霊夢が死んだ。 それを魔理沙が聞いたのは、病床から回復してすぐのこと。 告げたのは、高熱に浮かされていた魔理沙を看病していたアリスだった。 「う、嘘だろ!?」 「本当よ。霊夢は、――死んでしまったの。  あなたが高熱でうわごとを言い始めて、3日経った日のことよ」 「ど、どうして?」 「枯れ木の枝に、刺さっていたらしいわ。  私が実際に見たわけではないから、詳しくは見つけた妖夢にでも聞いてちょうだい」 「本当……なんだな……」 「ええ……」 それでも、魔理沙には信じられなかった。 自分は1週間ほど高熱を出して寝込んでいたというが、まったく記憶がない。 それだけ重病だったとも言えるのだが、浦島太郎のように、世間に置いてきぼりのような感じがした。 体を起こせば、いつもの散らかった自分の部屋。 窓の外は、変化のない同じような冬の風景。 木立。 枯葉。 北風。 何もかも、変わらない。 その中で、霊夢だけが変わってしまったことに、まだ意識がついていけないでいた。 「ああ、明日の夜から通夜で、明後日の朝お葬式、出棺は午後1時。  あなたも回復したみたいだし、行けば霊夢は喜ぶと思うわよ。  じゃ、ね」 「え、あ、ああ」 だから、アリスの去り際の言葉にも、生返事で答えるしかなかった。 自分には、何も違いが分からないのだから。 ガチャリ アリスは、言うだけ言うと、ドアノブを回して出て行った。 その時、一瞬頬を撫でた寒気だけが、「これは現実だよ」と語りかけていた。 葬式。 憎々しいほどの青い空が広がる中、それはしめやかに行われた。 生前の友人たちが、無表情に献花を奉げていく。 魔理沙の番。 霊夢の死に顔は、ただひたすらに、美しかった。 生気のない青白い顔に、ちょっと見ただけでは分からないほどの死に化粧が薄くほどこされている。 体は木に刺さった影響でグチャグチャだったらしく、魔理沙が見たのは、棺の小さな窓から覗く、安らかな霊夢の寝顔だけだった。 「おい、霊夢! 本当は生きているんだろう!?  こんな冗談やめにして、早く起きろよ!」 ガツン ガラス張りの小窓を、魔理沙は無意識の内に叩いていた。 一つ激情が弾けると、それはもう止まらない。 ガツンガタンゴトンガンガンガツンガタンゴトンガンガンガツンガタンゴトンガンガン ガツンガタンゴトンガンガンガツンガタンゴトンガンガンガツンガタンゴトンガンガン ガツンガタンゴトンガンガンガツンガタンゴトンガンガンガツンガタンゴトンガンガン 叩き、揺らし、叫ぶ。 何度も。 何度も。 「もうやめて! 魔理沙!  霊夢は、もう死んじゃったのよ!」 後ろから羽交い締めにして、魔理沙を止めるアリス。 「動いて……、くれよ……」 それでも、叩こうとする魔理沙に、 そっと、アリスが魔理沙の手に優しく手を合わせて囁いた。 「もう、ダメなの。  ――霊夢は、死んだの」 「ううぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーー!!!!!!」 霊夢は、もう、動かない。 それを認識した時、魔理沙の意識は、闇へと墜ちていった……。 「魔理沙の容態は?」 霊夢の葬式で気を失った魔理沙は、アリスによって魔理沙自身の家に担ぎ込まれた。 葬儀には永琳にも参列していたため、応急手当は完璧だった。 完璧だったのだが……。 「ダメね。  生きようとする意志がないわ。食事も受け付けないし。  栄養点滴で多少生き長らえさせることはできるけれど、ま、焼け石に水ね」 アリスの問い掛けに、無情の答えを返す永琳。 「魔理沙、なんだかんだで霊夢のこと、ずっと気にしていたものね。  ライバルとして意識することは表向きで、実際は依存していたってことだったのね」 絶句するアリスの代わりに、声を搾り出すパチュリー。 話題の中心である魔理沙は、死んだ魚のような目で、虚空を見つめている。 病院を連想させる白いシーツが痛々しい。 