「自己決定・自己責任」なのだろうか。そして更に言えば、「ホームレスが公園に住みついている」ことに地域住民が怒りをつのらせているのは、本当に「公共の土地を占拠しているから」という「法の厳正なる公平の精神」によるのだろうか?


その9・人生をゲームで考える→「いす取りゲーム」■(6.14) 


すでに引用したように、某掲示板では「大人たちが人間のクズって言うから、(ホームレスは)クズなんだと思いまーす。人生はゲームです。生き残って、価値のある大人になりましょう」という書き込みがあった。すなわち、「ホームレスは人生というゲームの敗者(クズ)である」。
ところで、ぼくは前からゲームの概念を通して「自業自得論」や社会の中での「偶然」の問題を扱えるのではないかと思っていた。例えば、チェスの比喩(日本では将棋)がいろんな局面で有効であることは、ルイス・キャロルやソシュール、ウィトゲンシュタインの昔から知られている。そのように、ゲームの概念を使ってわれわれの現実を単純化し、さらに別の見方を提示することも(やり方によっては)できるかもしれない。
上の書き込みが言う「ゲーム」は、「生き残って、価値のある大人になりましょう」とあるように、「勝者」と「敗者」が発生するタイプのゲームのようである。実際には、ゲームはその性質によって2種類に分類することができる。つまり、「競争ゲーム」と「協力ゲーム」である。
「競争ゲーム」は、相手を負かすことを目的に行うゲーム、つまり「勝者」と「敗者」が発生するタイプのゲームを言う。例としては「テニス」「チェス」「サッカー」「いす取りゲーム」などがある。「協力ゲーム」は、参加者が協力し合って結果を求めるゲームであり、例えば「蹴鞠」「伝言ゲーム」などがある。
ここで使えるのは、「いす取りゲーム」の比喩である。


(以下、「いす取りゲーム」と「カフカの階段」の比喩についてから多くを引用)
「いす取りゲーム」の比喩は、「野宿者自業自得論」に対する答えとして、ぼくがよく使っている。野宿者問題の授業などで、生徒が「やっぱり野宿になるのは自業自得ではないかと思うんですが」と質問してくることがよくある。それに対して、例えばこう答える。
個人の努力の問題と社会の構造の問題は別です!
例えば「いす取りゲーム」を考えてみよう。人数に対していすの数が足りなくて、音楽が止まると一斉にいすを取り合うあのゲーム。例えば、いすの数が3つで、プレーヤーが5人の場合、3人が座れて2人があぶれる。これは間違いなくそうなる。
さて、確かにいす取りゲームでいすをとれなかった人は「自分の努力が足りなかった。自業自得だ」と思うかもしれない。けれども、いすの数が人数より少ない限り、何をどうしたって誰かがいすからあぶれるのだ。仮にその人がうんと努力すれば、今度は他の誰かのいすがなくなってしまう。仮りに、すべての人が今の100倍努力したとしても、同じ人数がいすを取れないことでは全然変わりがない。要するに、問題は個人の努力ではなくて、いすの数の問題、つまり構造的な問題なのだ。
この場合、いすとは「仕事」のことだ。仕事がなくなれば、収入がなくなり、いずれは家賃も払えなくなり、最後には野宿に至るというのは当然な話だ。
今、失業率が5%を越えているが、これは要するに、いすの数が極端に不足している状態だ。そのため、今まで普通に仕事をしていた人が、どんどん野宿になっている。もちろん個人個人の事情はいろいろあるので一概には言えないが、総体として90年代以降に日本で野宿者が激増したのは、間違いなく「いすが減った」から、つまり「仕事がなくなった」からだ。突然、「努力が足りない人が増えた」なんて話ではない。
 

この比喩は授業でよく使っているが、「わかりやすい」「シンプルで強力」と好評なようである。
しかし、実際には「椅子取りゲーム」は「競争」の比喩として適切とは言えない。つまり、音楽が止まったときに椅子を取り合うあのゲームは、その勝敗をほとんど「偶然」にまかせている。「椅子の前で足踏みする」、「人を暴力で押しのけて座る」といった違反行為がなければ、椅子取りゲームは体力や学力にほとんど関係しない、むしろ非常に公平なゲームと言える。その意味で、椅子取りゲームは「くじ引き」をゲーム化したものに近い。われわれが椅子取りゲームをしたとき感じる一種の爽快感は、この「公平」さのためなのだろう。
「競争社会」の比喩としては、本当は「椅子取りゲーム」よりも「ビーチフラッグ」の方が適当だろう。後ろ向きに腹這いになり、スタートの合図とともに遠くの旗を取り合うあのゲーム。これは明快に体力の「強い者」が勝つゲームである。しかも、現実社会に当てはめて考えれば、スタート地点自体、すでに格差が作られている。つまり、家庭において「資産」がある、あるいは両親の「学力」が高いこどもが、その後の学力競争に関してかなり有利であることはよく知られている。スタート地点ですでに格差があるわけである。こうして、ある程度以上のスタート格差が生じた場合、不利な立場の者の一定部分は、「競争」を早々とあきらめて「今を楽しむ」方向に向かうことになる。(これは「まったり」とか言われている)。
以上のような事情にもかかわらず「椅子取りゲーム」の譬えを使うのは、ひとえにその「わかり易さ」のため、そしてより重要な点として、失業や野宿に陥るのは「たまたま」だったのではないか、何らかの要因がたまたま重なれば誰でもそうなる可能性があったのではないかということを暗示するためである。つまり社会における「偶然」性の問題を示す意味がある。


授業の中で、「仮りに、すべての人が今の100倍努力したとしても、同じ人数がいすを取れないことでは全然変わりがない」と言ったが、椅子を取るために「仮に1000倍、100万倍努力」しても、もちろん結果はまったく同じである。結果が同じだとすれば、この「1000倍、100万倍」の努力はまったく「無駄な努力」だったということになる。
とすると、仮に音楽がなかなか止まらなくて、なおかつ参加者が「100万倍の努力」をしていれば、いずれゲームの参加者はばたばたと「過労死」してしまうかもしれない。そして、ゲームは「椅子の数」と「人間の数」が同数になるときに終了するだろう。これはブラックジョークではない。現実に、野宿者の多くは仕事を求めても得られず、その結果として野宿に至り、最悪の場合に路上死している。


「椅子取りゲーム」の比喩を使って野宿者の「自業自得論」について触れたとき、生徒の感想には次のようなものもあった。
「でもそのいすにすわれなかった人は、どりょくがたりないと思う。あまった2人は、つぎのいすとりゲームをしたらいいと思う。それでもすわれない人は、ひっしにしてないと思う。人間死ぬきでしたらなんでもできる。人生勝組になる!!」
「自分は、余った人には絶対ならないようにがんばろうと思った」(「人生はゲームです。生き残って、価値のある大人になりましょう」というのとほぼ同じ)。
しかし、こうして競争のゲームに乗っかって「死ぬ気で」「がんばろう」としても、全体の結果は変わらないとすれば、それは無意味かもしれないではないか。そうではなくて、むしろゲームの規則を変えてはどうか、という話がありえるわけである。
(引用終わり)


この「いす取りゲーム」の比喩は何年か使ってそれなりに重宝しているが、ただ、この問題は少し違った視点から捉え直すことができるのではないか、という気もしていた。というのは、これは文芸批評家の山城むつみや中島一夫が取り上げたのを読んで知ったのだが、石原吉郎に「ペシミストの勇気について」というエッセイがある。そして、そこで描かれたシベリアの囚人たちの状況が、「いす取りゲーム」と完全に同型だったからだ。したがって、このシベリアの状況について石原吉郎、山城むつみ、中島一夫たちが加えた考察は、ほぼそのまま「いす取りゲーム」状況について参考にすることができる。(以下は引用が多くなるため次に回す)。


その10・「ペシミストの勇気」とゲームの偶然性■(6.18)


石原吉郎はエッセイ「ペシミストの勇気について」の中で、ソ連の強制収容所でももっとも悪い環境に属すると言われるバム(バイカル・アムール鉄道)沿線地帯での囚人体験を描いている。

バム地帯のようた環境では、人は、ペシミストになる機会を最終的に奪われる。(人間が人間でありつづけるためには、周期的にペシミストになる機会が与えられていなければならない)。なぜなら誰かがペシミストになれば、その分だけ他の者が生きのびる機会が増すことになるからである。ここでは「生きる」という意志は、「他人よりもながく生きのこる」という発想しかとらない。バム地帯の強制労働のような条件のもとで、はっきりしたペシミストの立場をとるということは、おどろくほど勇気の要ることである。なまはんかなペシシミズムは人間を崩壊させるだけである。ここでは誰でも、一日だけの希望に頼り、目をつぶってオプティミストになるほかない。(収容所に特有の陰惨なユーモアは、このようオプティミズムから生れる)。そのなかで鹿野は、終始明確なペシミストとして行動した、ほとんど例外的な存在だといっていい。
 たとえば、作業現場への行き帰り、囚人はかならず五列に隊伍を組まされ、その前後と左右を自動小銃を水平に構えた警備兵が行進する。行進中、もし一歩でも隊伍を離れる囚人があれば、逃亡とみなしてその場で射殺していい規則になっている。警備兵の目の前で逃亡をこころみるということは、ほとんど考えられないことであるが、実際には、しばしば行進中に囚人が射殺された。しかしそのほとんどは、行進中つまずくか足をすべらせて、列の外へよろめいたために起っている。厳寒で氷のように固く凍てついた雪の上を行進するときは、とくに危険が大きい。なかでも、実戦の経験がすくないことにつよい劣等感をもっている十七、八歳の少年兵にうしろにまわられるくらい、囚人にとっていやなものはない。彼らはきっかけさえあれば、ほとんど犬を射つ程度の衝動で発砲する。
 犠牲者は当然のことながら、左と右の一列から出た。したがって整列のさい、囚人は争って中間の三列へ割りこみ、身近にいる者を外側の列へ押し出そうとする。私たちはそうすることによって、すこしでも弱い者を死に近い位置へ押しやるのである。ここでは加害者と被害者の位置が、みじかい時間のあいだにすさまじく入り乱れる。
 実際に見た者の話によると、鹿野は、どんなばあいにも進んで外側の列にならんだということである。明確なペシミストであることには勇気が要るというのは、このような態度を指している。それは、ほとんど不毛の行為であるが、彼のペシミズムの奥底には、おそらく加害と被害にたいする根源的な問い直しがあったのであろう。そしてそれは、状況のただなかにあっては、ほとんど人に伝ええない問いである。彼の行為が、周囲の囚人に奇異の感を与えたとしても、けっしてふしぎではない。彼は加害と被害という集団的発想からはっきりと自己を隔絶することによって、ペシミストとしての明晰さと精神的自立を獲得したのだと私は考える。
 翌年夏、私たちのあずかり知らぬ事情によって沿線の日本人受刑者はふたたびタイシェットに送還された。私たちのほとんどは、すぐと見分けのつかないほど衰弱しきっていたが、そのなかで鹿野だけは一年前とほとんど変らず、贖罪を終った人のようにおちついて、静かであった。〃
〃 メーデー前日の四月三十日、鹿野は、他の日本人受刑者とともに、「文化と休息の公園」の清掃と補修作業にかり出された。たまたま通りあわせたハバロフスク市長の令嬢がこれを見てひどく心を打たれ、すぐさま自宅から食物を取り寄せて、一人一人に自分で手渡したというのである。鹿野もその一人であった。そのとき鹿野にとって、このような環境で、人間のすこやかなあたたかさに出会うくらいおそろしいことはなかったにちがいない。鹿野にとっては、ほとんど致命的な衝撃であったといえる。そのときから鹿野は、ほとんど生きる意志を喪失した。
 これが、鹿野の絶食の理由である。人間のやさしさが、これほど容易に人を死へ追いつめることもできるという事実は、私にとっても衝撃であった。そしてその頃から鹿野は、さらに階段を一つおりた人間のように、いっそう無口になった。
 鹿野の絶食さわぎは、これで一応はおちついたが、収容所側は当然これを一種のレジスタンスとみて、執拗な追及を始めた。鹿野は毎晩のように取調室へ呼び出され、おそくなってバラックに帰って来た。取調べに当ったのは施(シェ)という中国人の上級保安中尉で、自分の功績しか念頭にない男であったため、鹿野の答弁は、はじめから訊問と行きちがった。根まけした施は、さいごに態度を変えて「人間的に話そう」と切り出した。このような場面でさいごに切り出される「人間的に」というロシア語は、囚人しか知らない特殊なニュアンスをもっている。それは「これ以上追及しないから、そのかわりわれわれに協力してくれ」という意味である。<協力>とはいうまでもなく、受刑者の動静にかんする情報の提供である。
 鹿野はこれにたいして「もしあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない。」と答えている。取調べが終ったあとで、彼はこの言葉をロシヤ文法の例題でも暗誦するように、無表情に私にくりかえした。(…)
 私が知るかぎりのすべての過程を通じ、彼はついに<告発>の言葉を語らなかった。彼の一切の思考と行動の根源には、苛烈で圧倒的な沈黙があった。それは声となることによって、そののっぴきならない真実が一挙にうしなわれ、告発となって顕在化することによって、告発の主体そのものが崩壊してしまうような、根源的な沈黙である。強制収容所とは、そのような沈黙を圧倒的に人間に強いる場所である。そして彼は、一切の告発を峻拒したままの姿勢で立ちつづけることによって、さいごに一つ残された<空席>を告発したのだと私は考える。告発が告発であることの不毛性から究極的に脱出するのは、ただこの<空席>の告発にかかっている。
バム地帯での追いつめられた状況のなかで、鹿野をもっとも苦しめたのは、自動小銃にかこまれた行進に端的に象徴される、加害と被害の同在という現実であったと私は考える。そして、誰もがただ自分が生きのこることしか考えられない状況のなかで、このようないたましい同在をはっきり見すえるためにも、ペシミストとしての明晰さを彼は必要としたのである。(…)
 私が無限に関心をもつのは、加害と被害の流動のなかで、確固たる加害者を自己に発見して衝撃を受け、ただ一人集団を立去って行くその<うしろ姿>である。問題はつねに、一人の人間の単独な姿にかかっている。ここでは、疎外ということは、もはや悲惨ではありえない。ただひとつの、たどりついた勇気の証しである。
 そしてこの勇気が、不特定多数の何を救うか。私は、何も救わないと考える。彼の勇気が救うのは、ただ彼一人の<位置>の明確さであり、この明確さだけが一切の自立への保証であり、およそペシミズムの一切の内容なのである。単独者が、単独者としての自己の位置を救う以上の祝福を、私は考えることができない。
 いまにして思えば、鹿野武一という男の存在は私にとってかけがえのないものであった。彼の追憶によって、私のシベリヤの記憶はかろうして救われているのである。このような人間が戦後の荒涼たるシベリヤの風景と、日本人の心のなかを通って行ったということだけで、それらの一切の悲惨が救われていると感ずるのは、おそらく私一人なのかもしれない。



ここで語られる「犠牲者は当然のことながら、左と右の一列から出た。したがって整列のさい、囚人は争って中間の三列へ割りこみ、身近にいる者を外側の列へ押し出そうとする」という状況は、ほぼ「いす取りゲーム」そのままである。確かに「ここでは加害者と被害者の位置が、みじかい時間のあいだにすさまじく入り乱れる」。
石原吉郎が言うように、「ここでは『生きる』という意志は、『他人よりもながく生きのこる』という発想しかとらない」。これは「いす取りゲーム」の場合、誰かが「いすを取る」ことが即ち誰かが「いすからあぶれる」というのと同じである。石原吉郎は「ここでは誰でも、一日だけの希望に頼り、目をつぶってオプティミストになるほかない」と言う。ここでいう「オプティミストになる」とは「他人よりもながく生きのこる」という意志だが、それはわれわれの社会では、例えば「人生はゲームです。生き残って、価値のある大人になりましょう」という言葉として表現されるだろう。
「いす取りゲーム」状態の中では、(鹿野をもっとも苦しめたという)「加害と被害の同在という現実」から抜け出ることは不可能であるように見える。では、その中で「加害と被害の流動のなかで、確固たる加害者を自己に発見して衝撃を受け、ただ一人集団を立去って行く」行為は何を意味するだろうか。それは、「いす取りゲーム」の中では、「いすを取る」ことを「どんなばあいにも進んで」拒否するということにあたるだろう。
例えば「いす取りゲーム」が強制されている状況で「どんなばあいにも進んで(いすの)外に」立ったとすれば、それは選別性と偶然性とから成る「(いす取り)ゲームの規則」をある形で相対化し、さらにその規則を機能不全させ、場合によっては規則を変えていく可能性を示唆しうる。つまり、プレーヤーがゲームをしながら次第にゲームの規則そのものを変えていくという場合である。これは、現実的には「どんなばあいにも進んで」野宿者の立場から考え行動する、と言うことを意味する。仮りに、「いす取りゲーム」の中で一定数以上のプレーヤーがこのような行動を取り始めれば、「ゲームの規則」は維持されない。そのとき、「いす取りゲーム」と同じ条件の中で「競争ゲーム」ではなく「協力ゲーム」が成立する可能性が現われる(しかし、それはあくまで公平性と偶然性から成るゲームとしてである)。
中島一夫は、「媒介と責任――石原吉郎のコミュニズム」(「新潮」2000年11月号)の中で次のように言っている。

