・暴力描写が多めですので、お読みになる際はご注意下さい。 ・貴方の中の、キャラクターに関する見方や世界観を損なう恐れがありますので、ご注意下さい。 ・文章力が残念なレベルである点は、御容赦下さい。  河城 にとりは、ざわり、と全身が総毛立つのを感じた。 全身の皮膚が痺れ、胃の底が凍りつく。 恐怖や危機感、そういった本能的なものを感知した事による、身体の反応であった。  亥の刻(午後10時)に差し掛かる頃であろうか。 家路に就こうとしていたにとりは、夜の山中の、やや樹林が開けた草地にいた。 眩しい程に満月の光が降り注ぎ、辺りは昼間の様に明るい。 そこらの地面や草花、樹木は、昼にはそれぞれの鮮やかな色を持っていた筈なのだが、 今は、地上の全ての物の色が、月光の下で、暗めの青一色に塗り染められていた。    その青い世界の中で一際目立つように、赤く光る一対の眼が、 月光の届かない森の奥の闇から、にとりを凝視していた。 危険な存在であると判っている筈のその眼から、何故か、にとりは逃げもせず、視線も逸らせないでいた。 猛った獣の前から、逃げ出すなどの急な動きを取れば、その獣を刺激してしまう事になる。 そのような、危うい直感のようなものがあったからだ。 まして、今にとりが対峙している者は、猛獣などよりも遥かに危険な、人外である。    にとりはただ、開闊地の草むらに立ち尽くし、身を強張らせながら生唾を飲み込む。 まだ距離が離れている為、その者の全身を見る事はできないが、 赤い眼が、森の奥から揺れながら、にとりに近づいて来るのが判った。    にとりが目視する事ができるくらいの距離まで、赤い眼をした者が近づいてきた。 月光の下に、その者の姿が青く照らし出される。 幼い少女であった。 背から生えた、奇妙な形の七色の羽根が、先ず目についた。 ブロンドを頭の左側にだけ、結い上げて垂らしている。 独特のデザインの帽子。赤を基調とした洋服。 にとりには、面識の無い人外であった。  「こんばんわ!」 快活な口調で、その少女は挨拶をしてきた。 言葉を発した際、開いた唇の中に、長く発達した犬歯が見えた。    にとりは、その挨拶に応えなかった。 というよりも、言葉が出せなかった。 目の前の少女が、その体内から発している『怖さ』によって口内が乾ききり、喉も、肺も、思うように動かなかった。 少女は、そんなにとりの態度にも、さして気を悪くした様子も無く、 興味の篭った視線を、にとりの靴元から帽子の頂きまで、何度も往復させていた。 固い面持ちで立ち尽くすにとりの姿を、しばしの間見つめると、少女は嬉しそうに、弾んだ声で話しだした。  「あなた、カッパさんなんでしょ?    魔理沙から聞いたとおりの格好をしてるから、すぐわかったよ!」 嫌な汗が、背筋を伝うのがわかった。 にとりはこの少女を知らないが、少女の方は、にとりの事を知っているらしい。 魔理沙、という名の人間とは先日、山麓付近で出会っている。 すると、この少女は、その魔理沙の知り合いであろうか。  「わたし、フランドールっていうの。フランって呼んでね!」 まるで、新しい友達ができた事を喜ぶように、フランと名乗った少女が、にっこりとはにかんだ。 そんな、一見すれば愛らしい姿のフランを前にしても、 にとりの身体と本能が感じている『怖さ』は、一向に減じる事は無かった。 それどころか、フランの中から発せられている『怖さ』は、速度を増して膨らみ始めていた。  「………」 にとりは、自らの名を名乗り返すこともせずに、いつか耳の端に聞いた噂話を思い出していた。 紅魔湖畔の館に住まう吸血鬼。その妹は、少々気が触れているらしいということを。 館の地下に、今も幽閉されているらしいということを。 では、このフランドールは、今夜は館の地下から抜け出してきたというのか。  