――わずかに欠けた真白い月が、闇色の空に輝く真夜中。 門番の交代を終えた美鈴は、紅魔館から少しばかり離れた木陰で、星空を眺めていた。 「綺麗な星空ね」 しっとりとしたか細い声を耳にして、美鈴が振り返る。 月光にその身を濡らしたパチュリーが、ひっそりと佇んでいた。 「こ、こんばんは!」 「今晩は」 「パチュリー様、これからお出かけなさるんですか?」 「いえ、あなたに用があるのよ」 「そうでしたか、それでは中へ入りましょうか?」 「……此処で良いわ。その方が都合が良いのよ」 「わかりました」 「あなた、フランが幽閉されているのは知ってるわよね」 「ええ……レミリアお嬢様いわく、気がふれている、とのことでしたが……」 「単刀直入に尋ねるわ。あなたは、そう思っている?」 しばしの、間。 風が吹き過ぎる。 木の葉がさわさわと音を立てる。 美鈴は、言いにくそうにしながらも、正直に自分の思いを伝えた。 「正直に申し上げますと……とてもそうは感じられません。  一度だけ、フラン様の弾幕ごっこのお相手をしたことがあるのですが……  あの際限のない魔力をうまく制御していたようですし、  誤って私の命を奪ってしまうことのないよう、細心の注意を払っていらっしゃいました。  何より、あの純粋無垢で優しげなフラン様を見ていると、とてもそうは思えないのです」 「……フラン」 「え?」 「あなたも、そう呼ぶのね。  ……あなたの本心はわかったわ。  それと、フランが狂ってないって……その答え、正解よ」 少しだけ前置きをして、彼女はレミリアがフランドールを幽閉した本当の理由と、 独占欲にかられて小悪魔につらくあたっていることを話した。 「……そうですか……小悪魔の件は知りませんでしたが……  お嬢様にも困ったものです。  最近は、咲夜さんにも遊びで無理難題をふっかけるものだから……  咲夜さん、仕事に追われてろくに眠れてもいないんですよ。  たぶんもう、能力を使っても時間が足りてないんじゃないかって思うんです」 そう言ってため息をつく美鈴の瞳には、たしかな怒りが浮かんでいた。 それを理解しているのかしていないのか、パチュリーは黙ってうつむく。 数秒の間をおいて、パチュリーが勢いよく顔を上げ、美鈴に向かって一歩踏み出した。 頭を飾っていた淡い紫色のナイトキャップが、風にさらわれる。 彼女の暗く鋭い瞳に射抜かれて。 美鈴は身動きが取れなくなった。 パチュリーも、動かない。 「私ね、革命を起こそうと思うの」 「当主になったフラン」 「そして、フランと笑いあう私とこぁ、咲夜と美鈴」 「――あなたは、どう思う?」 静寂が二人を包む。 風が消える。木の葉がぴたりと動きを止める。 しばしの間ののちに、風が再び吹き始めて。 美鈴が、口を開いた。 「……ひとつだけ、申し上げます」 「何かしら?」 「フラン様が救われるためには、レミリア様を殺さなくてはならないでしょう。  しかし、……出来る限り、フラン様にショックを与えないよう、お願いします」 「ええ……。ただね、今、やっと気付いたのだけれど。  私たちは今日この日まで、フランを救おうとしなかったわ。  ……もし、殺されたとしても、文句は言えない」 「……ええ、でも……フラン様は、お優しいですから。  虫が良すぎるかもしれませんけど、許してくれるような気がするんです」 「……奇遇ね、私もちょっと、そう思っていたの」 「そうですか」 二人は何も言わずに、空に浮かぶ月を見つめる。 明日は、満月だ。 「……決行は明日の夜。レミリアには、存分に本気を出し切ってもらいましょう。  そして、絶望に包まれて死んでもらうわ。……フランのためだもの、私は絶対に負けない」 「決行の際は――私にもお声をおかけください」 「勿論よ、それじゃあね」 美鈴の返事を待たずに、パチュリーは風に乗ってあっという間に立ち去ってしまった。 パチュリーの静かな狂気と怒りを垣間見た美鈴は、いまだ動けずにいる。 ひときわ強い風が吹いて、持ち主に忘れ去られた哀れなナイトキャップが宙を舞い。 反射的にそれを掴んだ美鈴は、ようやくパチュリーが帽子を忘れていったことに気づくのだった。 ――レミリア・スカーレットの自室―― レミリアは、不機嫌そうな様子で窓の外を眺めていた。 夜空には、無数の星がきらきらと輝いている。 そんな美しい光景を目にしても、レミリアの心が晴れることは無かった。 (どうしてっ……! どうしてパチェは、小悪魔なんかに構うのよ!  あんな奴、ただの契約者に過ぎないくせに! 弱いくせに!  