「連帯において被害を平均化しようとする衝動」すなわち「集団化」と、囚人たちが「人間として完全に均らされた」状態になるという「平均化」は明確に区別しなければならないだろう。「集団化」は「加害と被害が対置される場」に発生するものであり、「平均化」は平等を基礎づけ「加害と被害の同在=流動」の場を準備するものだからである。むろん後者がなければ前者はないのだが、前者を後者の必然の帰結と捉えてしまってはならないのである。〃
〃石原はラーゲリの極限状況における加害と被害の同在=流動から生存と淘汰を分かつ偶然性を見つめていた。石原はそこにある偶然性を「賭け」と読んだが、この「賭け」はまさに論理的には価値形態Aにおいて平等なaとbが対峙した時(これを石原は「敵」と呼んだ)、必然的に左辺と右辺に分かれてしまう偶然性を示していると言えるだろう。鹿野の「もしあなたが……」という言葉が、論理的に価値形態Aを示しながら、「人間である」「人間ではない」という激烈な調子を帯びてくるのは、まさに極限状況においては左辺と右辺の分岐が、そのまま生存(人間である)と淘汰(人間ではない)となって現われてしまうからである。石原はこの淘汰された者たちに「負い目」を抱いていたが、それは生存している自らと淘汰された死者を分かつ境界が、全く偶然かつ相対的なものにすぎなかったからであった。いつでも彼らは入れ替わっていたかもしれないのである。(…)「負い目」は、共同体的な間柄ではなく、平等をもって対峙した者との交換関係において見いだされるものだ。従って石原は「負い目」を心理的な負債感情として抱き続けるのではなく、この「負い目」からある倫理的な「責任」を実践していくだろう。〃

中島一夫の場合、焦点は「加害と被害の流動のなかで」現われる「平等=偶然が支配する『賭け』の世界」にある。ここでは「加害と被害にたいする根源的な問い」を通して、その「境界が、全く偶然かつ相対的なものにすぎなかった」こと、「いつでも彼らは入れ替わっていたかもしれない」ということ、そこから「負い目」と倫理的な「責任」を導き出されることになる。これは、中島一夫によれば「コミュニズムの核心」である。
石原吉郎は、「私たちはおそらく、対峙が始まるや否や、その一方が自動的に人間でなくなるようなそしてその選別が全く偶然であるような、そのような関係が不断に拡大再生産される一種の日常性ともいうべきものの中に今も生きている」(「三つのあとがき」)」と言う。それは事実なのだろう。現在の野宿をめぐる状況でも、シベリアでの行動と同様に「対峙が始まるや否や、その一方が自動的に人間でなくなるようなそしてその選別が全く偶然であるような」「いす取りゲーム」状態が存在している。事実、「いすとりゲーム」の中では加害と被害の境界は「全く偶然かつ相対的な」はずである。


もちろん、ここで次のような反論があり得る。失業と野宿をめぐる現実の「いす取りゲーム」では、加害と被害の境界は「全く偶然かつ相対的なもの」とは言えないのではないか。事実、失業と野宿の比喩としては、すでに言ったように「椅子取りゲーム」よりもむしろ「ビーチフラッグ」の方が適当だ。それは明快に体力の「強い者」が勝つゲームである。実力のある者が「地位や収入」などで優位に立ち、弱い者、失敗した者が劣位に来るというのは、資本主義の世の中では仕方のないことではないだろうか。
こうした見方は、すでに引用した掲示板の書き込みではこのように語られる。
「このBBSのみならず、よく目にするのが『この不景気、リストラとかで誰がホームレスになってもおかしくない、人事ではない、だから救わねばならない』という人格者。ほんとにそうなのかね。
普通の暮らしをしていて、ある突如としてホームレスになっちゃったという人身近にいますか?そう言う人が周囲にいるなら逆に真っ先にそれをご本人が救ってるはずだし、そんなこと軽軽しく書けないよな。まじめに律儀に勤勉に生きて、生活設計を持っていれば多少の困難は乗り越えていけるのが不通だよ。それをありがちのことと一般化してもらうのには同意しかねる。
ホームレスはちょっとしたことで陥るんじゃない、やっぱり本人に重大な過失があったからそうなったんですよ。(…)」


こうした(ありがちな)発想には、大きく言って2つの問題が含まれている。常識的なことかもしれないが、やはり指摘しておく必要があるだろう。
一つは、ミクロの問題とマクロの問題の混同である。上の発想には確かにある種の説得力がある。しかしそれは、個々の場合、つまりミクロな視点から考えた場合だけである。一人一人については、「こうすればよかったね」「今度はこうしたら」という反省やアドバイスは当然あり得るし、われわれもする。しかし、数万のレベルで野宿者が増える全体状況についてはそうではない。それについては、「人数に対して仕事(いす)が減ってきた」という構造的問題として考えなければしょうがない(でなければ、「まじめな人が日本で突然減ったきた」というとんでもない結果になってしまう)。まさに上の書き込みが言う通りで、個々のケースを「ありがちのことと一般化してもらうのには同意しかねる」のだ。われわれは、プレーヤー全員が今の何百倍、何万倍努力しても、同じように「(例えば)3人座れて2人があぶれる」という現在の「いす取りゲーム」構造を見なければならないのではないか。

もう一つの問題は、「実力のない者、過失をした者は(偶然とかではなく)自己責任・自業自得だから、たとえ野宿になっても放っておけばいい」のかという問題である。これは一般的には、実力のある者が「地位や収入」などで優位に立ち、弱い者が劣位に来るのは仕方がないという問題と一緒にされることが多いようだ。
この点については二つのことが言える。
一つは、「収入格差」の問題と「最低限度の生活の不可能」の問題とのちがいである。
例えば、実力に応じて2人の収入がそれぞれ月収「100万円・200万円」であることと、それぞれ「3万円(野宿者の平均的な月収)・103万円」であることでは、「数字の差は同じ」でも実質において全く意味が異なる。つまり、「100万と200万」は「程度の差」だが、「3万と103万」では、「健康で文化的な最低限度の生活」が維持されず、そのままでは片方が「(下手すると)死んでしまう」からだ。
つまり、一般的な収入の「格差の問題」とは別に、生活保護費程度の収入(現在、月に12万円程度か)の確保が、人間の生存を支えるデッドラインとして考慮されなければならない。例えば現代の(まともな)政治思想で「収入が少なくて生活できない人間は放っておけばよい」と言うものはまず存在しない。「収入の格差」は認めても「最低限度の生活」の保証は認める、というのが常識というか「自明な前提」だった。
しかし、野宿者問題で明らかになってきたことの一つは、行政や一般市民の間では「最低限度の生活」の保証すら「自明」ではなくなっている、ということなのではないか。野宿者の存在を眼の前にすると、「ホームレスはちょっとしたことで陥るんじゃない、やっぱり本人に重大な過失があったからそうなったんですよ」「働きもしない連中を、税金投入して養っている事は間違っている」という意見が現われる。一言で言えば、これらの市民たちは、新たな形の「貧困」問題を直視することをひたすら拒否しようとしているのかもしれない。
さらにもう一つの問題は、実力のある者が「地位や収入」などで優位に立ち、弱い者、失敗した者がその逆(例えば「野宿」)になるのは仕方がない、なぜならそれは「自業自得」あるいは「自己責任」だから、という発想には、「偶然」の概念が完全に欠落しているということである。ここでは、石原吉郎が言った「私たちはおそらく、対峙が始まるや否や、その一方が自動的に人間でなくなるようなそしてその選別が全く偶然であるような、そのような関係が不断に拡大再生産される一種の日常性ともいうべきものの中に今も生きている」という「日常性」への洞察がまったく欠落している。
もちろん、社会の中で「実力主義」「自己責任」によって考えなければならない領域があるのは当然だ。しかし、その一方で、「偶然性と選別性」の領域を無視することもできないのではないか。そして、この「偶然性と選別性」は、ゲームの概念によってシンプルに表現することができるだろう。ゲームにおけるこの「運」の問題から、社会における「負い目」と「責任」を考察した論考が最近現われており、参考にすることができる。


その11・ゲームの偶然性(指運)と所得再分配■(6.22)


数年前、「サイバー経済学」で様々な数理経済理論を鮮やかに解説してみせた小島寛之は、「確率的発想法」(2004年2月)で経済学の幾つかの理論を「不確実性」や「確率の時制」などの問題から読み直す試みを行なっている。その中に、次のような記述がある。

以前、ある棋士から次のようなことばを聞いたことがあります。「ホームレスの方々を見ると、ときどきこんなことを思う。あのとき、銀を左下ではなく右下に引いていたら、今自分はこの人だったかもしれない」。
この棋士はたぶん、残り少ないもち時間に追われながら、銀の駒をどちらに引くべきか最終的に読み切ることができなかったのでしょう。そうして、ほとんど単なる偶然で銀の駒を左下に引いたのでしょう。それは結果的に正解でした。しかし、このあとこの棋士には、「銀を右下に引いたことで生じたかもしれない世界」がつきまとうことになりました。なぜなら、この可能性を付与しないと、棋士は自分の現在を正当に評価しえないからです。もしもこの棋士が、銀を右下に引いてこの勝負に敗戦したとしたら、そのあとの棋士生活が大きく変わっていた、そんな勝負だったに違いありません。棋士の発言はそれを感じさせるものです。高い確率で棋士生命が絶たれ、最悪の場合、ホームレスになっていた可能性さえも否めない、そうこの棋士は回想しているわけです。
このとき、この棋士の現在の地位や名声や所得は、100%この棋士に帰属するといえるでしょうか。単純な見積もりをすれば、決断の時点で左下が右下に対して確たる優位性がなく、あとになって左下が論理的な正解だとわかったのだとしたら、「半分の確立の正しい方をたまたま、しかも意識的な攪乱(ママ)状態としてではなく選んだにすぎない」ということになります。このとき、この棋士の現在の所得の半分は自分のものではない、といっても過言ではありません。この棋士の発現には、そういう「居心地の悪さ」が現われているといえます。
もちろん、「偶然であっても勝ちは勝ち」という見方もあるでしょう。しかしこの棋士は将棋を丁半ばくちとは違う論理的な推論と見ています。納得いくまで考えて勝ったのであれば、それはすべて自分の手がらだと思えるでしょうが、自分の意志ではない形で結果に身を委ねたことは、たとえ「勝ち」をもたらしたとしてもこの棋士の見すごしの帰結であり、不本意な気分を残すのは潔い態度といえます。
このように、人々が自分の判断の過誤を見つけ、自分の地位や所得のいくばくかは事前の最適化の産物ではないと知ったなら、その居心地の悪さを解消するためにその人は「過去を最適化」すべきでしょう。それは過誤に対する支払い、あるいは「そうであったかもしれない自分」に対する支払いと呼ぶべきものです。よく麻雀ゲームで、テンホウやチュウレンポウトウなどをあがったプレーヤーが、他のプレーヤーたちに食事をおごったりします。これは、「祝いごとのふるまい」という意味もありますが、それよりも、自分に実力を超える幸運が働いたことに対するばつの悪さを解消するためのふるまいだと考えるほうが正しいでしょう。
このように考えるとき、「過誤に対する支払いの再最適化」を是とするならば、ジョン・ロールズが主張しているマックスミン原理に別の根拠を与えることが可能だと著者には思えます。「もっとも不遇な人たちの利益が最大になるように社会を設計する」、ということは成功者からの富の移転を前提としています。この富の移転は何を意味するのでしょうか。それは決して慈悲やほどこしではなく、「自分がそのもっとも不遇な人であったかもしれない世界」「現在そういう不遇な立場にないのは、全部が自分の推測の正しさやそれに応じた備え方や努力の産物であるわけではなく、一部はある種の過誤の帰結であること」、そういうことへの支払いだと考えたらどうでしょうか。
(…)
たとえば、わたしたちは、身体的な不自由あるいは知的な障害をもって生きる人々を眼にすることで初めて、自分がそのようにあったかもしれない世界を知ります。これは、自分のこれまでの人生の捉え方に過誤があったことを知らしめます。現在の自分のありようすべてが、そのような不自由や障害に対して(たとえば保険をかけるなど)事前に対処をした帰結であるわけではなく、実際は想定していなかった(障害を負うという可能性)が偶然生起しなかったにすぎない、と知るからです。これはいわば無知のベールの帰結です。
このとき、わたしたちは「事前に自分が障害をもつ可能性があると知っていたらしたであろう備え」を、偶然そうならなかった事後になすことができます。これは、わたしたちが、無知ゆえに行なわなかった備え(かけなかった保険)が、幸運によってたまたま不要であったとしても、過去を最適化するために支払うものです。こういう通念のもとでは、障害をもつ人々への富の移転が行なわれることや、彼らへの配慮で日常生活の設備や制度に多少の不自由を我慢することは、障害者のためではなく、「健常者」の側の個人的な最適化行動だということができます。


将棋には「指運」という言葉がある。将棋は、基本的には「実力のある者が勝つ」ゲームだが、その中には不確定要因つまり「読み切れない」要素が多くあり、ある手を指したことがその後のゲーム展開にどう関わってくるかを計算し尽くすことが不可能な場合が多い。例えば「銀を左下に引くか右下に引くか」という選択肢があり、なおかつどちらが良い手かを読み切ることが出来ない場合、半ばは「運に任せて」どちらかを選ぶしかない。このような場合を「指運」と言う。確かにその手を指したのが自分だとしても、(自分というより)「指が選んだ運」としか表現できないからだ。
仮りに、「人生はゲームです。生き残って、価値のある大人になりましょう」という発想が正しく、人生は基本的に「実力のある者が勝ち組になる」ゲームだとしても、このゲームは、将棋以上に不確定要因が多く、「運」が左右する要素が明らかに大きいだろう。人生の場合も、(自分というより)「指が選んだ」としか表現できない偶然が大きく左右している。その結果を「自分が選んだのだから自分の功績」(自己決定・自己責任)と言うのは、上の棋士の場合、「銀を右下に引いたことで生じたかもしれない世界」を抹消してしまうことに等しい。しかし、「この可能性を付与しないと、棋士は自分の現在を正当に評価しえない」のではなかったか。
「このあとこの棋士には『銀を右下に引いたことで生じたかもしれない世界』がつきまとう」。様々な偶然が関与する「人生=ゲーム」の中では、非常に多くの「そうだったかもしれない世界」がつきまとうだろう。そして、自分の「現在を正当に評価」するためには、それらの世界の可能性を排除することができない。ここで、「固有名」は、可能世界を考慮する限り、様々な「記述」(現実にあった出来事の集合)に還元することが不可能であるという理論を思い出すと、「私」という固有な存在を「正当に評価する」には、様々な「記述」(こういうことを選んだ、こういう事をした、こういうところで生まれた…)を並べることでは不可能であること、そこに「こうであったかもしれない世界」を想定しなければならない、と言えるだろう。
おおざっぱな言い方だが、かけがえのない「私」を正当に評価するためには、「こうであった世界」と同時に「そうでなかったかもしれない世界」を考慮しなければならない。そして、「そうでなかったかもしれない世界」を最も明白に示すのが「偶然」である。逆に言えば、「偶然」を排除することによって、人はかけがけえのない「私」を評価し損なう。その典型的な例が、「自分が選んだのだから自分の功績」(自己決定・自己責任)という発想である。
小島寛之は、「このとき、この棋士の現在の所得の半分は自分のものではない、といっても過言ではありません。この棋士の発現には、そういう『居心地の悪さ』が現われているといえます」と言う。ここから(例えば野宿者に対する)「所得の再分配」が「決して慈悲やほどこしではなく」、個人的な最適化行動として解釈する可能性が開ける。また、「障害をもつ人々への配慮で日常生活の設備や制度に多少の不自由を我慢することは、障害者のためではなく、『健常者』の側の個人的な最適化行動だ」とすれば、野宿者の生存への配慮として「日常生活の設備や制度に多少の不自由を我慢すること」(公園や駅が使いにくい、みたいな)も、個人的な最適化行動として解釈することが可能となる。税金や公園のような「公共の資源」はみんなに「公平に」使われるべきであって、例えば野宿者のようなビンボー人に「偏って」使われるのは「逆差別」だ、という発想はよく聞くが、それは例えば障害者のために税金が使われたり施設が改造される(バリアフリー)のは公平性に欠ける「逆差別」だ、という発想と同じである。
ここで小島寛之の言う「居心地の悪さ」「ばつの悪さ」は、別の箇所で「『そうであったかもしれない世界』に対する責任」と表現されている。小島寛之は、大澤真幸の「責任論」に引用された、震災の朝、たまたまいつもより10分早く起きたために家の2階にいて助かり、夫は1回で寝たまま死亡し、それ以来ずっと「死んだのは自分でもよかったのに、夫の方が死んでしまった」という「責任」に苦しめられ、全身麻痺や離人症を呈するようになったという女性の話を紹介しながら、これを「人は終わってしまった過去をも最適化したいと臨むことがある」例だとしている。この女性の場合、その「居心地の悪さ」あるいは「責任」は、「自分だけが命拾いしてしまった異常な幸運」に対する「負い目」として捉えることができるだろう。
すでに引用したように、中島一夫は「ペシミストの勇気」について、「極限状況においては左辺と右辺の分岐が、そのまま生存(人間である)と淘汰(人間ではない)となって現われてしまうからである。石原はこの淘汰された者たちに「負い目」を抱いていたが、それは生存している自らと淘汰された死者を分かつ境界が、全く偶然かつ相対的なものにすぎなかったからであった。いつでも彼らは入れ替わっていたかもしれないのである」と言う。偶然によって「生死」「勝敗」が決まるとき、そこには「負い目」が発生する。「従って石原は「負い目」を心理的な負債感情として抱き続けるのではなく、この「負い目」からある倫理的な「責任」を実践していくだろう」。この偶然に対する「責任」は、中島一夫によれば「コミュニズムの核心」とされる。そして、その逆の方向の「責任」は、リバタリアニズムよりの「自己決定・自己責任」ということになるだろう。「自由」「公平」「責任」という概念は、少なくともこの二つの方向において考える必要があることになる。
(ちなみに、将棋の棋士が「高い確率で棋士生命が絶たれ、最悪の場合、ホームレスになっていた可能性さえも否めない」ような場面とは、間違いなく「三段リーグ」戦を指している。これは、半年のリーグ戦で2名の昇段者(プロ棋士)を決定する典型的な「いす取りゲーム」である。)