はにかんで、細められていたフランの赤い眼が、開かれた。 その瞳孔が、爬虫類のそれの様に、縦に大きく裂けていた。 三日月に裂けたフランの口から、赤い霧のような気体が漏れ出た。 水中で生き物の皮膚を切れば出る、血煙のような赤い霧であった。  「ねぇ、カッパさん、おすもう、しよ?」 怯えるにとりの瞳を、吸血鬼の赤い瞳で覗き込みながら、フランは言った。  「え……?」 唐突なフランの一言を上手く認識できず、にとりは呆然とした表情で立ち尽くす。  「カッパさんって、おすもう得意なんでしょ? すっごくつよいって、本にかいてあったよ」 期待と、興奮と、狂気の入り混じった眼差しを向けたまま、フランはゆっくりと、にとりへ近づきだした。 フランの口からは赤い蒸気が、彼女の呼吸に合わせて吐き出されている。 にとりの心臓の鼓動が、恐怖で、どくんと跳ね上がった。 フランの体内で生まれ、凝縮され続けている狂気が、今にも弾けそうになっているのが、わかる。   「ま、待て。悪いこたぁ言わない。すぐに自分の館に戻れ…」 にとりは後ずさりながら、やっと声を搾り出した。  「吸血鬼よ、河童は無用な争い事は、しない。   まして、外で他の人妖に乱暴を働いたとあっては、   そちらの姉の風評にも、傷が付いてしまうのではないか?」 にとりの言葉を聞いた途端、フランの歪んだ笑顔が、明らかに不機嫌な表情へと変貌する。  「あいつのことなんて、しらない」 低い声でつぶやくように、フランは言った。  「わたしは、いま、あそびたいの」 不機嫌を通り越し、怒りすら滲ませた表情であった。 しかし、その表情が突然、先程までの、興奮に満ちた歪な笑顔に戻る。    「ね、だから、わたしと、おすもうしようよ?」 情緒の移ろいが不規則で掴めないフランに、にとりは困惑した。 そんなにとりの返答を、フランは待たなかった。 フランは前屈み気味に腰を深く落とし、両脚を踏みしめて開き、軽く握った両拳を地面に突く。 相撲の仕切りの姿勢であった。 にとりとフランの間の距離は、約2メートル程だった。  「いくよー!」  「待って、ま…」  「どすこい!」 フランが切った口火の後半は、にとりには聞こえなかった。 身体を庇う暇すら無かった。 衝撃と共に、にとりの視界がブレて、真っ暗になった。   ※  フランのぶちかましで、にとりの体が、背後の樹林の中へ水平に吹っ飛んだ。 吹っ飛んでいく軌道上には、大人一人が両手でようやく抱えられるか、という程の太さの木が密生している。 そこに生えていた木を6本へし折り、7本目の木に、体が半ばめり込んだ状態で、にとりは止まった。 暗くなっていたにとりの視界が、ゆっくりと明るくなってくる。 木に張り付けになったまま、焦点が定まっていなかったにとりの両目が、かっ、と見開かれた。 朦朧としていた意識が、激痛で鮮明になる。 呼吸ができない。 その事自体は、水妖である河童にとって問題ではなかったが、痛みは違った。 頭、首、胸、背中の激痛に、にとりは喘いだ。  「ごほっ」 内臓を傷めたらしく、ビクン、と一度大きく痙攣し、にとりはひと塊の血を手前の地面に吐いた。 その動きで、木にめり込んでいた身体が外れた。 落ちていく体が、まるで動かない。手も足もいうことをきかず、顔を庇うこともできない。 にとりは、たった今自分が吐き散らした血溜まりの中へ、べしゃり、と顔面から落ちた。  「すごい! 丈夫なんだね!」 地面の血溜まりに顔をうずめているにとりの頭上から、 お気に入りの玩具を手に入れた子供の様にはしゃぐ、フランの声が聞こえた。 その声は水中で聞く音のように、くぐもっていて、よく聞き取れない。    「これなら、いっぱいあそべそうだね!」 血液を見て興奮したのか、フランは嬉しそうに声を弾ませた。 そして、にとりの頭に左右に、ひと房ずつ結い上げられている水色の髪を片方、掴む。 