――茜色の光が差し込む紅魔館の奥に存在する、巨大な図書館。 本が所狭しと並べられたこの場所は、 知識と日陰の少女、パチュリー・ノーレッジとその従者兼司書の空間だ。 「パチュリー様、紅茶をお淹れしました」 そう言って優しい微笑みを浮かべる、美しい赤髪の小悪魔少女。 ありがとう、とだけ言って、パチュリーはティーカップを受け取り、 湯気の立ち上る紅茶を一口、喉へと運んだ。 「……やっぱり、あなたの紅茶が一番好きよ」 「! あ、ありがとうございます、パチュリー様!」 赤面しつつも心底うれしそうな様子の小悪魔を見て、パチュリーも笑みを浮かべる。 パチュリーにとって小悪魔は、たったひとりのかけがえのない従者であり司書であった。 小悪魔にとってパチュリーは、たったひとりのかげがえのない主人であった。 パチュリーの空いている左手が、本のページをめくる。 瞬間、図書館のドアが開かれ、淡い瑠璃色の髪を揺らす紅色(くれないいろ)の悪魔が顔を出した。 「パチェ、咲夜がケーキを作ってくれたの。一緒に食べましょうよ」 「……ありがとう、そこへ置いてくれる?」 「ええ」 お盆を抱えていた小悪魔を軽く押しのけて、レミリアがパチュリーの隣に座る。 パチュリーの紫色の瞳が暗く淀んだことに、レミリアは気づかなかった。 「あ、それでは私は……」 「……そう。お仕事はもういいわ……こぁ、あなたにも紅茶を淹れましょうか」 「ありがとうございます、パチュリー様」 パチュリーが小悪魔に紅茶を淹れるのもまた、いつもの日課だった。 もちろん、小悪魔がお願いしたわけではない。 小悪魔のことを好いているパチュリーから、日課にしようと提案したことである。 「小悪魔、あなたは主人に紅茶を淹れさせるの?」 レミリアが冷たく言い放つ。 真紅の瞳をぎらりと光らせる彼女を目の前にして、小悪魔は何も言えなくなってしまった。 そこに、レミリアがさらに追撃する。 「いつからそんな良い御身分になったのかしら」 「も、申し訳ありません……」 館の主を相手に反論など出来るはずもなく、小悪魔はしゅんとうなだれた。 はぁ、と深いため息をつくレミリア。 そんな彼女を止めたのは、パチュリーの暗く冷たい声だった。 「やめなさい、レミィ。  これは私が提案して、それから毎日続けている日課よ。  こぁを責めないで頂戴。この子は何も悪くないわ」 「……あら、そうだったの」 それだけ言うと、小悪魔に謝るどころか、小悪魔を見ることすらなく、 レミリアは自分の分のケーキを口に運んだ。 かちゃかちゃと、フォークの音だけが響く。 小悪魔は気まずそうな顔をして、その場を去っていった。 「ねえ、レミィ」 「なぁに、パチェ」 「……あなたは、こぁが嫌いなの?」 「別に嫌いじゃないわよ」 「……そう」 嘘つき。 パチュリーは、その言葉を三口目の紅茶と一緒に飲み込んだ。 彼女はなんとなく勘づいているのだ。 ――自分と親しくする小悪魔を妬み、邪魔者とみなしていることに。 にもかかわらず、そんな我儘なレミリアの前で迂闊なことを口にしてしまった自身を恥じた。 レミリアを視界に捉えたその瞬間、パチュリーはなんとなく気分が沈み、 つい、自らの愛しき従者である小悪魔に声をかけたくなってしまったのである。 いつからだろうか――レミリアに不信感を抱き、小さな憎しみをおぼえるようになったのは。 そんなことをぼんやりと考えつつ、彼女はぱらぱらと本のページをめくる。 その暗い瞳はしかし、本の文字などほとんどとらえていない。 かちゃん。 フォークが置かれたその音を耳にして、彼女は思いだした。 (そうか……そう、フランに本を持って行って、初めて言葉を交わしたあの日だわ) 本を閉じる。 パチュリーの意識が、現実から切り離される。 そして、あの日へと戻ってゆく。 狂気に囚われた破壊の少女、フランドール・スカーレット。 レミリアが自らの妹にもかかわらず幽閉してしまうと云うことは、その狂気は相当のものだろう。 そう考えながら、応戦準備を整えつつ地下室のドアを開いたパチュリー。 彼女を出迎えたのは、なんのことはない、デディベアを抱えて歌を歌う幼い少女だった。 『あれ、地下室に人が来るなんで珍しいね。誰?』 『私はパチュリー・ノーレッジ。退屈だろうと思ってね、本を持って来たのよ』 『ありがとう、少しは退屈せずに済みそうね』 『……ねえ、フランドール、あなたどうして幽閉されてるの?』 『狂ってるからって、危険だからってお姉さまは言うけど。パチュリーは言われてないの?』 『言われてるわよ。けれど、あなたが狂ってるようには見えないのよね』 『あ、うれしいな。それ正解。  ……じゃあ、ほんとのこと教えてあげる。  たぶんね、私がお姉さまより強くなっちゃったから。これが幽閉された理由』 『……レミィは、身の危険を感じた、ということ?』 『違うよ。お姉さまは、……少し、プライドが高いから。  自分より強い妹を、私の存在を許せなかった、それだけ。  お姉さまは必死に隠してるけど、見てればわかっちゃううんだよね』 『……また、本を持ってくるわ、今日はありがとう』 『……? お礼を言うのは私の方だよ、パチュリー。  お話が出来て楽しかったわ。……そうそう、フランって呼んでいいよ』 『……そう。私のことも、“パチェ”で構わないわ』 『あはは、なんだかうれしいな。ばいばい、パチェ』 「……! ……パチェ! ちょっと」 頭の中であの日を繰り返していたパチュリーは、レミリアの声で我に返る。 心配そうな表情のレミリアに顔をのぞきこまれて、パチュリーは静かに言った。 「ごめんなさい、大丈夫よ。少しぼうっとしていただけ」 無意識に、レミリアを見つめる。 その真紅の瞳から、デディベアを抱えて微笑むフランドールの姿を連想する。 だが、同じ色をしているはずの姉妹の瞳は、全く違うものに見えた。 「そう? ……念のため、咲夜にお薬をもらってきましょうか?」 「……いえ、いいわ。それより、しばらく一人にさせて」 「……わかったわ、それじゃあ、小悪魔……」 はい、と返事をして顔をのぞかせる小悪魔。 「あの子はいいのよ」 いつもより、強く冷たい声が響く。 小悪魔がびくりと身を震わせた。 「……そう、それじゃあね、パチェ」 どこか不安げにそう言って、レミリアは図書館を後にした。 “パチェ” フランドールにそう呼ばれた時は、心があたたまるのを感じたのに。 レミリアに呼ばれると、心の中に暗雲が広がってゆくような、そんな感覚に囚われる。 親友だったはずなのに。 フランドールを幽閉している本当の理由を知った時。 フランドールの優しげで純粋な澄み切った瞳に見つめられた時。 嫉妬心から、愛しい小悪魔につらくあたるのを見たとき。 パチュリーの中の何かが、確実に壊れたのだ。 彼女は深い溜息を吐くと。 置きっぱなしにされていたティーポットに手を伸ばして、小悪魔のための紅茶を淹れ始めた。