その12・偶然性の喪失と犯罪被害者への同一化■(6.26)
                         
(6月29日・かなり変更)


「『愛国』問答」から香山リカの「序」を一部引用。

ビジネスやアカデミズムの世界で、〃成功している〃と言われる若手に会うたび、彼らの人あたりの良さや趣味の良さ(つまり「オヤジくささがない」ということ)に感心すると同時に、彼らが「強い」「正しい」「稼ぐ」「有名になる」ことなどをあまりに屈託なく肯定しているのに驚かされる。
逆に言えば、彼らは「弱い」「正しくない」「稼がない」「無名のまま」が大きらいで、そういう状態にいる人を心底、軽蔑しているのだ。と言うより、「そういう人も、自分と同じ人間なのだ」という意識がそもそも欠落している。自分たちと同類の(と判断した)人間には気持ち悪いほどやさしい彼らなのに、話がひとたび自分たちとは異種の(と判断した)人やできごとの話になると、「あんな犯罪者たちは一生、オリの中にいてもらいたいですよ」とか「ホームレスが町をうろうろするのは汚いですよね」などと手のひらを返したような冷淡な態度を見せる。
彼らのもう一つの特徴は、自分と同類の(と判断した)相手は、自分と同じ価値観を共有しているだろう、と信じて疑っていないことだ。あるとき、ベンチャー企業の若き社長に「精神障害者を簡単に退院させられては、私たちは安心して暮らせませんよね」と正面から言われて、一瞬返答に窮したことがあった。



「その11」で言ったように、「自己決定・自己責任」を追求する90年代以降の社会は、偶然性とそれに基づく「居心地の悪さ」と「責任」を排除する方向性を持っていたように見える。それを感じさせる例は幾つかあるだろうが、その一つとして、ここ10年ほどの間に急速に前面化した「犯罪被害者への同一化」が挙げられるかもしれない。
前提として、従来の司法や医療(例、精神医学におけるPTSDの扱い)、報道のシステムは犯罪被害者の立場への配慮についてあまりに杜撰だった。そうした点について被害者側が声を上げ、それを支援する運動が作られていったのはいわば当然のことだった。
しかし、その流れの中で、日本人の多くの共感が「被害者」の側に集中し、そしてそれに反比例するように「加害者」への「非・共感」あるいは「敵意」が一般化してしまったのはなぜなのだろう。従来だと、「連合赤軍事件」についても「M事件」についても(あるいは「オウム事件」についても)、犯罪そのものは絶対に許されないものとしても、「あれをしたのは私だったかもしれない、私でなく彼だったのは『たまたま』だったのかもしれない」という共感がある程度見られた。そうでなくても、事件について「この点は社会が生み出したと言うべきだ」という構造的な視点が取られることが多かったように思う(構造的ということは、そこでは個々人はある程度「入れ替わり可能な存在」として捉えられるということだ)。
しかし、こうした「共感」の対象は、今では「犯罪被害者」だけに限られてしまったように見える。しかも、被害者に「共感」した人々は、しばしば加害者に対して「市中引き回し」「被害者の気持ちを考えれば、未成年でも死刑にすべきだ」といった、非常に感情的な反応に終始する場合がどうも多い。代表的なのは、「被害者の人権を否定した加害者には人権などない」といった意見である。人権を否定された当事者である被害者が加害者の人権を認めないのはわかるが、当事者でも何でもない人に加害者の人権を認めない権利がどうしてあるのか、まったくわからない。これらは、あくまで「第三者の立場からの共感」というより、被害者の立場への「同一化」「のりうつり」と言った方が適当なのではないか。当然のことだが、みんながみんな被害者に「同一化」していたら、まともな犯罪対策は絶対に成立しない。それに、そもそも同一化する権利は被害者自身にしかない。
加害者ではなく被害者への「共感」が一気に高まったのは、一つには多くの被害者が「自己責任ゼロ」で、さらに「被害に遭ったのはあの人ではなく私だったかもしれない」という想定がきわめて簡単だったからではないだろうか? 「加害者は現場にたまたまあの街を選んだけれど、それは私の街だったかもしれない」「あの時、海岸を歩いていたのは私だったかもしれない」「襲われたのは、私の家族のいる学校だったかもしれない」。こんな具合で、多くの場合、被害者はどこから見ても「たまたま」そうなっただけ(つまり「自己責任ゼロ」)だから、他の人から見ても「共感」は簡単に成り立つ。治安の悪化によって被害者になる確率も上がっているとされるているから、誰にとってもそれはリアリティがある。おまけに、今は「癒し」の時代になっていて、つまりみんな「私は傷ついている」と思っているから、「傷ついた被害者」への共感やノリウツリは一層容易になる。(しかし、「傷」のない人って、いたことあるんですか)。
一方で、加害者への「共感」は、それなりの「偶然性」への想像力が必要だ。一つには、社会構造の視点が、そして個人の性質や境遇のちがいを幾つかクリアして自分とつなげていく想像力が必要とされる。
その困難に輪をかけたのが、加害者の「凶悪化」あるいは「心の闇」である。従来だったら、どうにか想像力を働かせて「理解=共感」できた犯罪が、近頃はさっぱり訳わかんなくなってきたというもっぱらの評判である。確かに「なんで小学生がクラスメイトをカッターナイフで殺すのか」、これはほとんどの人にとって常識を超えている。小学生の年代の心理的な激しさや複雑さはわかっても、それが「殺人」という形で現実化してしまうのはやはり理解を超えるからだ。
こうした少年犯罪の動機の不透明化は、1983年に起きた横浜の野宿者襲撃事件あたりを境に急増したということは常識とされている。大人の犯罪についても、動機が通常の理解を越えている場合がよくある(例、池田小学校の死傷事件)。豊かな社会ゆえの犯罪動機の多様化、不透明化で、「ワケわかんないヤツが関係ない人たち(われわれ)を襲っている」という話になった。これでは、「あれをしたのは彼ではなく私だったかもしれない」という想定がますます困難になってくる。さらに加害者が「外国人」となったら、もう絶望的だ(「野宿者」でもそうだろうな)。これを一言でまとめると、「犯罪を犯して罰を受けるような人間はただの自業自得だから、共感したり理解する必要などない」「犯罪者というのは、われわれとは別種の人間」という反応ではないか。一方で、被害者への同一化はますます易しくなっていく。


しかし、被害者への「共感」が必要なら、それと同様に「加害者」への「共感」も必要だ。それは犯罪問題へのコミットとしては、当然の前提だろう。しかし、そうしたバランスは現在著しく失われているように見える。
この点で気になるのが、香山リカの文章にあった「精神障害者を簡単に退院させられては、私たちは安心して暮らせませんよね」という発想だ。さきに、「被害者への『「共感』が一気に高まったのは、一つには多くの被害者が『自己責任ゼロ』で、さらに『被害に遭ったのはあの人ではなく私だったかもしれない』という想定がきわめて簡単だったからではないだろうか」と言ったが、考えてみれば、精神障害者はそれこそ「たまたまなった」だけ(精神障害は一定の確率で発生する)で「自己責任ゼロ」のはずである(「精神障害者になるのは自業自得」という話は、さすがに今のところ聞いたことがない)。にもかかわらず、「精神障害者は病院から簡単に出すな」という文字通りの「収容主義」を採る人が相当数いるとすれば、それはなぜなのか。香山リカがベンチャー企業の若い社長に答えて言ったように、「精神障害者が危険だ、なんていうのは完全な誤解」だというのに。
香山リカの文章で出てきた「犯罪者」「ホームレス」「精神障害者」という並びを考えてみると、このような予想ができそうだ。多くの人は「世の中が前より複雑(あるいは不透明)になって、わけのわからないヤツが増えてきた」「その証拠に、無差別にあっさり人を殺すような犯罪者が増えているし、何をするかわからないホームレスも増えてきた。こんなヤツらは少し前まではいなかった」「そんなヤツらとは絶対に関わり合いたくない」と考えているのではないか。その空気に乗って、昔から一定の確率で存在している精神障害者についてまでも「あれはわれわれとは別種の人間だ」「ああいうわけのわからないヤツは、自分たちと出くわさないような場所に閉じこめておけ」と発想するのではないか。
「その6」などで言ったように、「治安の低下」に見られるような国家あるいは近代的公共空間の機能不全を、「(最小=最大の)セキュリティ」と新たな共同体道徳で置き換えようという志向が強まっているように思われる。「治安が悪くなったから新式の鍵を付けたりセキュリティ会社と契約する」という個人的対策や、町内や学校周辺に監視カメラを取り付けるという形での「社会のルールを守らない人間は監視し、地域から排除せよ」という流れである。近代的公共空間を支えているのは不特定多数への信頼だが、その信頼が失われればそれを監視や収容で埋め合わせようとする。その先端に立たされているのが、多くの「普通の」人からは理解不可能な「犯罪者」「ホームレス」「精神障害者」なのかもしれない。一方で、「普通」の人々は、「われわれはワケのわかんないヤツらに安全を脅かされている。われわれは潜在的被害者なのだ」と発想する。あくまで「ホームレス」「精神障害者」が加害者であり、「われわれ」が被害者なのだ(!)。したがって、人々は「犯罪被害者への同一化」へいよいよ近づく。
その意味で、「たまたまなっただけ」で「自己責任ゼロ」のはずの精神障害者についてまで「排除と収容」への傾斜が強まっているとすれば、それは、自分が理解しにくい人々への耐性(寛容)が減少していることを示している。これは、近代的公共空間を支えてきた「不特定多数への信頼」が損なわれ、さらに自分たちが理解できない人々(「心の闇」を持つ犯罪者、自分の近隣で不法占拠するホームレス…)が増えてきたことと同時進行だった。「ワケわかんないヤツ」が増え、「不特定多数への信頼」が損なわれた中で、「あれはたまたま彼だっだが、もしかしたら私だったかもしれない」という偶然性への感覚が機能不全を起こしているように見える。
正確に言うと、偶然性の感覚には、人間や社会に対する「構想力」「想像力」が必要だ。被害者への「同一化」には、構想力も想像力も要らない。しかし、被害者への「共感」「理解」には本当は構想力や想像力が必要だ。自分からは理解しにくい人々についてはますますそのことが言える。
宮台真司が前々から「少年犯罪の動機の不透明化」に対して「脱社会的存在」などの解説を施して幾つかの社会的な処方箋を提示し続けていることは(その内容には幾つか疑問はあるが)、その意味で重要な意味を持っている。そうした努力を放棄して、「犯罪者はただの自業自得」「われわれとは別種の人間」などと言っていたら何も始まらないので、たとえ困難な道筋だとしても、犯罪者と「われわれ」あるいは「わたし」をつなぐ理解の方法を作り出さなければしょうがない。「あんな犯罪者たちは一生、オリの中にいてもらいたいですよ」というのが正論なら、人間や社会が持つ意味のうち大きな部分が損なわれてしまうかもしれない。
神戸児童連続殺傷事件加害者が少年院を仮退院したとき、被害者の母親が発表した手記には以下のような言葉があった。
「わたしは決して犯罪者に寛容な被害者ではありません。また決して罪を許してもいませんが、娘ならきっと、凶悪な犯行に及んだ男性が、それでもなお人間としての心を取り戻し、よりよく生きようとすることを望んでいるように思えます。娘のためにも、男性には絶望的な場所から蘇生してもらいたいのです。」
「現実社会は決して甘くはありません。そして、平穏な日々ばかりの人生ではないでしょう。それでも、人間を、生きることを、放棄しないでほしい。それこそがわたしたち遺族の「痛みと苦しみ」を共有することになるのです。」
「これからは「男性が更生する、しない」ということだけに固執するのではなく、むしろ、つらい体験を使命に転換するよう、わたし自身が社会に深くかかわり、自分なりに社会に貢献することにエネルギーを注いでいきたいと思っています。」

ある意味では、すでに起こった犯罪については、加害者が被害者の「痛みと苦しみ」を共有すること、そこから「人間を、生きることを、放棄しない」ということに尽きているのかもしれない。周囲の人間は、それをどのように支援していけるかということになるのだろう。そのとき、「社会に深くかかわる」ことの意味もまた問われるはずである。
野宿者についても、「ホームレスはただの自業自得」「われわれとは別種の人間」という発想がある。野宿者という「究極の貧困」を、「自業自得」という言葉で自分たちから切り捨てようという社会は、言うまでもなくどこかおかしい。ここでもやはり、たとえ困難な道筋だとしても、野宿者と「われわれ」「わたし」とをつなぐ理解の方法を作り出さなければしょうがない。しょうがないと言うのは、そうしなければ、他者との関係や「社会にかかわる」ことの意味が失われるように思われるからである。「われわれ」という形で想定される共同体を、「社会にかかわる」ことへと開いていく必要があるのである。そして、他者への「理解」には偶然性に対する想像力、構想力が必要となる。「社会にかかわる」前提として、「自己決定・自己責任」の原則と同時に、それとはちがう他者との回路を持つ必要があるはずである。


(追加)(7.17)
「世界」2004年7月号の特集「犯罪不安社会ニッポン」がデータに基づいた「不安」の検証を行なっていて参考になる。

「治安や安全に対する人々の関心が高まっている。朝日新聞(2004年1月27日付)の調査では、全体の78%が自分や身内への犯罪の不安を感じており、3月27日発表の内閣府「社会意識に」関する世論調査」でも、「日本社会で悪い方向に向かっていると感じる分野」(複数回答)のうち「治安」を挙げる人は39.5%に上り、前回調査(02年12月)の30.7%から大幅に増加。しかも同じ質問を始めた98年からの5年間では倍増しているという。これに対し、上記朝日新聞の調査では「防犯カメラ」設置賛成が89%に達しているように、治安回復や防犯のための「監視」強化の主張は、当局と世論双方で強まっている」