そのまま、ぐったりとしているにとりの身体を、人形のように引きずりながら、先程の開闊地の草むらへと戻り始めた。 にとりの緑色の帽子は無くなり、彼女が背負っていたリュックも、バンドがちぎれて、どこかへ落ちたようであった。    そのリュックが、道の半ばに落ちているのが、フランの視界に入った。 それに興味を引かれたのか、フランは掴んでいたにとりの髪を手離すと、リュックに歩み寄って屈み、中を覗き込んだ。 持ち主が居なくなった人形のように、にとりの身体が、頭が、脱力したまま地に転がる。  「なんだろ、これ」 リュックの中には、フランが見たことも無いような工具がぎっしりと詰まっていた。 小箱のような機械を取り出し、適当に装置のボタンを押してみる。 だが、使い方がわからず、すぐにつまらなくなったので、フランは装置を両手で挟みこんで潰してみた。  「わっ」 小さな火花が飛び散り、鼻をつく臭いの煙が噴き出す。 これは少し楽しかった。 すると後方から、小さな悲鳴が聞こえた。 振り返れば、地面にうつ伏せのまま、上体だけを肘で辛うじて起こしたにとりが、 フランの手の中でひしゃげた装置を見つめて、涙目になっていた。    「やめ、て……。私の、だい、じな工具……」 にとりは血で汚れた顔をフランに向け、歯を食いしばりながら、這って近寄ってくる。 フランは、きょとんとした表情で、にとりを見ていたが、 やがて、にっ、と笑ってリュックの中に手を突っ込み、今度は一本の金属工具を取り出した。  「あ、だめ……!」 にとりは自分の愛用の工具に手を伸ばそうとするが、その場からでは届かない。 そのにとりに、よく見えるように、フランは金属工具をひねり潰してみせた。    「………っ!」 にとりは、怒りと悲しみが混ざった表情のまま、小さく身を震わせる。 リュックから取り出された工具が、フランの怪力で次々とへし折られ、潰され、壊されていく。  「うっ、ぐ…っ!」 にとりは目に涙を溜めて、身をよじる。 フランは工具自体には、まるで面白みを感じてはいない。 だが、それを壊す事で反応するにとりの様子が、面白かった。 ようやく這ってフランの元に辿り着いたにとりが、屈んでいるフランの手に下から縋りつき、工具を取り戻そうとする。    「返して! わたしの、こう、ぐッ!?」 フランは、にとりの頭を片手で地面に押さえつけながら、 空いた片手で、尚も、にとりの工具を破壊し続けて見せた。 原型を留めぬ程に変わり果てた金属の塊や、何かの装置の残骸が、次々とにとりの目の前に放り投げられていく。 地面と同じ高さになったにとりの視界に、愛用の工具達の変わり果てた姿が積み上げられていった。  とうとう、リュックの中の工具が全て、破壊された。 にとりは、フランに頭を地べたに押さえつけられたまま、 嗚咽を漏らしながら、悔しさと無力感に唇を強く噛んでいた。 そのにとりの服の、腕のポケットの破れ目から、何かの工具らしき物が覗いている事に、フランは気がついた。    「もう! おすもうするときは、素手でやらないと反則なんだよ!」 フランは楽しそうに言って、にとりの上半身の服の、右半分の布地を、腕ポケットごと引き千切った。  「いやあぁぁ!」 陶器のように白い、にとりの上腕や肩が、青い月光の下で露わになった。 ポケットの中に入っていたのは、筆箱大の細長い装置であった。 何かの探知機か、測量装置であろうか。それには、たくさんのボタンや小さなつまみがついていた。  「やっ! それは、それだけは、やめて……!」 顔色を変えたにとりが一際激しく泣き叫び、悲痛な表情で懇願する。 この工具は、フランが今までに壊した工具とは違うようだ。 もっと大切な、あるいは希少な、替えのきかない物なのであろう。 