「ともかく、本人に生きる意志がないなら、どうしようもないわ。  生きさせたいなら、何か生きる目的を作らないと。  じゃ、私は帰るわね」 「私も帰るわ。霊夢が死んだことで、レミィがショック受けてるから。  ――魔理沙のこと、お願いね」 2人が魔理沙の家を出て行くと、そこはアリスと魔理沙の2人きり。 しかも、1人は物言わぬ人形。 アリスは、先ほどの2人の言葉を思い出す。 ――「何か生きる目的を作らないと」「魔理沙のこと、お願いね」――。 今、魔理沙を救えるのは自分だけ。 アリスは意を決して、一つの言葉を語りかけた。 「――霊夢は、私が殺したのよ――。  私が、お使いを頼んで、その帰りに事故にあったの――」 だが、魔理沙は動かない。 ――ダメか。 アリスの心が絶望感で一杯になる。 「また、来るわね」 そっと、別れを告げて家を出る。 この時のアリスは、次の日、魔理沙が完全に回復していることなど思いもよらなかった。 そして、その後のことも。 アリスは、魔理沙に生きてもらうことに必死だったのだ。 「――霊夢は、私が殺したのよ――。  私が、お使いを頼んで、その帰りに事故にあったの――」 「――霊夢は、私が殺したのよ――。  私が、お使いを頼んで、その帰りに事故にあったの――」 「――霊夢は、私が殺したのよ――。  私が、お使いを頼んで、その帰りに事故にあったの――」 「――霊夢は、私が殺したのよ――。  私が、お使いを頼んで、その帰りに事故にあったの――」 「――霊夢は、私が殺したのよ――。  私が、お使いを頼んで、その帰りに事故にあったの――」 ……。 魔理沙は、先ほどのアリスの言葉を何度も反芻する。 そして、理解した。 ――レイムヲコロシタノハ、アリス――。 許せない。 許せない。 許さない。 許さない。 霊夢を殺すなんて、誰であろうと容赦しない。 あのアマには、死さえも生温い世界を見せてやる――。 そうと決まれば、まずは腹拵え。 アリスが炊いていったご飯を釜ごと蹴飛ばすと、魔理沙は通常ほとんど口にしない、蕎麦の乾麺を茹で始めた。 その日から、魔理沙の復讐が始まった。 次の日、様子を見に来たアリスに、万能包丁を一撃。 「霊夢の仇!」 間一髪で避けたアリスを、今度はカッターナイフが襲う。 二の腕に刺さっただけ。致命傷じゃない。 素早く判断した魔理沙は、次々と物を投げつける。 ハンマー、ドライバー、鋏、草刈り鎌、鉈、斧、……etc。 だが、その日は失敗に終わった。 そう、本当に失敗した。あれで、アリスが警戒するようになってしまったから。 「マスター・スパーク・フルスロットル!」 八卦炉を使って、ありったけの魔力をアリスの家に叩きつける。 まだ、朝早い。 アリスは寝ている筈だった。 けれども、これも失敗だった。まさか、用で他所に泊まっているとは思わなかった。 また、ある時は、そっと頭上から花瓶を落としてみた。 勿論、水を十分入れて重くして。 だが、これもアリスは直前で気がつき、腕の一本しか壊せなかった。 ある時には、アリスの家の周りに毒を撒いてみた。 汚染された食物を食べれば、いかにアリスとてただでは済まないだろう。 しかし、ミスをしてしまった。 少し、植物の色が変わってしまったこと。 嗚呼、また、アリスを生き長らえさせてしまった――。 いつの間にか、アリスは魔法の森から引っ越していた。 さもありなん。 ほぼ毎日、何かしら魔理沙から攻撃されるのだ。 遠い遠い、無名の山に。 しかし、それはほどなく魔理沙の知るところとなる。 復讐の念に駆られた魔理沙には、その程度の障害など、障害とも言えない些細なものだった。 だが、ここで魔理沙は考える。 アリスは、まだずっと警戒していた。 流石に、あれだけ警戒されているとやりにくい。 だから、魔理沙が見つけられていないと油断するまで、そう、1年くらい。 魔理沙は、待った。 そして、今日。 戸口の前で、出てくるアリスを待ち構える。 