こうした状況に対し、河合幹雄、杉田敦、土井隆義の座談会「犯罪不安社会の実相」ではこのように言われている。発言から(断片的にだが)引用。

河合 
犯罪件数の増加が言われる根拠は、[犯罪白書」の統計上、刑法犯から人身交通事故を除いた一般刑法犯が九六〜九七年頃から急増し、戦後最高の約二八五万件になったことです。最も簡単な反論は、「認知件数」は実際に起きた事件数ではなく、警察がとる統計を基本にしているため、統計上のトリックが起きてしまっているということです。
 特に、二〇〇〇年と〇一年の爆発的な伸びはそのためです。
警察が統計をどうとっているかというと、すべての被害届がカウントされていたわけではなく、「前裁き」と言って記録をとらないため、統計にカウントされないものがたくさんありました。そうすると刑法犯全体の認知件数は実際より非常に少なく見えますが、逆にきちんとカウントするように方針を変えれば急に伸びる。実際、そうするようにとの警察庁通達が二〇〇〇年四月に出ています。警察庁の「犯罪統計資料」にある月毎の統計を見れば、その効果は、はっきりします。これは恐喝と脅迫の統計ですが、ここ数年、実は件数は横這いであることが非常にクリアに見えてくる。
 また、犯罪件数増加論のもう一つの根拠は、九〇年代から}強盗」が増えてきたとされることですが、これは「強盗」のカテゴリー変更によるものです。いわゆるオヤジ狩りなどの「カツアゲ」は従来なら「恐喝」でしたが、「強盗」に含めたため少年強盗が急増した。その後、少年の強盗は横這いです。また、「ひったくり」は従来は「窃盗」と考えていましたが、現在は相手にカスリ傷でも負わせれば「強盗致傷」とされる。
 とはいえ、こうしたことを差し引いて改めて調べてみると、確かに刑法犯全体では微増しています。ピッキングなどの侵入盗やひったくりなど「財産犯」の場合は、はっきり増加傾向でしょう。しかし、殺人事件が増えていないことは冷静に踏まえる必要がある。つまり、「人命」に関わるか否かを「治安」の基準として定義し直すとすれば、殺人その他により殺された人数は最近でも横這いです。戦後このかた一九八○年代と比べても圧倒的にいまの方が治安がよいと言えます。殺人事件による死亡者は二〇年前の八四年には約一〇〇〇人でしたが、いまは六〇〇人台です。
(…)
 ここ数年、検挙率が大幅に下がっている理由は「余罪の処理」に関わります。たとえばピッキング盗でいえば、三件も検挙すれば「常習窃盗」で括ることができる。同じ被疑者が他に九〇件、二〇〇件やっていようが、後は調書もとらずに放っておくのです。すると残りの分は検挙されなかったことになるから検挙率は途端に下がるけれども、真犯人は捕まっているのです。こんなことは警察白書にさえ説明が出ている当たり前の事実で、それを踏まえずに検挙率が二〇%を切ったと騒いでいる現在の状況は、全くばかげた話です。
編集部
ただ、私たちの治安に対する不安は、このように検挙率の実態を説明されてもなかなか払拭できないと思います。
河合
 いま危険なのは郊外です。郊外にあるコンビニ周辺や繁華街でとても犯罪が多い。郊外の住宅街だけを見ると、犯罪が何倍にも増えたというのはおそらく真実でしょう。要するに犯罪のロケーションが変化したのです。(いい例えではないですが)沈殿していた泥水をかき混ぜたら、至る所でいつ犯罪に遭うかわからないという不安が増したということです。
杉田
 かつては盛り場など、一部のスポットで起こっていた犯罪が遍在するようになると、総量が同じでも、直観的に増えた感じがする、というのは納得できますね。
(…)
土井
 外国人犯罪について言うと、来日外国人と日本人の問に人的な交流や情報の流通があれば防げたはずの犯罪が、彼らがセグリゲートされた世界を生きているために起きている側面もあります。また、精神障害を抱えた人々の事件についても、障害そのものが犯罪の原因なのではなく、障害のために社会との関係性が切断され、それが原因となっているケースが目立ちます。異質な人々を排除して安全を確保したつもりでいるけれども、その排除による関係の切断こそが犯罪を招いている。その意味では、まさに犯罪不安の高まりこそが現実に犯罪を創出している側面があります。しかしこれでは、排除される側だけでなく、する側もまた不幸です。しかもこの不幸は、抑圧的な権力による監視や排除の結果ではなく、「変化」を恐れる私たち自身の心性がもたらした結果です。



その13・イエスの語る日雇労働者の失業と賃金■(6.30)


「いす取りゲーム」を前提にすれば、いすをとれなかった人が発生するのは、いすの数とプレーヤーの数の問題、つまり構造的な問題であって、プレーヤー個人の努力は一切関係ない。
仮りに、「いす」を「仕事」、したがって「いすからあぶれる」ことを「失業」ととらえるとすれば、失業者の発生もまた個人の努力の問題ではなく、「いすの数とプレーヤーの数の問題」、つまり構造的な「失業率」の問題であることになる。だとすれば、失業の責任は個人ではなく、このような「構造」とそれを支えるプレーヤー全員に求める他はない。したがって、「失業の責任」=生活保障は社会全体として行なわねばならない。「いす取りゲーム」の中では、誰がいすをとり誰があぶれるかは「全く偶然かつ相対的なもの」である。そこでは「自己決定・自己責任」という要素は一切入らない。いすを取れなかったは、「たまたま」「偶然」でしかないからだ。
もちろん、現実の失業と「いす取りゲーム」とはいろいろな点で異なっている。たとえば、第1次産業に従事する人と第3次産業に従事する人は「同じゲーム」のプレーヤーと言えるのか、あるいは摩擦的失業の問題はどうなのか、など。さらに、現実の失業と野宿の比喩としては、すでに言ったように「椅子取りゲーム」よりもむしろ「ビーチフラッグ」の方が適当ではなかったか。それは明快に体力の「強い者」が勝つゲームである。ここでは、フラッグを取れなかったのは「たまたま」ではなく、「実力」のせいであり、その意味では「自己責任」である。現実の失業と「いす取りゲーム」との相違は一つにはこの点で、ここで「偶然性」と「自己責任」との境界が問われることになる。
これは古来から議論の絶えないテーマだが、それについて最もラジカルな解答の一つはすでに2000年ほど前に提出されていて、何十億もの人たちがよおく知っている。それは、ナザレの大工イエスが口頭で語った以下のような話である。

ある地主が朝早い時刻に出て行って、自分の葡萄畑のために労働者を雇った。労働者と一日一デナリ(注・本田哲郎訳によれば5000円)の約束がなりたって、葡萄畑に行かせた。ところが第三時(午前9時)ごろにまた広場に出て行くと、仕事にあぶれて立っている者がいたので、地主は言った、
「お前さんたちも、うちの葡萄畑においでなさい。適当な賃金をあげるから」
それで彼らは葡萄畑に行った。地主はまた第六時(正午)と第九時(午後3時)ごろにも出かけて行って、同じようにした。最後にまた第十一時(午後五時)ごろにも出て行ってみると、まだ何人かの者が立っていたので、話しかけてみた。
「お前さんたちは、どうして一日中ここで仕事もせずに立っているのかね」
「誰も私たちを雇ってくれる人がいなかったからですよ」
「ではお前さんたちも、うちの葡萄畑においでなさい」
夕方になると、葡萄畑の主人は執事に命じた、
「労働者を呼んで来て、賃金を支払いなさい。まず最後の者からはじめて、順に最初の者にまで」
それでまず第十一時に雇われた者が出て来て、それぞれ一デナリずつ受けとった。最初に来た者たちは、自分たちはもっと多くもらえるものと思ったのだが、受けとってみると案に相違して、自分たちも同じ一デナリずつだった。それで地主に対して不平を申し立てて言った、
「最後に来た連中はほんのいっとき働いただけじゃないですか。お前様はあいつらにも俺たちと同じだけ払いなさるのかね。俺たちはこの暑いのに丸一日苦労して働いたんだ」
これに対し、地主はその中の一人にむかって答えて言った、
「おいおい、お前さんが文旬を言う筋はないだろう。お前さんは一デナリで働く約束をしたんじゃなかったのか。自分の分け前をもらっておとなしく帰んなさい。私は最後に来た人にもお前さんと同じ賃金を払ってやりたいのだ。それとも私が自分の財布からやりたいだけ払うのはけしからん、とでもいうのかね。わたしが寛大になったからとて、お前さんがやっかむことはないだろう」。(マタイ20.1〜15)

このたとえ話について、ブルトマンは「たとえ人間には理解できなくても、神の意志には絶対服従すべきだ」という倫理を語っていると解し、八木誠一は「神の支配に従ったかどうかが問題なのであって、成し遂げた業績の量が問題なのではない」という意味だと結論しているそうだ。一方、田川健三はこの喩え話について次のように言っている。
「これは譬え話だろうか。もちろん作り話には違いない。けれども、何ごとかを比喩するためにイエスはこのような物語を語ったのか。日雇労働者の問題などイエスにとってどうでもよく、ものの比喩につかった、というだけなのだろうか。それにしては語り口があまりに現実的だ。この話はこれだけで十分に意味が通じる。下手な解説を必要としない。朝早く雇われて丸一目働いた労働者も、夕方まで仕事にあぶれて立ちつくしていた者も、同等に一日分の賃銀をもらうのはいいことだ。いや、そうするのが正しいのだ。――それ以外の結論をこの話から引き出すことができるだろうか。一言で言ってしまえば、能力に応じて働き、必要に応じて消費する、ということだ。もしも運も能力のうちであるとすれば、であるが。たまたまその日の職を見つけられた者は、十分に働くがよい。だがたまたまその日は職にあぶれた者であっても、今目は空きっ腹をかかえて何も食わずにいてよいということはない。
好きで遊んでいたわけではない。働きたくても職がなかったのだ。みなが同じように食って楽しむことができれば、それにこしたことはない。いや、できればそうした方がいい、などということではない。そうなるのが当然だ。敢えて言葉にしてしまえば、それが社会的平等というものだ。それを社会的平等という一つの概念に押しこめてしまえば、味もそっ気もなくなるかもしれぬ。しかし本来社会的平等というものは、このように極めて具体的な、日常生活の、生きた現実の中に実現すべきものだろう」(「イエスという男」。強調生田。引用は三一書房版。増補改訂版が今月出たが買ってない)。
この話は確かになかなか凄い。ぼくも日雇労働は何年もやっているが、こういう話はなかなか聞けない。早朝から仕事した者も、昼から仕事したものも、夕方5時頃から仕事したものも同一賃金というのだ! 確かに「お前様はあいつらにも俺たちと同じだけ払いなさるのかね。俺たちはこの暑いのに丸一日苦労して働いたんだ」と文句を言う人は出てきそうである。しかし、長時間働いた人には多少「色をつける」ことさえすれば、あぶれて仕事がなかった人に一日分暮らせるだけの賃金が入ることには、誰も文句は言わないだろう。
日雇労働者は、仕事があるときもない時もある。仕事があった者は、仕事がなかった友だちに金を渡したりして「メシでも食いなよ」と言っていた。また、仕事がきつすぎるとか条件が悪い現場(「ケタオチ」と呼ぶ)のときもあれば、ウソみたいに楽チンな現場のときもある。ケタオチのときは、体力がない人に「まあ、休んどきな」と言って、余裕のある者が余分に働いたりした。が、もちろんだからといって余分な金をもらったりはしなかった。要するにその場その場で助け合っていたわけだ。
上のたとえ話の場合、例えば地主が仕事の量そのままに「5時から組」が「早朝組」の賃金の10分の1とかに設定したとしたら、釜ヶ崎の日雇労働者はみんな「そりゃあんまりだ」と思うだろう。「(例えば)500円じゃあ、ドヤ代にもならんじゃないか。せめて3000円ぐらい出せよ、ずっと仕事を探してたんだから」という感じだ。
(例えば「現場3分、雨降り7分(だっけ?)」という言葉がある。それは「現場に出たら、仕事が中止になっても賃金の3割は払うのが現場の常識」という意味である。仕事が中止になって賃金ゼロでは、それから別の現場に行けるわけでもなく、労働者は生活できなくなるからだ)。
もしも「3000円」程度が妥当な賃金と考えられるなら、それは何を意味するのか。仮りに、「仕事に就くのもあぶれるのも完全に偶然」と考えれば、早朝組も5時から組も、同等の賃金をもらうべきだということになる(数学的に別の考え方もあるだろう)。また、「仕事に就く就けないのも自己責任、したがって賃金は仕事の量に比例する」と考えるなら、5時から組は早朝組の「10分の1」の賃金が妥当だと言うことになる。つまり、現場の労働者の感覚は、この「自己責任」と「完全な偶然」の中間だということである。(さらに、生活を維持する最低水準の金額というデッドラインへの考慮も入る)。
この感覚は、「雇用保険」というシステムとして現実に機能している。日雇労働者は仕事を探してもなかった場合、一日の賃金の約6割を「雇用保険」の形で受け取ることができる。しかし、現行の規定では、「連続2ヶ月間に26日以上就労した場合、次の月に13日間雇用保険受給の資格ができる」というものだ。これでは、失業が続けば雇用保険受給の資格そのものが消えてしまう。したがって、「仕事を探してもない場合は、過去の就労状況に関係なく雇用保険を受給できる」という形にする必要がある。「仕事がない」のは、労働者のせいではないからだ。あるいは、仕事がない場合には、最低限度の生活を保証する「生活保護」の適用である。しかし現在、そのいずれも日本ではうまく機能していない。
確かに釜ヶ崎の日雇労働者は、仕事のあるときないとき、その場その場で助け合っている。だが、釜ヶ崎の日雇労働者どうしで助け合っていても限界があることはすでに明らかになっている。個人の善意に任すのではなく、より広い範囲でシステムとして「自己責任」と「完全な偶然」の両立状態を実現する必要があるのではないか。再び引用するが、「一言で言ってしまえば、能力に応じて働き、必要に応じて消費する、ということだ。もしも運も能力のうちであるとすれば、であるが」。
田川健三は意識的にコミュニズムのテーゼを引用し、そこに「偶然性」の問題とあわせて考えようとする。「本来社会的平等というものは、このように極めて具体的な、日常生活の、生きた現実の中に実現すべきものだろう」。そのようにコミュニズムも、ソ連とか北朝鮮とかみたいな形ではなく、「極めて具体的な、日常生活の、生きた現実の中に実現すべきものだろう」。

(追加)(7.17)
田川健三は、「キリスト教思想への招待」でこういう話を書いている。
「私はある小さい女子大学の教師になった。学生にクリスチャンはまったくいない。その学生たちに、私は毎年つとめて授業でイエスや新約聖書の話をするようにしていた。この本に記したことの多くは、その授業で語ったことでもある。特に、この日雇労働者の譬え話は、必ず紹介した。ある年、この譬え話を紹介し、上で述べた、また以下にも述べるような解説も加えた。そこまでは毎年やっていることである。しかし、一度学生たちの率直な感想を聞いてみたくて、(1年生の)ある学期の終わりの試験の時に、最後に時間が余ったら、これは試験とは関係なく、採点にも関係ありませんから、率直に、この譬え話についての感想を書いてください、と頼んだ。この時に、要望に応えて率直に意見を書いてくれた大部分の学生に私は感謝している。普通は、そうは言われても、なかなか書く気になれないものだ。それを、ほとんどの学生が書いてくれた。
しかし、その点では感謝するけれども、その中身に私は非常なショックを受けた。全体のおよそ三分の二(三分の一ではない!)の学生が、こういう意見は間違っている、と書いていたのである。働かなかった労働者にも賃金を与えるなんて、間違っている。それじゃ、働いて労働者が損をしてしまう。そんなのは不公平だ。働かなかった労働者は、自分が悪いんだから、賃金をもらう資格なんぞない、等々。」


その14・口実としての「厳正なる公平の精神」■(7.3)