それ故にリュックではなく、直接、自分の服に縫い付けたポケットに入れてあったのかもしれない。 にとりは、ダメージでほとんど動かない身体をよじって、フランに縋りついた。    「おね、がい…。お願い、だから…壊さないで!」 必死の形相のにとりに、フランは、にこりと微笑んだ。  「うん、わかったよ。わたしは壊さない」  「え……?」 そう言ってフランは、うつ伏せのままのにとりの手の平の上に、その工具をそっと置いてあげた。   ※  「あ……」 ほんの少し、安堵の表情を見せたにとりは、鼻をすすり上げてから、大切そうに工具を両手で包み込んだ。 そのにとりの両手を、フランの両手が優しく包み込んだ。 フランはそのまま、にとりを軽く引っ張り上げ、膝を崩した姿勢で座らせた。 フランの頬と、にとりの頬とが、触れ合わんばかりに近づいている。  「え………?」  にとりは、つい先程と似たような声を、また漏らした。 にとりの両手を包み込んでいるフランの両手に、ゆっくりと、力が込められ始めたからだ。 にとりの顔が、悲しみに引きつった。    「私は壊さないから、自分の手で、壊してみようね?」  「やあっ、離してっ! やめてぇっ!」 にとりは全身に残る痛みに耐え、身をよじって暴れた。 だが、フランの力に対抗できる筈も無い。 妖怪であるから、河童も身体は丈夫である。 手を潰される痛みにも、ある程度は耐えられる。 だが、大切な物を壊される痛みは、耐え難い。 吸血鬼の怪力が、暴れるにとりの両手ごと、工具を圧していく。 軋み音を立てながら、自分の手の中で、自分の大切な工具が潰れていく。  「ひ、ぃや、ぁ………」 その感触を、にとりは抗う事もできずに味わっていた。 ただ首を小さく左右に振って涙を散らす事しかできない。 すぐ真横にあるフランの丸い頬や唇に、透明な雫が飛び散る。 フランは、口の端についたそれを赤い舌で舐め取ると、満足げな笑み浮かべた。  さらに、フランが両手に力を込める。 機械が砕ける一際大きな音が、辺りに響きわたった。 手の平の中で工具の機械部分が細かく砕ける感触を、にとりは、はっきりと感じた。 暴れていたにとりの身体が、動かなくなった。 フランが手を離すと、にとりの両手の平から、大小の粒となって、部品の残骸が零れ落ちていく。  「あ……あああぁあぁっ!!」 その様子を、にとりは膝を崩して座った姿勢のまま、目を見開いて見ていた。 手の平に部品の破片が刺さり、わずかに出血している。 にとりの身体が、脱力したように、地面に突っ伏した。  「あーあ、自分で自分の大切な道具、壊しちゃったね?」 フランは可笑しそうに言うと、今度はにとりのスカートについているポケットに触れた。 びくり、と身を竦ませたにとりが、慌てて身を起こして己のスカートを庇う。 にとりの抵抗をものともせずに、フランが物凄い力でにとりのスカートを引き千切った。  「返してっ! 返してよっ!」 にとりは、上下の下着だけの姿となった事にも構わず、 先程よりも強い力で、千切れたスカートを持っている方のフランの腕にしがみついた。 フランは空いている方の手で、にとりの喉もとを掴んだ。    「ぐ…うっ!」  「これはね、おすもうの技で『のどわ』っていうんだよ」 そのまま、にとりの喉もとを締め上げながら、持ち上げ、背中から地面に叩きつけた。 がっ、という搾り出すような声を発して、にとりは大の字で地面にめり込む。  動けないにとりの、素肌の腹や胸の上に、細かい破片や粉のような物が、さらさらと降りかけられた。    「ぅ……、ぁ………」 それが何であるかに気づいたにとりが、小さく嗚咽を漏らす。 仰向けのままの目尻から重力に従って、涙が、にとりのこめかみを伝って降りた。 降りかけられた破片は、服の各部のポケットに入れてあった残りの道具達の残骸であった。  これで、にとりが身に着けていた全ての工具や道具が、壊されてしまった。     