それに、最近は私に隠れてフランドールのところへ行っているようだし……  妹なんていらなかった! あの忌々しい小悪魔もいらないわ!) なんとも身勝手なことを考えながら、拳を強く握りしめる。 ――最近はパチュリーが少し冷たいのを、レミリアもなんとなく理解しているのだ。 自然と、歯噛みをして――レミリアは、もうひとつ思い出す。 (……そう言えば、頭に血が上っていて気がつかなかったけれど……  ここ最近、美鈴や咲夜もどこかよそよそしかったような……) どくん、と心臓が大きく波打つ。 嫌な胸騒ぎをおぼえた彼女は、自身の能力を用いて運命を視ようとした。 けれど、何も浮かんでくることは無い。 ――能力が機能しないのだ。 「何故……!? 何故なのよ!」 運命を操るということは、一歩間違えれば運命を“弄ぶ”ことになる。 そして、運命を弄ぶ者は、いつか運命による報復を受ける運命にあるのだ。 ――精神的に幼いレミリアは、今日この日まで、それを知ることはなかった。 「……仕方ないわね、とにかく、咲夜……いえ、パチェか美鈴を探さないと……!」 ――運命を視ることはかなわない彼女だったが、優れた直感だけはかろうじて残っていたらしい。 そうでなければ、また違った結末を、ひょっとすれば救いを得ることも出来たかもしれない。 だが、それはもはやかなわぬこととなってしまった。 これもまた、彼女が弄んだ運命による報復――つまりは、運命だったのかもしれない。 直感に従うレミリアが向かった先は、フランドールが幽閉されている地下室だった。 漆黒の翼を羽ばたかせて、月光躍る廊下を駆け抜ける。 階段を降りてゆく。月光が途絶える。 夕焼け色のランプが、フランドールの部屋へと続くドアをぼんやりと照らし出していた。 今までずっと開くことのなかった、美しい装飾が施された重いドア。 震える手でドアノブをひねり、一気に開く。 レミリアの視界に飛び込んできたのは、自らの妹であるフランドール。 そして――咲夜、美鈴、パチュリー、小悪魔だった。 「……お、お嬢様!?」 美鈴の慌てた声。 レミリアの様子と今の状況を見極めて、一番早くレミリアの心境を察したのは、咲夜だった。 フランドールに危害が及ぶ可能性が高い。そう判断して、彼女はフランドールを背にかばう。 パチュリーは小悪魔を一番後ろへ押しやって、さらに咲夜の目の前に立った。 その隣に美鈴が立ち、臨戦態勢をとったのは、ほぼ同時。 ――結局は。 親友も、従者も、門番も。そして、彼女が見下し、嫌った小悪魔さえも。 レミリアではなく、フランドールを求めていたのだ。 「あぁぁぁあぁああああああっ!!」 残酷な真実を知ったレミリアが、叫ぶ。 深紅の瞳から、涙があふれ出していた。 彼女の咆哮は、スペルカード宣言のかわりだった。 ――天罰 スターオブダビデ―― レミリアから魔力があふれ出すと同時に、 咲夜と美鈴、それにパチュリーがスペルカード宣言を行う。 奇術「幻惑ミスディレクション!」 幻符「華想夢葛!」 日符「ロイヤルフレア!」 咲夜の銀のナイフが、レミリアの放った光弾を次々に相殺してゆく。 3対1では、勝ち目などあるまい。 レミリアの光弾と光線はほとんど消えてなくなり、 パチュリーと美鈴の放った光弾が、レミリアめがけて飛んでゆき。 ――跡形もなく、砕け散った。 「お姉さま」 握りしめた右手をひらいて、静かな声で語りかけるフランドール。 星の雨のように輝きながら降り注ぐ光弾の破片が、彼女の毅然とした美しさを引き立てる。 「咲夜も、パチェも、美鈴も、小悪魔も悪くない。  ……みんなを傷つけないで。  そこまでするのなら、私と殺し合おう。……それでぜんぶ、決着はつくよね?」 フランドールの言葉を聞いて、レミリアは少し落ち着きを取り戻したらしい。 未だ殺意の宿った深紅の瞳で、何も言わずにフランドールを鋭く射抜いていた。 「フ、フラン様、おやめください、危険です!」 「そうよフラン、お願いだからやめて!」 咲夜とパチュリーが、必死にフランドールを止めようとする。 だが、美鈴がそれを制した。 「……フラン様がご決断なさったことです。邪魔をするのは止しましょう」 彼女は、フランドールが殺される、即ち負けることは無いと信じている。 だからこそ、フランドールの意思を尊重したのだ。 その思いとフランドールの覚悟を察して、咲夜とパチュリーは身を引いた。 「もう、あなたなんかに負けないわ! 今日は殺して殺して殺しつくしてあげる!」 「いいよ、お姉さま。……私も、本気でやるわ!」 二人の少女が、高く高く飛翔する。 二つの紅色がぶつかりあって、血濡れの舞踏会は幕を開けた。