田川健三がイエスの日雇労働者の話について言うように、「たまたまその日は職にあぶれた者であっても、今目は空きっ腹をかかえて何も食わずにいてよいということはない」、つまり失業者も仕事があった者も「みなが同じように食って楽しむことができ」る社会的平等が望ましいとすれば、失業者に対する最低限の生活保障が行なわれることも望ましい。それと全く同様に、貧乏の結果、住む場所さえ失った人については「住居」を保証することも望ましいだろう。
「その8」の最後で、
「野宿者を筆頭とするビンボー人は、本当に『自業自得』『自己決定・自己責任』なのだろうか。そして更に言えば、『ホームレスが公園に住みついている』ことに地域住民が怒りをつのらせているのは、本当に『公共の土地を占拠しているから』という『法の厳正なる公平の精神』によるのだろうか?」と言った。この最初の方の疑問に答えようとしてきたが、では後の方の疑問はどうだろうか。
「ホームレスが近所の公園を占拠している」ことに怒りを募らせている地域住民のうちには、「弱者云々以前の、人間としてのモラルの問題」として、「違法な建築物に住み着いて近隣に害を及ぼす、単なる犯罪」は許されるべきではないと言う人がいる。問題は野宿者かどうかではなく、単に「公園を不法占拠している」ことにあるのだ、と。
「よくありがちな<逆差別>を炙り出してくれてますね。弱者だからといって、何をしても許されるものなんですか? みなさんの生活の中で、不法占拠等々同じことをやれますか? できやしないでしょう? 弱者云々以前の、人間としてのモラルの問題でしょう。なぜに彼らなら許されるのですかね。」
この点に関連して、アナトール・フランスの「厳正なる公平の精神のもと、法は貧乏人と同じく金持ちに対しても橋の下で寝ることを禁じている」という言葉を引用したが、こうして見れば、行く場所のない野宿者を公園などから追い出すことも、法に基づいた「公平」な行為だということになる。
しかし、すでに触れたように、阪神淡路大震災の時、被災者がとりあえず公園などの「公有地」で被災生活を送っていたとき、「なんであいつらはみんなのものである場所を占有して使っているんだ」なとど言って責めるヤツはいなかった。かりに野宿者を追い出すのなら、震災被災者も追い出すのも「公平」ではないか。さらに奇妙なのは、公園から野宿者の追い出しを主張する住民の中には、「ホームレスは臨海部や山の中に収容しろ」と言う人が結構多いことである。すごいのになると、「ホームレスは山谷に行け」(関東の場合だなあ)という場合もある。再び件の掲示板より引用すると、
「即刻退去して山谷か新宿に行ってほしいです。あそこはホームレスに手厚いんで」「山谷や新宿のほうがホームレス支援団体の活動が盛んなんでそちらのほうが暮らしやすいんじゃないですか?」
「はぁ...臨海部に施設をつくってそこにホームレスに入ってもらえばこんな騒ぎには...」
「小屋人には、一言『山谷にいけ』と言いたいです」
しかし、当たり前の話だが、「公園」と同様、臨海部も山谷も新宿も、野宿者がいることができる場所は公道や公園などの「公共の土地」だけだ(私有地に入ったら不法侵入になってしまう)。その意味で、「公園から出て行って臨海部・山谷・新宿に行け」というのは法の「厳正なる公平の精神のもと」完全に矛盾している。第一、臨海部・山谷・新宿にも野宿者じゃない一般市民がいっぱいいる。そこの人たちがこういう発言を見たら、いろんな意味で「信じられない」と思うだろう。
以上の比較からこういうことが言える。「野宿者だからというのでなく、公園を不法占拠していることが問題」という「法の厳正なる公平の精神」は、野宿者を排除するためのただの「口実」(pretext)であり、本当の理由(いわばtext)は別にあるのではないか、と。
本当の理由は、あっさり次のように語られている。
「ホームレスの実態をうんざりするほど見ているということです。『手を差し伸べよう』なんて思うことできません。なぜって、『怖いから』です。偏見ではありません。なぜって、『実物を目に しているから』です。そして『実物の近くで生活しているから』です。平和な街で暮らしている人にはわかりません。」
「ホームレスが隣人になった事がない人にはわからないですよ。『ホームレスが隣人』(…) (本当に辛いんですよ)」
つまり、これらの人にとっては、「公平」云々というよりも「ホームレスが隣人」であることこそが最大の苦痛なのだ。自分たち真面目な市民が納税・勤労という国民の義務を苦しくとも果たし、もちろん社会のルールも守り、それでやっとこさ生活を維持している一方で、公共の物を身勝手に私物化し、仕事もせず、周辺住民に脅威を与えるホームレスがすぐそばいる、これには我慢できない、というわけだ。
さて、このように表現してみると(それなりに的は突いていると思うが)、一般住民が野宿者に対して抱く嫌悪は、実は住民自身がひそかに望みながらも抑圧している「破滅的な喜悦」(とでもいうべきもの)ではないかという予想が成り立つ。生活を維持するため、「重い納税・辛い勤労・狭い住居・人様には迷惑をかけないための自己抑制」を堪え続ける住民は、現実の野宿者に対して、それらの重荷をすべて放り捨てている「自己破壊的な喜悦に耽るホームレス」という自己幻想を投影しているのではないか。なぜなら、われわれがどれだけ現実の野宿者の生活について解説・啓蒙しようと、決してそれを受け入れようとしない人々が多々いるからだ。それらの人々は、自分の中に秘めた欲望を野宿者に投影しているため、その誤りを正すことが極めて困難なのではないか。
従ってこの人々は、「自己破壊的な喜悦に耽る」ホームレスが自分の身近で生活し、自分と何らかの関わり合いを持ってしまう事に対してひたすら苛立つ。しかし、その苛立ちの一定部分が自己幻想の投影であるとすれば、現実の野宿者を遠くへ隔離しその人々から「無関係」にしてしまわない限り、苛立ちの収まりがつくことはないだろう。


ただ、住民が野宿者の存在に苛立ち続けるのには、さらに別の理由があると思われる。その一つは、野宿者が先進国特有の21世紀的な(あるいは「ポスト1968年」的な)貧困の問題をまざまざと見せている、ということである。
「野宿者がよく言われるセリフ」で扱った内容だが、「捜せば仕事はあるはずだ」「努力が足りなかったのではないか」「福祉など、相談に行くところがあるのではないか」「家に帰ればよい」といった野宿者がよく言われるセリフがある。それらは、「資本=市場」「国家=行政」「家族=共同体」は充分に機能しており、そこでは例えば野宿者を生むような事態は存在しえないはずだという「信念」を語っていると考えられる。
これらの言葉は「資本=市場」「国家=行政」「家族=共同体」に対する「思いこみ」の上に立っている。つまり、「仕事をしようともしない(から野宿をするのだ)」という考え方は、「捜せば仕事はあるはずだ」という前提の上でのみ成立する。また、「家に帰ればいい」という考え方は、「家族・親族は無条件に相互扶助するものだ」という前提の上でのみ成立する。(しかし、世界的に進行する家族像の変容、多様化は、そうした前提を徐々に無効化している)。そして「福祉とか、困った人がいくところがあるんじゃないか」という考え方は、「国家あるいは行政は、生活に困った人に対する社会保障を用意している」という前提の上でのみ成立する。しかし、現実の法の運用においては、日本はいわゆる先進国の中でも国家による生活保障がきわめて弱いことが知られている(この弱さは、とりわけ野宿者問題において集中的に示されている)。これらのセリフには、「市場の失敗」「国家の失敗」「家族の失敗」などというものは存在しないという、ほとんど「教会の無謬性」「社会主義国家の無謬性」を思わせる原理主義がある。そして、その原理主義が野宿者への強い偏見と差別を生み出している。
その意味で、われわれの前にある野宿者問題は、従来の社会を成立させてきた枠組みの機能失調の現われである。そこでは、野宿者問題に関わることは、われわれの従来の生活の前提だった「原理」を考え直すことに直結してしまう。多くの人が野宿者問題を直視しない理由は、一つにはそれがあるのだろう。一言で言えば、多くの人は21世紀的な「貧困の問題」を直視することを回避しようとしている。「ホームレスになるのは、ああいう身勝手でおかしな人間だからだ」という形でみんなが自分を納得させようとしているわけだ。


そして、もう一つ、多くの人が野宿者の存在を嫌悪し続ける理由がある。それはおそらく、端的に「面倒なことだけには関わり合いたくない」という生活保守主義である。(その点で、これは監視カメラやゲーテッド・コミュニティの問題と関連する)。
例えば、2002年11月に埼玉県熊谷市で起こった中学生3人による野宿者殺害事件についてのルポルタージュ、吉田俊一「ホームレス暴行死事件 少年たちはなぜ殺してしまったのか」(2004年6月)には、地域で物乞いをしていた被害者に関わる次のような話が出てくる。

暴行死事件のほぼ3ヶ月前。山本さん(被害者・仮名)が寝泊まりをしていた鉄道路線跡近くの民家で自治会の班(隣組)の寄り合いが開かれた。(…)
班長に寄り合いを持つよう要請した女性が「物ごいに来る人のことですが」と切り出した。山本さんのことだった。こうした寄り合いが開かれるのは年に一度の役員引き継ぎ以外にはほとんどなく、近所に火事や葬式がある時ぐらいだった。
「何かやるとまた来るし、この辺に居ついちゃ困るので、みんなで何もあげないように申し合わせましょう。もう何もやらないでください」(…)
出席した主婦らは「あらっ、うちあげちゃったわ」「うちにも来た来た」などと、顔を見合わせながら雑談をしていたが、賛成も反対も含め発言する人はいなかった。
当時、山本さんが同所近くで物ごいをするのは多くても週に一回ぐらいだった。「お湯をください」と言って来ることが多かった。食べ物などはほかの地域で求めていたようだった。そのため、住民たちとの間でトラブルもなく、住民らも困っているというほどではなかった。
住民の一人は「果たしてこれでいいのかな」という思いを持っていた。しかし、「汚くて、あまり来られても困るしな」と考え直し、異を唱えることをやめた。会議は30分ほどで終わった。(…)数週間たって、山本さんが付近の各家を訪れることはなくなった。(…)
少年たちの襲撃で山本さんが死亡した後、申し合わせをした場に居合わせ、反対できなかった住民の一人は悔やんでこう話した。
「大人たちのこうした対応が、少年たちを暴行に走らせたのではないか」。

ここでのポイントの一つは、「この辺に居ついちゃ困る」という発言にある。物乞いはしていても「住民たちとの間でトラブルもなく、住民らも困っているというほどではなかった」中で、一人の住民がわざわざ場を設けて「この辺に居ついちゃ困る」=「排除しよう」と言い出す。物理的な排除ではなく、「お湯」をあげる程度の親切を全員一致でやめて、結果的に近所から追い出すという方法である。
「果たしてこれでいいのかな」という思いをする住民はいるが、結果的には野宿者の物乞いへの「拒否」を全員で申し合わせることになる。
ここで、比較的おおらかな物乞いと施し(個々による所得再分配)への異議が一人の住民によって出されたとき、可能な道は三つあった。一つは、上のように全員で意志一致して「この辺に居ついちゃ困る」=「排除しよう」とする場合である。次は、「今のままでいいじゃないか」という現状維持である。そしてもう一つは、「施しをやめても、あの人の問題は解決しない。かといって、施しだけでも解決しない。むしろこの機会に、あの人が住居と収入がある生活に復帰できるためにできることはないか、みんなで考えた方がいいのではないか」と「援助」を選ぶ場合である。
もちろん、後ろの方が正しいのは当たり前だ。しかし、実際にそうした方法がとられることは極めて稀である。まず第一に、野宿者は「われわれ」の一人ではない、あれは仕事が嫌いで浮浪している別の種類の人間だ、という誤解がある。そんな人のためにわざわざ知恵と労力を使ってもしょうがない、という思いである。
そして、野宿者に本気でかかわろうとすれば、ちょっとやそっとでは解決がつかないのではないか、それどころか下手するとますます面倒なことに関わり合う結果になってしまうのではないか、という恐怖がある。社会的な問題に関わる限り、ある程度は面倒な思いをすることは確かではある。それは、高齢者問題やこどもの安全問題、環境問題について考えればよくわかる。多くの住民が、それらの問題に多大なエネルギーを使って取り組んでいる。だが、それを「ホームレスのために」することには様々な抵抗が働くのだ。このため、「援助」よりも「排除」が選ばれることになる。
この野宿者が3ヶ月後に少年たちに暴行死させられたとき、住民の一人が「大人たちのこうした対応が、少年たちを暴行に走らせたのではないか」と思う。それは、野宿者を「援助」しようとせず、むしろ「援助」を全員で拒否することで近隣から「排除」しようとする姿勢が、少年たちによる襲撃行為とその発想において連続していることに気づいているからだ。大人たちの一部は、野宿者を結果的に「排除」しようとしているが、襲撃した少年たちは直接に物理的に「排除」=「殲滅」してしまった。人々が「面倒なことだけには関わり合いたくない」と「排除」の方向を取るとき、それは結果的に、例えば少年による野宿者襲撃のような、より深刻かつ「面倒な」問題を助長することになる。
「生活保守主義」は、社会の複雑化と変容に対する個々の防衛手段かもしれない。だが、それは社会の持つ問題を全体としてはより悪化させるだろう。断ち切ることが困難な一緒の悪循環(スパイラル)がここには成立している。


その15・社会構造の機能失調の「暴力的な具体」■(7.9)


「生活保守主義」は、社会の複雑化と変容に対する個々の防衛手段かもしれない。だが、それは社会の持つ問題を全体としてはより悪化させるだろう。断ち切ることが困難な一緒の悪循環(スパイラル)がここには成立している。
これは例えば、多くの世帯が生活不安への対処として消費を抑制し、そのために物が売れず経済活動が低迷し、全体として一層不況が進行するという悪循環(デフレ・スパイラル)に似ている。こうした悪循環を良循環へと逆回転させるためには、デフレ・スパイラルの場合、ミクロ(家計)のレベルとマクロ(金融・財政政策)のレベル両面での変化が必要とされるが、これは「生活保守主義」の場合にも当てはまるだろうか。
つまり、社会全体としてある問題に取り組む必要性を行政=「公共」が周知し、施策を実行していく必要がある。だが、それだけでは問題は解決しないので、同時に個人や地域で「生活保守主義」を超えて「面倒なこと(社会問題)に多少なりとも関わり合う」ことが必要となる。個人・地域の利益第一主義(いわゆる「地域エゴ」)をいったん離れて、公共的な視点からものを見なさいということだ。そうでなければ、繰り返すが「社会の持つ問題を全体としてはより悪化させる」ことになりかねないからだ。


しかし、ここで言う「公共」とは何なのか。ふつう、それは政府を指している。野宿者問題の場合、「ホームレス自立支援法」のような公的対策の明示、あるいは地方自治体での「野宿者対策」がそれに当たる。それらの必要性については言うまでもない。(「支援法」や行政の目下の対策に対して多くの支援者・当事者が批判しているが、しかしそれは「もっとマシなことをしろ」という意味であって「何もするな」ということではない)。
しかし野宿者問題とは(「野宿者がよく言われるセリフ」で扱ったように)、「捜せば仕事はある」「家族・親族は無条件に相互扶助するものだ」「国家あるいは行政は、生活に困った人に対する社会保障を用意している」といった、従来の社会を成立させてきた「資本=市場」「国家=行政」「家族=共同体」という枠組みの相対的な機能不全の現われであるはずだった。「ポスト1968年」に強まった「資本」「国家」「家族」の変容の中で、野宿者問題をはじめとする様々な問題が発生したきたが、それらの問題は「国家」の機能強化によって解決のつくものなのだろうか(あるいは、「市場」の強化、「家族」の強化によって?)。
一方で、それら「資本」「国家」「家族」の機能喪失は別の形で明白化していた。何かというと、若い層からの「資本」「国家」「家族」への見放しである。近代以降の一定期間、多くの人は「個人」としてと同時に「国家」「家族」「会社」の一員であることをほとんど自明の前提として生きていた。例えば労働については、「お国のために働く」「会社のために働く」「家族のために働く」ということがインセンティブとして重要な意味を持ってきた。
しかし、最近(おそらく1968年以降、日本の場合は1975年以降というべきか)明白化したことは、人はこれら「資本」「国家」「家族」という共同体からの心理的離脱を徐々に強めていったということではなかっただろうか。すでに引用した宮台真司の表現によればこうである。

成熟社会になると、過渡的近代に必要だった共同体幻想(家族幻想・学校幻想・会社幻想)が崩壊し、人間関係が流動化する。すると、理想的秩序(崇高な国家・一流企業・エリート官僚組織……)への所属を、尊厳のリソースとする生き方には無理が出てきます。代わりに、他者とのコミュニケーションの自由な試行錯誤から得た自尊心を、尊厳のリソースとする生き方が重要になります。

これが宮台真司の言う「まったり革命」を形成する。当時の宮台真司の主張は、「いい学校・いい会社・いい人生」みたいな「共同体への所属」に自己の尊厳を預けるような「同調圧力」から抜け出て、自分の生き方を「自己決定」し、試行錯誤から得た自尊心を尊厳のリソースとする生き方をお勧めするものだった。90年代の日本では、「競争主義」に伴う「自己責任」と、このような「自己決定」=「自己責任」の2つが同時に使われていた。
しかし(「その7」で触れたように)その帰結は、「自己決定・自己責任」が「共同体+リバタリアニズム」の方向に吸い寄せられ、若者がリスクに対し挑戦する意欲が低下し、共同体(会社)を頼る方向に流れるというものだった。おまけにこれは、フリーター(=多業種日雇労働者)の激増に見られるように、格差の拡大と同時進行した。
このことは、一つには「まったり革命」が共同体幻想からの離脱と自己決定のすすめであって、したがって「公的なもの」との接点を切り離す一方であったこと、というよりは「新たな公的領域」を示し得なかったことに起因している(他者とのコミュニケーションはあくまで私的領域であって公的領域ではない)。そのため、競争主義が進みソーシャルセキュリティが失われた状況を多くの人が自覚すると一気に慎重になり、旧来の共同体にトンボ帰りする結果になった。
もう一つの問題は、リベラリズム的な「自己決定・自己責任」の理論がリバタリアニズム的な「自己決定・自己責任」に対して一部「整合」的であり、反論、対抗が困難だということである。「自己決定・自己責任」の枠内では、当然ながら経済的「自由」と社会的格差増大の問題に対抗するすべがない。こうして、90年代以降に「共同体主義+リバタリアニズム」が大きな流れとしてあっさり成立するという状況が生じてしまった。