「あ、そうだった。おすもうをやるときは、裸になんないとね」 倒れているにとりを放って置いたまま、フランは自らも洋服を脱ごうとする。  「おまたせー! さ、おすもうの続き、しよ!」 上下の服を脱ぎ捨て、キャミソール姿になったフランが、にとりの方を向く。  そこには、下着姿で地面に片膝を突いたまま、フランを睨みつけているにとりの姿があった。 露出している白い肌は、所々に切り傷やみみず腫れがつき、痛々しかった。 だが、眼光だけは鋭い。 先程まで、泣き喚いていた河童ではなかった。 その変貌に、フランも一瞬、動きを止めた。   ※  にとりは、憤怒の視線で、フランを射る。 その右手の平には、どこに忍ばせていたのか、スペルカードが握られていた。 水符であった。吸血鬼にとって、水流は致命的な弱点であるとされている。 途端にフランの表情が固まり、その眼が、にとりの手の中の水符に釘付けになる。  にとりの、フランを貫く双眸が、鋭く細められ、水符が起動する  −と、見えた刹那。 にとりの右手の平をスペルカードごと、長い、赤い光が貫通していた。 にとりの眼前の、キャミソール姿のフランドールは、何もしていない。 ただ、無表情のまま、その場に立っているだけである。 にとりの背後から、その赤い光は、にとりの右掌を貫いていた。 灼熱に焼けた鉄の棒に、右手の平を貫かれているような激痛に、にとりが狂ったように叫ぶ。    にとりの背後には、きちんと服を着た、もう一人のフランドールが立っていた。 そのフランドールが、赤熱に灼けた長い剣を、にとりの右の手の平から引き抜く。 風穴を開けられたスペルカードが、焼けながら地に落ちた。 にとりは、貫かれた右掌を押さえながら、左肩から崩れるように地に倒れ込んだ。 目をきつく瞑り、痛みに表情を強張らせながら、身悶え、転がった。  「もう! そんなものも、使っちゃダメなんだよ?」 キャミソール姿のフランが、言いつけを破った子供を叱るかの様な口調で言う。 地面に横たわったまま、額に汗の玉を浮かべて苦しんでいたにとりを、 さらに別の、二人のフランドールが、左右から腕を掴んで、立たせた。 そして、意識が朦朧としているにとりに、無理矢理、相撲の仕切りの姿勢を取らせる。 しかし、にとりの瞳からは、もう活力の光が消えかけていた。  「も……、やめ、て……」 にとりの唇が、微かに動いて何かを呟いた。  「どうして……、こんなこと、するの………」  「それじゃあ、気をとりなおして!」 にとりの言葉が聞こえていないかのように、下着姿のフランドールも、仕切りの姿勢を取った。 先程、にとりの手を貫いたフランドールが、行司の様に、下着姿のフランと、にとりの間に立つ。    「はっけよーい………のこった!」 行司のフランの合図と同時に、にとりを両脇から支えていた二人のフランドールが、にとりを前へ突き出した。 下着のフランも、にとりに向かって飛び出す。 にとりは、ふらつきながら前へ出た。 そのにとりを、フランは突き飛ばす事はせずに、がっしりと腰に組み付いた。     「のこった! のこった!」 行司のフランが一生懸命、叫んでいる。 にとりには既に戦意など無く、下着のフランにもたれ掛かるように、両腕を脱力させて身体を預けているだけだった。 その事に気づいた下着のフランが、にとりの腰を掴んだまま、つまらなそうに口を尖らせた。   「もー…、まじめにやってくれないと、おもしろくないじゃないの!」 フランの肩の上に顎を寄りかからせ、朦朧としていたにとりの視界が、ふいに、鮮やかな黄緑色の光で照らされた。 フランが生み出し、空中に固定した弾幕が、下着のフランと、にとりを、巨大な桶の側壁のように、円形に囲んでいた。  「土俵のはじっこにさわったら、あつくていたいよ? これならまじめに、おすもうしてくれるよね!」 