アリスは、1年間魔理沙を見ていないことで油断していた。 念には念を入れて、invisiblity(透明化)の魔法。 この、1年に習い覚えたもの。 アリスは、魔理沙がこの魔法を使えることを知らない。 強い北風、晴れた空。この天気なら、invisiblityの魔法はバレにくい。 すべてが魔理沙に味方していた。 ガチャリ ドアノブが動き、ドアが開く。 まだ。 致命傷を与えるには、もう少し。 息を殺して、アリスの様子を窺う。 1。 2。 3。 今! 「マスター・スパーク!!!」 「魔理沙っ!?」 焦るアリスの声が聞こえる。 だが、遅い。 すでに1m足らずの距離から、最も動きの遅い腹部に向かってレーザーを撃ったのだ。 神といえど、防げるものではない。 「きゃあぁぁぁぁあぁあああーーーーーーー」 腹部を吹き飛ばされ、倒れ込むアリス、だったモノ。 魔理沙は満足げに微笑むと、アリスの首を蹴飛ばして、焼け焦げた体から分離する。 そして、それをむんずと掴んで、飛び去った。 後には、余波で焼けているアリスの家。 それから、それをとりまく冬の寒気だけが残されていた。 数時間後。 魔理沙の姿は、魔法図書館にあった。 急いで来たのであろう、トレードマークの帽子には枯葉が張り付き、髪は乱れてグシャグシャ。 手は霜焼けになりそうなほど赤くなっている。 「パチェ、やったぜ!」 息せき切って図書館に駆け込むと、そのままパチュリーの前のカウンターにアリスの生首を置いた。 驚きに声も出ないパチュリーに、言葉を続ける。 「アリス、1年くらい私が姿を見せないからって油断していたんだぜ。  だからそこに、こう奇襲をかけて、『マスター・スパーク』って――」 パシッ 得意げに話す魔理沙を、パチュリーが叩いた。 「な、何すんだよ! ってー」 パシッパシッパシッパシッパシッパシッ 無言のまま叩き続けるパチュリー。 魔理沙が右手を掴むと、今度は左手で叩き始める。 パシッパシッパシッ 両手を掴む魔理沙。 パチュリーは、何とか拘束から逃れようとするものの、魔理沙との力の差は歴然で、すぐに収められてしまう。 「おい、パチェ。  どうしたんだよ。なんだかおかしいぜ?  折角、霊夢の仇を討ったんだ。もう少し喜んでくれよ」 戸惑いの表情を浮かべる魔理沙。 そんな魔理沙を、哀しげに見つめるパチュリー。 「馬鹿なのはあなたよ。  いつか、私もアリスも、気づいてくれると信じてたのに……」 「パチェ?」 「霊夢がね、出かけたのはあなたのためだったの」 「どういう……、ことだ?」 「あの時、あなたは高熱で危ない状態だった。  だから、霊夢が3日3晩つきっきりで看病して、  その間にずっと私とアリスであなたの病気を治す薬草を調べていたのよ。  そしてそれが、知っている場所に生えていることを知った霊夢は、止める間も無く出て行った。  その帰りに、事故にあったのよ。  疲労しているのに、無理して飛んで薬草を取ってきたせいでね」 「嘘、だろ……」 顔面蒼白になる魔理沙。 パチュリーは、淡々と言葉を続ける。 「こんなこと、冗談では言えないわ。  霊夢の死で、心が死んでしまったあなたに対して、アリスは一計を打った。  霊夢の死を自分のせいにすれば、魔理沙に生きる意味ができるだろうとね。  まあ、彼女も、こんな結末は予想していなかったでしょうけど」 「そんな、バカな……」 「信じる信じないは自由。  でも、私の言ったことは本当よ。  いつか、あなたは気づいてくれると思っていたのに――」 声を詰まらせるパチュリー。 そして、次の言葉が紡ぎだされる。 「もう、顔も見たくないわ。  どこへとなり立ち去って、もう2度と此処に足を踏み入れないで!」 悲鳴のような言葉を吐き棄てると、アリスの生首を抱いて立ち去るパチュリー。 その首から、血が1滴、滴り落ちて小さな染みを作った。 「うわぁぁぁぁぁああぁぁーーーーーーー!!!!」 その後、魔理沙の行方は、杳として知れない。