この結果として現われた事態の一つは、宮台真司によれば若い層の「島宇宙化」と「記憶喪失」である。
(以下、「野宿襲撃論」より引用。)

「『あそこにアレができる奴がいるのに、俺にはできない』っていう意識がなくなり、『あいつはアレをする、俺はこれをする、以上!』ということになるんです。それを僕は『島宇宙化』って言ってきました。これがある程度進行すれば、永久に停滞するだけだと思います。僕は、さっき大塚さんがご自身について仰っていたのと似ている経路があって、90年代半ばに『まったり革命』を唱道しながら、そうした『島宇宙化した停滞』をむしろ煽っていたと言わざるをえないし、ブルセラ少女や援交少女に言寄せて、歴史意識を欠いた存在を擁護していたと言わざるを得ない。歴史意識を欠いて暮らせるような社会になることはいいことじゃないか、という具合に。 
 だからそこには明らかに僕の方向転換はあります。弁解すると、それは物事が決定的に変化したがゆえになされたことです。僕が『まったり革命』を唱道していたときには、そのことで批判したい対象があった。それは、動員に向けて捏造された歴史であり、捏造された象徴界であって、その中に『田子作による天皇利用』という意味での天皇スキームも入ります。捏造された記憶や象徴だけは勘弁してくれと言うために、『まったり革命』を援護していた。でも今やそれを言うことに意味がありません。なぜならば、捏造されたもなにも、もはや家族の記憶も地域の記憶もないんですよ」(「新現実」vol.2)。
 そして、この「島宇宙化」は、「階層の分化」とパラレルである。
「ちょっと指動かしただけで食える奴と、一日中からだ動かさないと食えない奴が、分化しているわけです。そうした分化と、おまえらのサブカル享受の仕方とは、実は切っても切れないんだぞ、と。歴史意識が失われれば、あるいはそれを代補する文化概念としての『・・・』に相当するものが失われれば、おまえら単に利用されるだけで終わるぞ、と。そういう唯物的な言い方をすると、ある程度のリアクションが必ず出て来る」。
こうして、「成熟社会」に適合した「近代主義の徹底」は、もはや「まったり革命」には求められないことになる。では、それは今どのように語られるのだろうか。宮台真司によれば、「近代主義を徹底することを通じて、天皇陛下に対する思いを証せ」ということが「ありうべき戦略」として語られることになる。「天皇陛下」こそが、「近代主義の徹底」の論理的必然として現れる「機能的であってはならない」「暴力的な具体」であり、そうしたものこそが我々に「歴史意識」をもたらすからである。

「まったり革命」の主導者が、それが「現実に追い抜かれた」と言う。なぜなら、「まったり革命」は「島宇宙化」と格差の拡大、そして歴史の「記憶喪失」を結果的に擁護していたからだ(もちろんこれは、リバタリアニズム+共同体主義そのものだ!)。


ところで、「島宇宙化」と「記憶喪失」が進行した人間が大量発生しているというのは、どういう状況なのだろう。自分のいる「島宇宙」にしか関心を持たず、過去の社会のいきさつ(獲得されてきた「社会保障の理念」のイロハのような)を「記憶喪失」している人間とは、ある意味ではほとんど「社会契約」以前の「原子」状態の人間像なのではないか。したがって、このような人間像そのままでは「社会」の概念が成立しない。つまり、社会契約を始めとして、社会の存在理由をこの人間像から新たに考え直さなければならないことになる。
例えば、宮台真司は「天皇陛下への思い」についてこのように言う。「『天皇がいやだというんだったら、どうするのか言え』と言いたいところが、僕にはある」。つまりこれは、「天皇」という「公的なもの」の「暴力的な具体」を提示して、「これでないなら君にとっての『公的なもの』は何なのか」と「原子」状態の人間に迫る、一種の挑発なのかもしれない。
例えば、保守政治家などが(本気で)「愛国心」「公共心」とか言っている。では、宮台真司が言う「天皇」はそれとは別の「挑発」だろうか。しかし、宮台真司がアイロニーとして「あえて」天皇を語っても、それをベタに(本気で)受け取られてしまえば、それは保守政治家の「公共心」「愛国心」と大差なくなってしまうのではないだろうか。
これは、「まったり革命」が90年代以降の「共同体+リバタリアニズム」の中での「自己決定・自己責任」に対して一部「整合」的であり、反論、対抗が困難だったことを思い出させる。つまり、あえて言う「天皇」と旧来の「公共心」とは一部「整合」的なのだ。宮台真司は、「愛国心」は必ずしも政府を支持することにつながらない、むしろ「愛国心」は政府を転覆させようとする人間の生成を意味しうるという言い方で、旧来の「公的なもの」との相違を語ろうとしている。しかし、「国家」「天皇」によって語られる「社会」概念は、従来の社会を成立させてきた「資本=市場」「国家=行政」「家族=共同体」という枠組みに対する対抗策になるのだろうか。多分誰もが感じるように、そうはならないのではないか。それは、現在われわれが直面しつつあるのが21世紀的な貧困の問題としての「野宿者問題」なのだから、なおさらだ。「近代主義を徹底することを通じて、天皇陛下に対する思いを証せ」という「戦略」が、野宿者問題に応ええるなどとは全然思えない。


野宿者を公園などから排除しようとする地域住民の本音は、「『ホームレスが隣人』(…)(本当に辛いんですよ)」「ホームレスが隣人になった事がない人にはわからないですよ」というものだった。こういう人にとっての本当の願いは、「ホームレスを、どこか自分と関わりを持たないですむ遠くに収容してくれ」、つまり「ホームレスはシェルターに入れろ」「ただし、そのシェルターは自分とこの近所ではなく、海のそばか山の中に作れ」というものだと思われる。これは、あからさまな収容主義だが、それと同時に経済的アパルトヘイトとしての意味を持つ。
この点について日本の先を歩むアメリカでは、ホームレス向けのシェルターが無数に建造されている一方で、高所得者が居住区画をまるごと囲い込みして「よそ者」の侵入を阻止してしまったゲーテッド・コミュニティが大量に作られている。高所得者と低所得者が侵入不可能なゲートによってほぼ完全に「ゾーニング」されているわけだ。これは、どこから見ても立派な「アパルトヘイト」である。そして、シェルター建設を急ぐ日本は、傾向としてはそちらに向かいつつあるのかもしれない。
しかし、野宿者問題は、「資本=市場」「国家=行政」「家族=共同体」という従来の枠組みの機能不全の現われという意味を持っていたのではなかったか。この3つの枠組みがその機能の面でまだ「生きていた」のが、日本で言えば「高度経済成長期」「総中流社会」の時期に当たる。
そして、その時期の社会ではほとんど問題化しなかった「経済格差」が、90年代半ば以降では「ホームレスが隣人になる」という形で人々の日常生活にもろに関わってくるようになってきた。その意味で、野宿者問題とは社会の枠組みの機能失調問題の「暴力的な具体」(宮台真司)であり、最高度に(そしてネガティヴに)「公的」な問題なのだ。


この点を、視点を変えて言ってみよう。「資本=市場」「国家=行政」「家族=共同体」によって保護された「総中流社会」は、それらによって保護されない「外部」(具体的には第3世界)を見なくてすむ社会だった。世界的には、「先進国としての第1世界」「社会主義国としての第2世界」「発展途上国としての第3世界」という分割が機能し、「先進」「対立」「発展」という(現在から見ればほとんど成立していなかった)相互補完状態が作り上げられていた。この(冷戦の)時期に日本が享受した経済的条件については言うまでもない。
しかし、「第2世界」の事実上の消滅以降に明白化した事は、「第2世界」の大半は事実上「第3世界」であり、そして「第1世界」と「第3世界」の格差は全体として激化する一方ということだった。そして、それと同時に明らかになったのは、「鉄のカーテン」あるいは「ベルリンの壁」からゲーテッド・コミュニティの「ゲート」へと「世界の境界」が変容してきたように、「第1世界」と「第3世界」の境界が「国境線」から「国内」へと変容してきたということだったのではないか。
この点を「帝国」でネグリ&ハートがこう言っている。(ぼくはこの箇所をたびたび引用しているが)。
「地球全体にまで拡大した近代の帝国主義的な地理的変容と世界市場の実現が、資本主義的生産様式の内部における移行を示している。この移行を非常によく示しているのは、世界の空間的三分割(第一・第二・第三世界)がごちゃ混ぜになった結果、第三世界のなかに第一世界が、第一世界のなかに第三世界が頻繁に見出されるようになり、第二世界はもはやほとんどどこにもないという状況である」。
「第一世界のなかに第三世界が頻繁に見出されるように」なった状況とは、日本で言えば、物と人があふれる繁華街に真冬にも毛布一枚の野宿者が多く寝ているというような話であり、あるいは住宅街の公園に野宿者がいっぱいテントを張って「ホームレスが隣人になった」、という話である。
つまり、世界的な「第1世界」と「第3世界」の格差拡大と同時に、「第1世界」と「第3世界」の境界がわれわれの目の前で露出しつつある。ホームレス問題が先進各国共通の深刻な問題であることは周知のことである。それは、この問題が世界を成立させている諸構造の変容に関連しており、おそらくは一国だけの対策によっては解決困難であることを予想させる。


その16・世界の境界の「暴力的な具体」■(7.16)
(7.17 文体をちょっと修正)



したがって、野宿者問題は日本社会の枠組みの機能失調の「暴力的な具体」(宮台真司)であると同時に、世界の境界の「暴力的な具体」でもあるだろう。「第三世界のなかに第一世界が、第一世界のなかに第三世界が頻繁に見出される」状態をはっきり眼に見える形、「ホームレスが隣人になった」という形でそれは示している。
「暴力的な」というのは、住む場所さえない極度の貧困が当事者にとって暴力的な状況であり、そして同時に「ホームレスと隣人になった」住民に対してこの状態が「本当に辛い」「怖い」と感じさせるからだ。「努力してやっと我が家を築き、平和な住環境を手に入れたと思ったら、目の前の公園に税金も払わず広い土地を占拠するホームレスの集団...」というわけで、地域住民の多くは、ホームレスによって損なわれた「平和な住環境」を取り戻したいとひたすら願う。その結果として、「ホームレスは臨海部や山の中に収容しろ」「ホームレスは山谷(釜ヶ崎)に行け」と主張することになる。
こうした発想は、すでに言ったように経済的アパルトヘイトにきわめて近い。自分の「隣」に現われてしまった「世界の境界」は、人為的な境界(シェルター)を目に見えない遠くに建造し、そこに野宿者を収容することによって解消してしまおうというわけだ。このようにして、「世界の空間的三分割(第一・第二・第三世界)がごちゃ混ぜになった」状態は、ゾーニング(アパルトヘイト)によって整理され、自分たちにとって居心地の良い状態だけを保証する「島宇宙」が成立することになる。
したがって、世界の境界の「暴力的な具体」の逆は、島宇宙によって保証される「居心地の良さ」「平和な住環境」「安寧さ」である。そして、最終的に島宇宙の間には、ゲーテッド・コミュニティがそうであるように物理的な境界(ゲート)が建設されることになるのかもしれない。
これは好ましい流れだろうか。もちろん、そうではない。なぜなら、日本社会の枠組みの機能失調の「暴力的な具体」であるもの、つまり最高度に「公的」な問題であるものを自分たちの問題として引き受けず、ただ遠くに押しやってしまうような社会に未来があるとは思えないからだ。


ここ(野宿者問題)で問われていることの一つは、われわれが自分の社会の持つ問題にどのように取り組むか、自分たちの社会をどのように構想し作り上げるか、というおそろしく基本的な問題である。
野宿者を「どこか遠くに収容しろ」という住民は、「世界の空間的三分割がごちゃ混ぜになった」状態にパニックをきたし、昔の「平和な住環境」を野宿者の排除によってひたすら回復しようとしていると考えられる。しかし、現在の世界に生きている限り、ほぼ間違いなく「世界の境界のごちゃ混ぜ状態」はますます進行する。それを昔の状態に戻そうというのは、ほとんど「飛行機のない時代に戻ろう」「インターネットのない世界に戻ろう」というような無謀である。もちろん「平和な住環境」は必要だが、それだけを求めて「世界の境界」への直面を避けるなら、われわれは自分に居心地のいい社会にしか関わる気がないということになってしまう。しかし、すでに「世界の境界」への「直面かその排除か」という選択を迫られる状況がわれわれの前に現実化している。「ごちゃ混ぜ」状態の中、自分たちの周囲だけ「居心地の良さ」を確保しようとするのは、例えば監視カメラを使って「自分とこの近所だけ安全なら(他で犯罪が増えても)いいや」と発想することと同様、「公共性」の破壊である。もちろん自分を守る権利はすべての人にある。だが、それは「公共的なレベル」での対策と同時でなければ困るのだ。
スーザン・ソンタグは「Comfort isolates」つまり「安寧は人を孤立させる」あるいは「居心地の良さは人とのつながりを断ち切る」と言う(「良心の境界」)。逆に言えば、人とつながること、社会につながることは、多かれ少なかれ「居心地の悪さ」に直面することを意味する。
「その11」で引用したが、棋士が「指運」で勝ったことに「居心地の悪さ」を感じていることについて、小島寛之が「『そうであったかもしれない世界』に対する責任」と言い、そこから(例えば野宿者に対する)「所得の再分配」を個人的な最適化行動として解釈しようとしていた。そこでの「居心地の良さ」とは、「こうでなかったかもしれない世界」つまり「偶然」を排除することを指していた。その典型的な例が、「自分が選んだのだから自分の功績」(自己決定・自己責任)という発想である。
一方、「島宇宙」によってセキュリティを守ろうとする人々は、「何が起こるかわからない」という社会的な「偶然」を物理的に排除することによって、「安寧さ」「居心地の良さ」を確保しようとしていると考えられる。いずれの場合も「居心地の良さ」は、「偶然性」を回避し、閉鎖的な社会を求める方向へ向かう。
しかし、「居心地の良さは人とのつながりを断ち切る」、つまり、人との関わり、社会との関わりは「偶然性」に人を直面させる。それは、ほとんど暗闇の中でジャンプするような不安な経験かもしれない。しかしそのような「偶然性」の経験なしに、人は意味ある生を持ち得ないのではないか。もちろん、個人がシェルターを作ってそこに閉じこもって(例えばサリンジャーみたいに)生活しようがどうしようが、それは個人の自由である。しかし、「社会」や「地域」が「何が起こるかわからない」ことを回避して閉鎖的な空間を作り上げることは避けなければならない。当たり前のことだが、社会的な問題は社会的に解決する他に道はないからだ。