にとりは、目を剥いた。 このまま押されて『土俵』の端に身体が触れれば、触れたその部分は激痛と共に焼かれる。    「ひっ ぐぅ…!」 にとりは、だらりと下げられていた両の腕を上げ、フランの腰を掴んだ。 身体に残っている体力と気力の全てを振り絞って、フランを押し返そうとした。  「そうそう! そうこなくっちゃ!」 嬉しそうにフランが笑みを浮かべる。 そして、にとりが押してくる力よりも、少しだけ強い力で、にとりを押し返した。 にとりの背中と踵が、少しずつ、灼けて輝く黄緑色の弾幕の壁へと、近づいていく。  「ぐ…、ぎ、うぅっ!」  「ほらほら、もっとがんばってみてよ」 にとりが歯を食いしばり、限界を超えて力を出す。 フランは、その力よりも、一回りだけ強い力を出して、押し返してやる。 そうやって、勝てもしないのに必死に頑張るにとりの姿が、滑稽で、堪らなく可笑しかった。      にとりの背中が、黄緑色に輝く弾幕壁に、浅く触れた。 ジュッ、と肉が焼ける音がする。 少し遅れて、にとりの背中の痛覚を、熱と激痛が混ざったものが鋭く走り抜けた。 直に肌と肌とを触れ合わせているフランには、 にとりの身体が、痛みと恐怖に小さく跳ねる動きまでもが、しっかりと感じられた。 フランはさらに力を込めてにとりを押し、深く、にとりの背中を灼熱の弾幕壁に押し付けた。  静かな、青い月光の下、にとりの絶叫が、樹林の間に木霊した。    ※  にとりが、月下の草むらにうつ伏せに倒れていた。 ボロボロの下着のみを纏ったその身体は、至る所に細かな傷跡が走っている。 特に背中は酷く、見るも無惨に焼け爛れていた。 左頬を地面につけたにとりの瞼は、半分だけ開かれたままになっている。 半分だけ見えているにとりの瞳は、濁ったように虚ろであった。 口元からは、半ば乾いた血と、涎が混じったものが垂れていた。 身体は、ほんの微かに痙攣を続けている所を見ると、まだ生きてはいるようだった。 薄く開いた唇からも、弱々しい小さな呼吸音が漏れている。  黄緑色に輝く『土俵』も、3人分増えたフランドールも、消えていた。 朽ちた人形の様に動かないにとりの頭元に、今はもう洋服を着たフランが立っていた。  「………つまんない。カッパは、すもうがつよいって、きいてたのに」 フランは興醒めした様に一人ごちて、足元に倒れているにとりの頭を、靴先で軽く蹴る。 にとりの頭は、ゴロりと少し動いただけだった。    「あ、そうだ!」 何かを思い出したように、フランの表情が明るくなる。  「あたまにある皿を壊したら、カッパって、よわったり、しんだりするんだったよね?」 フランは屈み込み、動かないにとりの水色の髪を掴んで持ち上げる。 左手でしっかりと、にとりの首根っこを掴んで固定すると、右拳を握り締めた。 にとりの頭頂部に狙いを定め、真上から、その拳を、振り下ろした。  にとりの頭蓋の中で、固い何かが砕ける感触が、フランの拳に伝わってきた。 動かなくなった、と思っていたにとりの両目が、かっと見開かれた。 その身体が、びくり、びくりと、二、三度大きく痙攣する。 それがおさまると、見開かれていたにとりの瞼は、再びゆっくりと半開きとなっていく。 その眼からは、完全に光が失われていた。 そのまま、今度こそ本当に、にとりは動かなくなった。    ※ 翌朝。 幻想郷の、とある大河。 その川面を、流れていくものがあった。  「おや?」 それを上空から最初に発見した者は、思わず目を見張った。  「わっ、『河童の川流れ』を現物で拝めるなんて、運が良いんでしょうか!?」 と、軽く笑い、早速、写真撮影の為に降下した。 だが、近づくに連れて、撮影対象の様子がおかしい事に気付き、その者の顔は青ざめていった。   間も無くして、永遠亭に急患が運び込まれた。