ここ数年「野宿者問題の授業」をしていて気づいたことの一つは、中学生・高校生たちのかなりの部分が「海外のホームレス問題」そして「野宿者が飼っている動物(犬や猫)」の話に強く食いつく、ということである。
例えばアメリカやロシアのホームレス問題、特にこどものホームレス問題を話すと、授業の感想文で、「すごいと思った」「信じられない」「テレビでロシアのストリート・チルドレンの事を見てすごい気になっていた」という文章がいっぱい出てくる。菅野美穂がロシアに行ってストリート・チルドレン(ホームレス・チルドレン)を訪ねる番組があって、それを多くの中高生が見ていたらしく、それもあってか反応がたいへん強い。
海外のストリート・チルドレンの問題については、感想文から多くの生徒たちがテレビを通して心を痛めていることが伝わってくる。ところが、生徒たちは、自分が心を痛めたホームレス・チルドレンの問題と、自分の学校や家のそばで見ている「野宿者」の問題が共通していることに、多くの場合、全然気づいていない。それを授業で扱うことで、はじめて「あ、そういえば同じ問題なんだ」と気づくことになる。
「動物の話」は、夜回りなどで出会う野宿者が飼っている動物の話をする。こちらは「エピソード」扱いということもあってか感想文では書いてこない。しかし、授業での表情や私語などから、反応の強さがわかる。「動物」についての反応は、生徒たち自身の多くが動物を飼っていることと関係しているのだろうか。というより、生徒たちには「野宿者」よりも野宿者が飼う「動物」の方に感情移入しやすいのではないのではないだろうか。こうして、「動物」の方から「野宿者」問題に接点ができることになる。
結局、多くの生徒たちにとっては、自分の身近な「犬・猫」の話か、自分が行ったこともないはるか遠くの「海外のホームレス問題」かに強い反応を示し、自分の「隣人」でさえある野宿者については関心を相対的に持っていないということになる。自分の「ものすごく近く」か「ものすごく遠く」かに関心が分極し、社会問題としての「野宿者問題」には関心がいっていないわけだ。
一昔か二昔前の中学生・高校生の場合は、少し事情が違ったかもしれない。普通の意味で社会的問題に関心があれば、「すごく近く」や「すごく遠く」を経由しなくても、直に「野宿者問題」に入れたかもしれない。しかし、21世紀初頭に生きるわれわれは、こういう回り道を「野宿者問題の授業」でいわば強いられる。
言い換えれば、生徒たちのうち多くは、「身近な現実」から一気に「第三世界の貧困問題」へ、という反応をするということだ。ここで欠けているのは、自分の「隣」にあるもの、いわば「媒介性」への感受性なのかもしれない。しかし、「身近な現実」から一気に「第三世界の貧困問題」へという反応は、むしろある意味で大変素晴らしいことなのかもしれない。遠い世界の人々ともつながる想像力をそれは示しているのではないだろうか。しかし、それが自分の「隣」という媒介を欠かしている場合、むしろエゴイスティックな「グローバルな同情」に終わるのかもしれない。
ちょうど、ベストセラー「もし世界が100人の村だったら」の編者に送られてきた膨大な数の感想の中で最も多かったのが、「(これを読んで、自分の悩みなど世界の中のいろんな問題な比べたら小さなものだとわかって)癒された」というものだった、というように。それは、世界各地の苦しみを自分の「癒し」にしてしまうわけである。(こういう人たちは、自分の家の近所で野宿者が病気や飢えに苦しむのを見ても心が「癒される」のだろうか)。実際には、「もし世界が100人の村だったら」を読んで「癒された」と言う人は、「世界の深刻な問題にこうして深く同情できる自分」に感動しているだけなのだろう。その意味で、この種の「グローバルな同情」は「居心地の良い」自己陶酔であり、「島宇宙」と「グローバルな同情」は両立する。
ここにあるのは、「遠くで苦しんでいる人には同情するが、間近で苦しんでいる人は軽蔑する」というあのパターンだろうか。われわれは、自分の身近な(例えば)野宿者問題だけに閉じこもって世界的な視野を失うことはできない。また、世界的な南北問題・環境問題だけを考えて、日本国内の「南北問題」を忘れることも出来ない。両方の視点が常に必要なのである。
日本において「世界の空間的三分割がごちゃ混ぜになった」時期に、「もし世界が100人の村だったら」がベストセラーになったことは、多くの読者にとっては自分の現実から目をそらすことに非常に役立ったのかもしれない。例えば、「世界の村の100人」パート1には、ただちに便乗本「日本村100人の仲間たち」が出たが、その中にはこんな箇所があった。〃今、一番増えている「職業」は、「ホームレス」です。仕事は、「なんにもしない」こと。家のローンも払わなくていいし、税金もかかりません〃。これはあまりにひどい例だが、しかし典型的な例でもあるのかもしれない。「世界の空間的三分割がごちゃ混ぜになった」時期に必要となるのは、「島宇宙化」でもその裏返しの「グローバルな同情」でもない、「世界の境界」として現われた現実の「隣人」への感受性なのではないか。地域住民が言う「本当に辛い『ホームレスが隣人』」という困難な現実を社会的な問題として取り組んでいかなければ、その社会に未来はあり得ない。そして、この方向を一言で表わす言葉がある。それは「隣人愛」である。


(7.17)「その1」から全体にわずかな修正。


その17・「良きサマリア人」の隣人愛■(7.17)


「NAM 原理」(2000)以来、柄谷行人は次のような認識を語り続けている。
「今日において、資本性経済、国家、ネーションは相互に補完し合い、補強しあうようになっている。たとえば、各人が経済的に自由勝手に振るまい、そのことが経済的な不平等と階級的対立に帰結すれば、それを国民(ネーション)としての相互扶助的な感情によって打ち消し、国家によって資本の放縦を規制し富を再分配する、というような具合である。つまり、資本=ネーション=ステートというボロメオの環は、柔軟且つ強靱である。そして、これは19世紀後半、先進資本主義国において確立されたのである」(「定本 柄谷行人集4 ネーションと美学」)
しかし、こうした「ボロメオの環」は、日本においては野宿者問題に代表されるように、様々な形でほころびを見せ始めている。経済的不平等と階級的対立が昂進するが、その極限としての野宿者は国民としての相互扶助的な感情の対象とはみなされず、そして国家による富の再分配も機能しない。柄谷行人は日本の野宿者問題に触れることはないが、一般的な形で次のように言っている。
「世界資本主義の下で、ネーション=ステートが希薄化していることは疑いがない。資本と労働力のトランスナショナルな動きが、一国の経済政策を無効にし、あるいは福祉政策・雇用政策を困難にしている。グローバリゼーションに対する反撥は強いが、もはやそれがナショナリズムあるいは社会民主主義というかたちで噴出することはほとんどない。そのかわりにあらわれたのはむしろ、旧来のようなナショナリズムを否定するような諸国家連合か、あるいはネーションを超えるような宗教的原理主義である」。
これは、世界的な「第1世界」と「第3世界」の格差拡大と同時に「第1世界」と「第3世界」の境界がわれわれの目の前で露出しつつあること、その意味で、野宿者問題が世界的諸構造の変容に関連しており、おそらくは一国だけの対策によっては解決困難であることとパラレルである。柄谷行人によれば、そうだとすれば「国家、共同体、市場経済とも異なる、第4のタイプを見なければならない」。
「それは個々人が共同体の拘束から解放されているという点で、市場経済の交換に似ていると同時に、市場経済の競争や階級分解に対して相互扶助的な交換――資本の蓄積を発生しないような市場経済――を目指すという点で、共同体と似ている。そして、この自発的で自立した相互的交換のネットワークは、上位の政治的国家組織を必要としないし、国家の原理とはまったく相容れない。これがコミュニズムであるといってもよいだろう。しかし、無用な誤解を避けるために、私はそれをアソシエーションと呼ぶ。それは、国家、共同体、市場経済を超える唯一の原理である。これが他の3つと異なるのは、現実に存在したことがないということ、その意味で『ユートピア』だということである。しかし、3つの交換のタイプが執拗に残るかぎり、この交換原理もまた、統制的理念として残り続ける。
前近代社会においては、この理念は普遍宗教という形態をとって開示された」。
柄谷行人が「普遍宗教」あるいは「世界宗教」として示すのは、他の何よりもキリスト教である。それは、「商人資本主義・共同体・国家に対抗する運動としてあらわれた」からである。そして、その核心の一つが「隣人愛」として語られている。


この点については、再び田川健三の「イエスという男」を引用しなければならない。

「汝心をつくし、生命をつくし、思いをつくして主たる汝の神を愛すべし。
また、おのれのごとく汝の隣人を愛せよ。
というせりふは、イエスが言ったせりふだと思われている。言ったどころか、ここにこそイエスの教えの根本が表現されていると思われている。しかとし本当はそうではない。だいたいこのせりふはイエス自身が言ったのではなく、論敵である一つの律法学者が言ったものにすぎない」
「『神を愛し、隣人を愛せ』というのは、律法学者がイエスに答えて、おのれのユダヤ教信仰の常識を表現したものにすぎない。ところが、その話が伝承されているうちにいつのまにか、質問した者と答えた者の関係が逆になってしまった。つまり、律法学者に、何が重要な戒めか、と問われたイエスが自らすすんで『神を愛し、隣人を愛せ』と言った、ということになってしまった(…)。さらにキリスト教がユダヤ教の土壌を離れて世界宗教として独自の伝統を持ちはじめるようになると、神の愛と隣人の愛こそがイエスの独特の主張であり、これこそキリスト教の根本精神だ、ということになってしまった。」

これは、下の有名な「良きサマリア人の譬え」を指している。

≪すると見よ、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試みようとして言った、
「先生、私は何をしたら永遠の命を嗣げるのでしょうか」。
イエスはしかし、彼に対して言った、
「律法には何と書かれているか」。
すると彼は答えて言った、
「お前は、お前の神なる主を、お前の心を尽くし、お前のいのちを尽くしつつ、お前の力を尽くしつつ、お前の想いを尽くしつつ愛するであろう。またお前はお前の隣人をお前自身として愛するであろう」。
するとイエスは彼に言った、
「あなたはまともに答えた。それを行いなさい、そうすれば生きるだろう」。
しかし彼は、自らを義としたいと望んでいたので、イエスに言った、
「私の隣人とは誰ですか」。
イエスはこの問いを取り上げて言った、
「ある人がエルサレムからエリコにくだって行く途中、盗賊どもの手中に落ちた。彼らは彼の衣をはぎ取り、めった打ちにした後、半殺しにしたままそこを立ち去った。すると偶然にも、その道をある祭司がくだって来た。しかしその人を見ると、道の向こう側を通って行った。また、同じように一人のレビ人も現れ、そのところへやってきたが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。さて、あるサマリア人の旅人が彼のところにやって来たが、彼の有り様を見て断腸の思いに駆られた。そこで近寄って来て、オリーブ油と葡萄酒を彼の傷に注いでその傷に包帯を施してやり、また彼を自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行って、その介抱をした。そして翌日、2デナリオンを取り出して宿屋の主人に与え、言った、『この人を介抱してやって下さい。この額以上に出費がかさんだら、私が戻ってくる時あなたにお支払いします』。この3人のうち、誰が盗賊どもの手に落ちた者の隣人になったと思うか」。
すると彼は言った、
「彼に憐れみの業を行った者です」。
するとイエスは彼に言った、
「行って、あなたもまた同じようにせよ」≫。
(「ルカ福音書10・25〜37」佐藤研訳)
(なお、サマリアは、ガリラヤとユダヤの中間に位置する北王国イスラエルの首都だったが、その後アッシリア帝国に侵略され、混血も起こり、文化的に変容した。宗教的にもエルサレムと分離し、モーセ五書を尊重する独自の宗教を確立し、エルサレムを中心とした公のユダヤ教と激しく対立した。)

 田川健三は、「私の隣人とは誰ですか」という問いについて言っている。
「これは律法学者的問答の続きであって、『隣人』という概念は、彼らの間では極めて厳密に用いられている概念なのである。彼らにとっては隣に住んでいるとか、たまたま行き逢う人が隣人なのだ、というわけではないので、選ばれたイスラエルの民に属する者が隣人であり、生まれがユダヤ人だというだけでなく(…)信仰共同体としてのイスラエルの民に属する者こそが、互いに『隣人』なのである。」
「この『良きサマリア人の譬』にしたところで、単に、心やさしくサマリア人を受け入れましょう、という趣旨の発言ではない。自分達を日常覆っているところの宗教性こそが、たとえばサマリア人に対する差別をつくり出すものなのだ、という批判なのである。
『だれが我々の隣人なのか』と『隣人』の範囲を宗教的に規定しようとする時に、サマリア人はそこから排除される。従ってイエスは律法学者のこの問いに、そのまま答えて、『隣人』の範囲を定めることはしなかった。たとえ正統的律法学者よりも『隣人』の範囲を広くひろげようと、その範囲を定めようとしている限り、本質においては変らない。範囲の外にいる人は隣人ではなくなってしまうからである。むしろイエスはその問いに対して、『だれがその被害者に対して隣人になったか』という問いを対置した。隣人というものは、自分の方から隣人になるものなのだ、というのである。こう言うことによって、イエスは『隣人』の概念を転倒しようとした」。


つまり、「隣人愛」を語るとされる「良きサマリア人の譬え」は、普遍的な人間愛の物語ではなく、むしろ宗教的「共同体」精神への批判だった。ここでイエスは、偏狭なユダヤ的な隣人愛とは全く別の「キリスト教的隣人愛」を提唱しているのだ、というわけではない。キリスト教が自分たちの宗教的共同体の枠を「隣人」としてしまえば、ユダヤ教と同じ事が反復されるだけだからだ。そして事実、歴史的キリスト教はそういうものになってしまった。
もちろん、当時の宗教的共同体は、かなりの部分が社会的共同体と重なっていた。簡単に言えば、「信仰共同体としてのイスラエルの民に属する者」が隣人である「義人」であり、そうでない者は「罪人」だという理解があった。こうした共同体主義の持つ差別をイエスは繰り返し批判している。

「二人の人が祈るために神殿に出かけて行った。一人はパリサイ人で、一人は取税人であった。
パリサイ人は立って、胸の中でこう祈った。
「神よ、私がほかの者達のように貧欲、不義、淫蕩な者ではなく、またここにいる取税人のようでもないことを感謝します。私は週に二回断食をし、自分が手に入れるもの一切の十分の一をささげています」
だが取税人の方は、遠くに離れて立ちどまり、目を天に向けてあげようともせずに、胸をたたきつつ言った。
「神よ、この罪人なる私をあがなって下さい」と。
あなた達に言うが、むしろこの取税人の方が、あのパリサイ人よりも義とされて家に帰って行ったのだ。」 (ルカ一八・九〜一四)(田川健三訳)

こうして聖書を読めば、パリサイ人はなんと偏狭な宗教的意識の持ち主かと見えるだろう。しかし考えてみれば、これは現代日本で、普通の人が野宿者に対して取っている態度とまったく同じである。
「みなさん、私は自分がホームレスのように身勝手で不潔で怠け者ではないことをうれしく思っています。私はホームレスとは違って真面目に勤労し、税金だってきちんと払っていますよ。」
現代日本にイエスがいれば、ほぼ間違いなく「あなた達に言うが、むしろこの野宿者の方が、あの普通の市民よりも義とされて家に(公園に!?)帰って行ったのだ」と断言するはずである。

この点に関連して、田川健三はこのように言う。

これは、別の機会にイエスが言った言葉と一致する。
「取税人や遊女の方があなた方よりも先に神の国にはいる」(マタイニ一・.三一)
ここで「あなたがた」と言われているのが、直接には誰をさすのかわからない。(…)いずれにせよ、「義人」であることを宗教的に厳格に追求しようとしていたユダヤ教の指導層にむかって投げつけられた言葉であることには問違いない。現代の聖書学者達は、その言語学的な知識を駆使して、この「よりも先に」という語は、直訳するよりも、もっと強く否定的な意味に訳すべきだ、としているが、それは正しい。つまり、まず取税人や遊女が神の国にはいって、あなた方はあとまわしになる、という程度のことではなく、むしろ、取税人や遊女こそ神の国にはいるのであって、あなた方ではないのだ、という主張である。
 当時のユダヤ教指導層は、その厳密な宗教的社会倫理によって社会秩序を保とうとする。往々言われるように、彼ら、特にその主力をしめるパリサイ派が、口先ばかりで実際には何もしない偽善者だ、というのはかなりゆがめられた像であって、実際には、彼らは、中には例外もあったにせよ、厳密な宗教的倫理的実践者であった。彼らを言行不一致の偽善者呼ばわりしていったのは、原始キリスト教の側からの宣伝、特に、マタイの著者達の宣伝なのであって、額面通り受けとるわけにはいかない。
イエスも彼らを偽善者よばわりして批判しているが、それは単に言行不一致ということではなく、彼らの宗教的な概念に基づく倫理行動からでは射程にはいってこない部分がある、という指摘なのだ。
それはともかく、彼らの主張する厳密な宗教的社会倫理に忠実な者が「義人」とみなされるのであって、「義人」が神の国にはいる、と彼らは言う。
 そもそも「義」という概念は法的な発想にもとづくものなので、ユダヤ教倫理がモーセ律法を中心とする法的な体系に基礎をおく、ということはすでに何度も強調した。法が媒介になって民族が国家支配の構造へと吸収され、法が標準になって社会支配の秩序が守られる。ユダヤ教における「正義」は、「法正」と等しいのである。
 そういう社会秩序からはみ出させられた部分、ここで言う「取税人や遊女」こそがお前らよりもむしろ神の国にはいるのだ、とイエスが頑張って言う時に、それは、おやさしいキリスト教的説教などではありえないので、そのように設定された秩序に対する、そのように「義人」というものの枠組みを設定する者に対する、反逆の叫びであろう。だからイエスはまた、自分がやろうとしていることは、義人ではなく、罪人を招く行為なのだ、と主張する。「義人」なるものを設定することによって、「罪人」が排除される、そういう設定をこそ転倒せねばならぬ、と主張する。


「当時のユダヤ教指導層は、その厳密な宗教的社会倫理によって社会秩序を保とうとする」。「法が標準になって社会支配の秩序が守られる。ユダヤ教における「正義」は、「法正」と等しい」。
このことは、アナトール・フランスが言う「厳正なる公平の精神のもと、法は貧乏人と同じく金持ちに対しても橋の下で寝ることを禁じている」という「法の公平」を思い起こさせる。事実、今や日本各地で「ホームレスが公園を不法占拠している」ことに怒りをつのらせている地域住民がいっぱいいる。その人たちは、もちろん言行不一致の偽善者ではなく、厳密な倫理的実践者であるのだろう。その人たちは、問題はそれが野宿者かどうかなどではなく、「弱者云々以前の、人間としてのモラルの問題」として「違法な建築物に住み着いて近隣に害を及ぼす、単なる犯罪」は許されるべきではないと言う。その意味で、「社会のルールを守る」「人様に迷惑をかけない」ことこそが、現在では「隣人」「義人」の条件であると言ってよい。
しかし、イエスが現代日本にいれば、そういう社会秩序からはみ出させられた部分、ここで言う「野宿者」こそがお前らよりもむしろ神の国にはいるのだ、と断言するだろう。イエスの言う「隣人愛」とはそうした過激な批判(田川健三の言う「逆説的反抗」)であり、普遍的な人間愛の物語などではまったくない。
ポイントの一つは、「だれが我々の隣人なのか」という問いに対して、イエスが「だれがその被害者に対して隣人になったか」という問いを対置したこと、つまり「隣人愛」は、「私の隣人は誰か」という問いによって答えられるのではなく、むしろ「私」こそが「誰がその人の隣人になったか」という問いへの答えとして見いだされるべきだとしたことである。ここには問いそのものの転倒が、いわば問いのトポロジカルなねじりがある。


その18・時間における「隣」=「瞬間」■(7.27)(28日・一部追加)


田川健三の言うように「『だれが我々の隣人なのか』と『隣人』の範囲を宗教的に規定しようとする時に、(…)たとえ正統的律法学者よりも『隣人』の範囲を広くひろげようと、その範囲を定めようとしている限り、本質においては変らない」。つまり、「隣人」の範囲をなす「共同体」を無限に拡大しようとも、「義人」を設定することによって「罪人」が排除される枠組みは変化しない。というより、そうした「共同体」の無限化は、現実には社会的「同化」の思想なのである。
それに対してイエスは、「だれがその道で血を流して倒れている人の隣人になったか」という問いを対置した。つまり、そこでは「私」こそが「誰がその人の隣人になったか」という問いへの答えとして見いだされる。ここでは共同体の無限化は問題とはならない。われわれは、共同体の範囲を無限に延長しても「隣人」に出会わない。むしろ、「私」が「隣人」として見いだされる。ここには問いのトポロジカルなねじれがある。
このねじれの意味を理解するためには、「隣」という概念を時間的な概念に翻訳して考え直してみるとよい。時間における「隣」とは何だろうか。それは「瞬間」である。「空間」に対する「隣」は「時間」に対する「瞬間」なのだ。そしてこの瞬間の概念は、キルケゴールによって明確に語られていた。


キルケゴールは「瞬間」の概念について、特に「不安の概念」の中で集中的に論じている。
例えば、
「人間は心と肉体の総合であったわけだが、しかし同時に時間的なものと永遠的なものとの総合である」
「時間が正しく無限の連続として規定されるとき、時間を現在的、過去的、未来的と規定するのは一見もっともらしく思われる。しかし、もしこの区分が時間そのもののなかにあるかのように考えられるなら、この区分は正しくない。なぜなら、この区分は時間が永遠にかかわりをもち、時間のなかに永遠が反映されることによってはじめて生じたものだからである」
「現在的なものは、まさに無限に消えゆくところの無限に無内容なものであること以外は、時間の概念ではない。(…)これに反して、永遠的なものは現在的なものである」。
「時間を規定するために瞬間をもち出し、この瞬間に、過去的なものと未来的なものを純粋に抽象的に取り除いたもの、したがって現在的なものという意味を負わせるならば、この瞬間なるものはけっして現在的なものではない。なぜなら、過去的なものと未来的なものとのあいだに純粋に抽象的に考えられた中間的なものは、けっして存在しないからである。だが、こうして瞬間はたんなる時間の規定ではないということが明らかになってくる」
「一瞬というのは時間をさし示すものであり、しかも注意すべきは、この時間は運命をはらんだ葛藤における時間を示している」
「このように考えてくると、瞬間はもともと時間のアトムではなくて永遠のアトムなのである。瞬間は時間における永遠の最初の投影であり、いわば時間を中断しようとする最初の試みである」
「瞬間は時間と永遠が互いに触れ合うところのあの両義的なものである」。

以上の「瞬間」についての説明は、すべて「隣」「隣接」に置き換えることができる。「良きサマリア人」の譬えに示されるように、共同体の範囲を無限に延長しても「隣人」に出会わない。それと同様に、時間を無限に延長しても「永遠」に至ることはなく、逆に時間を無限に縮小しても「瞬間」に至ることはない。キルケゴールの言う「時間」を「共同体」、「瞬間」を「隣」と置き換えて上の言葉を読み直してみるとよい。(では、ここで言う「永遠」とは何だろうか?)
「隣接性という概念は、いわば共同体を中断しようという最初の試みである」
「空間の区分は、隣接性という概念が共同体にかかわりをもつことによってはじめて生じる」
「隣接性という概念は、運命をはらんだ葛藤における空間を示している。」
また、キルケゴールはこう言っている。「逆説をその最も簡潔な形に凝縮すれば、これを瞬間と呼びうる」。そして「瞬間においてはじめて歴史がはじまる」。


キルケゴールの言う「過去的なものと未来的なものとのあいだに純粋に抽象的に考えられた中間的なもの」、これは時間軸上の「点」としての「現在」を示している。しかし、それは「けっして存在しない」。一方、「永遠的なものは現在的なものである」。つまり、「永遠」あるいは「瞬間」によってはじめて「現在」が定立される。
ところで、時間における「現在」とは、空間における「ここ」である。したがって、以上のキルケゴールの「瞬間」と「現在」についての規定は、次のように言い換えられる。「空間の中に純粋に抽象的に考えられた『ここ』は存在しない。それは『隣』という概念によって初めて定立される」。一般的に言えば、「いま―ここ」は「瞬間―隣接」がなければ存在しない。
この「隣人」は、イエスによれば、自分と対立する宗教共同体の人(つまり「敵」)で、道で裸で血を流して倒れている人だった。一方の者はそれを見て「道の向こう側を通って行った」、そして一方のサマリア人は「彼の有り様を見て断腸の思いに駆られた。そこで近寄って」介抱をした。イエスは「偶然にも」と言うが、多くの場合「隣人」は(例えば「敵」の形で)予期しない形でわれわれの前に現われる。そしてそのとき、「私」はその人の「隣人」でありうるか、ということが突然のように問われる。
現在のわれわれにとって共同体の外部とは、最も先鋭な形としては、資本制経済、国家、ネーションが相互に補完し合い補強しあう「ボロメオの環」のほころびとして現われている。そしてそれは、例えば「第三世界のなかに第一世界が、第一世界のなかに第三世界が頻繁に見出される」状態、具体的には「ホームレスが隣人になった」という形をとっている。
ここでいう「隣人愛」は、必ずしも「野宿者支援」などの形を指すわけではない。例えばそれは、偏見を抜きにしてとりあえず野宿者と話をしてみる、というコミュニケーションあるいは「連帯」の問題である。多くの人は「ホームレスは仕事をしようともしない人間だ、女性やこどもにとって危険な存在だ」と思いこんでいるが、そういう偏見は、実際に話してみればほとんどの場合解消してしまう。話してみれば、野宿者はそのほとんどがごく普通の人だからだ。つまり、偏見はその多くが単に野宿者とのコミュニケーションのなさ、あるいはコミュニケーションの拒否から来ている。ちょうど祭司やレビ人が道で倒れている人を見ると「道の向こう側を通って行った」ように、多くの人々は、野宿者とのコミュニケーション・連帯どころか、そこへ近寄ることすら拒否しているわけだ。
それは、前にも言ったように21世紀的な「貧困」の問題を直視することへの拒否なのだろうか。21世紀的な「貧困」の問題とは、「ボロメオの環」のほころびである。だとすれば、野宿者とのコミュニケーション・連帯は、この「ボロメオの環」を変更していく第一歩という意味を持つかもしれない。
従来の政治思想のほとんどは、貧困者への最低限度の生活保障を必要だと考えてきた。にもかかわらず、現在、野宿者に対する生活保障がかなりの市民によって支持されず、現実にもあまり適用されていない。このことはおそらく、政治思想ではほとんど自明だった福祉国家の前提(社会保障のイロハ)が破綻しつつあることを示している。例えばJ・ウォルドロンは、〃Social citizenship and the defense of welfare provision〃( 「Liberal Rights  Collected Papers 1981―1991」)で、ウォルツァーの「すべての政治的共同体は福祉国家の原則の中にある」という言葉を引きながら、セーフティネットや基本的な福祉システムが欠如した社会の中では、その構成員は「この社会は、われわれをメンバーとして、あるいは市民として、あるいは所属する人間として扱ってはいない」と言う権限があるとしている。その意味でわれわれの社会は、野宿者を「メンバーとして、あるいは市民として、あるいは所属する人間として扱ってはいない」。ウォルツァーは「アイルランドの飢饉に対するイギリスの統治者たちの無関心は、アイルランドが(イギリスの共同体の一部ではなく)植民地だったことの明白な印である」と言うが、野宿者の極度の貧困に対する統治者および一般市民の無関心は、野宿者を自分たちの共同体の一部ではなく、別の世界の人間だとみなしていることの印だと言えるだろう。福祉国家の前提は、このような「国外の第3世界」の第一世界への侵入によって現状維持が困難になりつつある。従来、われわれが第3世界の人々についての生活保証までは必ずしも必要とは考えなかったように、「第一世界のなかの第三世界」としての野宿者についても、生活保障を必要だとは考えられなくなっているわけだ。これは、従来、国外の労働者について日本との「同一労働・同一賃金」「社会保障の整備」を日本側は無視してきたが、いまフリーター層に対して全く同様のことが行なわれていることとおそらく平行している。


一方、柄谷行人が言ったように「グローバリゼーションに対する反撥は強いが、もはやそれがナショナリズムあるいは社会民主主義というかたちで噴出することはほとんどない。そのかわりにあらわれたのはむしろ、旧来のようなナショナリズムを否定するような諸国家連合か、あるいはネーションを超えるような宗教的原理主義である」。つまり「ボロメオの環」のほころびは、グローバリゼーションおよびアメリカの軍事支配に対する反撥としての、宗教的原理主義なテロリズムとしても現われる場合がある。
すでに引用したように、「近代的公共空間を支えているのは、不特定多数への信頼である。テロリズムは、それを破壊する目的でなされる。9.11で明らかになったのは、知らない人間への信頼が、きわめて脆弱であるということだった。(…)信頼が壊れれば、それを監視で埋め合わせようとする。」(http://members.jcom.home.ne.jp/cuba/estudio03.htm)。実際には、各種のテロに対しては、(「ネーションを超えるような宗教的原理主義」としての)オウム真理教に対する各地の反対運動で明らかな通り、「監視」の強化と「顔の見える地域共同体」の結束という形で対応がなされていることが多いようだ。では、われわれにはテロリストに対しては「監視」と「顔の見える共同体の結束」しか道がないのだろうか。われわれが自分を守ることは必要だが、それだけでは根本的な問題の解決にはならないのではなかっただろうか。例えば、われわれにはテロリストとのコミュニケーションは不可能なのだろうか。
例えば、イラクで人質になった高遠さんは7月22日の集会の中で、最近ファルージャの友人からのメールに、武装グループの一人が高遠さんの言ったことを理解し、仲間を説得してファルージャの再建に自分たちの手で取り組み始めたことが書かれていたと話している。空爆で破壊された5校の学校の再建が最初の仕事になるという。彼女は拘束中も武装勢力のメンバーらに「米国を憎むな。米国の悪口を言わないで。誇り高い民族なら、もっと建設的なことをしてほしい」と訴え続けたという。こうしてみると、彼ら武装勢力(日本で言う「テロリスト」)と高遠さんの間には何らかのコミュニケーションが成立している。「テロには屈しない」と言うのはそれ自体としては正当だが、それを言っているだけでは永遠に「テロ」の根本要因への取り組みは成立しない。
よく言われることだが、かつて「共産主義者」(アカ)という言葉がそうだったように、今では「テロリスト」という言葉があらゆる敵を漠然と指す記号として流通している。だが、テロリストと言われる人々のうちの結構多くは、話してみれば普通の人なのかもしれない。だが、「100%のセキュリティ」という不可能な目標を求める傾向は、冷静なリスク判断を見失いつつある。「他者への不寛容という風潮が強くなった。疑わしきは罰せず、というのは近代社会が獲得した考えだったが、疑わしきは監視せよというポスト近代の社会を招く」(五十嵐太郎「過防備都市」2004年7月)。問題は、不特定多数の人々への信頼を、世界の境界線がごちゃごちゃになってしまったポスト近代社会においてどのように創造するかという点に向けられるだろう。それは、国内と同様、国外についても問われる問題である。
緒方直子はアマルティア・センと共同代表で「人間の安全保障(human security)委員会」を創立している(2000年)。「従来の考え方では、国民を守るための権限と手段は国家が独占し、秩序と平和は、国家権力と国家の安全保障を確保し拡大することによって維持できるとされてきた。しかし21世紀においては、安全保障が抱える課題も、安全を確保する側の事情もこれまでより複雑になっている。国家はいまでも人々に安全を提供する主要な立場にある。しかし今日、国家は往々にしてその責任を果たせないばかりか、自国民の安全を脅かす根源となっている場合さえある。だからこそ国家の安全から人々の安全、すなわち『人間の安全保障』に視点を移す必要がある」(「安全保障の今日的課題」)。
「人間の安全保障」は、貧困、紛争、環境などかなり広い適用範囲を持つ。それは、国家の能力を超え始めた諸問題(テロリズムを含む)に対する、新たなセキュリティの概念を示している。ただこの場合は、「自分たちが安全であればそれでいい」という意味ではなく、根本原因の解決を目指す「安全保障=セキュリティ」である。そしてそこでは、緒方直子が言うように、「いま、キーワードは『ソリダリティー(連帯)』だと思っています。遠い国の人びとに対して連帯感が持てるかどうかが鍵です。これは日本だけの問題ではありません。対抗文化が影を潜め、体制順応型といいますか、享楽型の若者が増えているのは、全世界的な傾向です。国外にはもちろん、国内にも連帯を感じる対象を失っているように見受けられます。人間としてのソリダリティーの感覚を持った層を広げていかないと、それが政府の姿勢にも必ず反映します。途上国に対しての主体的な協力をしなくなります。例えば、ザイールという国がなくなってしまおうが、そこに大きな混乱が生じていようが、うちとは関係ありません、ということになっていくのです」(「私の仕事」)。
空間における「瞬間」とは「隣接」であり、そしてキルケゴールによれば、瞬間は時間のアトムではなく永遠のアトムであるという。では、「隣接」は何のアトムなのだろうか。それは、いわば「普遍性としての公的なもの」ということになるだろう。これは宮台真司の言う「公的なものの暴力的な具体」としての天皇の方向ではなく、共同体への批判である「隣人愛」の一般化としての「公的なもの」である。したがって、この「公的」は、資本・国家・家族を離れて、例えば遠い他国の人、次世代の人々、あるいは「敵」として現われる人々への関係として現われるだろう。「遠い国の人びとに対して連帯感が持てるかどうかが鍵です」。それと同様に、「近い人々、隣にいる人々に対して連帯感が持てるかどうかが鍵です」と言わなければならない。


90年代以降、自分のいる「島宇宙」にしか関心を持たず、過去の社会のいきさつ(近代社会で獲得されてきた「疑わしきは罰せず」「社会保障のイロハ」のような)を「記憶喪失」している人間が若い層に激増したという。緒方直子の言うように、「体制順応型といいますか、享楽型の若者が増えているのは、全世界的な傾向です。国外にはもちろん、国内にも連帯を感じる対象を失っているように見受けられます」。それは、ある意味では「社会契約」以前の人間像であり、このような人間からは「社会」「連帯」の概念が成立しないのかもしれない。「享楽型」とは、スーザン・ソンタグの言う「Comfort」であり、それは「isolates」つまり「居心地の良さは人とのつながりを断ち切る」。かといって、旧来の「公共心」や「愛国心」をもたらそうとしても、「国家は往々にして(人々に安全を提供する)責任を果たせないばかりか、自国民の安全を脅かす根源となっている場合さえある」いま、それはそもそも現実的ではない。また、資本・国家・共同体の「ボロメオの環」への対抗運動として柄谷行人らによって2000年に始められたNAMも、始まって数年もたたずに破綻してしまった。NAMについての不審の一つは、それが資本・国家・共同体の「ボロメオの環」のほころびを最も明瞭に示す野宿者問題との接点を全く持っていなかったことである。野宿者問題という焦点から捉えられた「隣接性」「隣人愛」、そしてその一般概念としての「普遍性」が問われなければならない。これは、「リバタリアニズム」+「(最大=最小の)夜警国家」+「共同体主義」へと傾く日本社会の中で、イラクにおける人質への「自己責任」論と野宿者に対する「自業自得」論を共に貫く流れへの抵抗という意味を持つだろう。そしてそこでは、「Comfort」ではない「享楽」の意味、公的なものの「暴力的な具体」である天皇とも異なる「暴力」の意味があらためて問われてくるはずである。

(「本論」終わり。「まとめ」はそのうちに)

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