幻想郷のあるところに、吸血鬼の住む真っ赤なお館がありました。  ある日のこと、館の門番が、館の前の湖に何かがぷかぷかと浮いているのを見つけました。  なんだろうと思って近寄って見ると、それは人間の青年でした。  年のころ二十歳かそこらの、働き盛りの青年です。しかし身につけている衣服はそこらの里で見るようなものではなく、手足もあまり日に焼けていません。  門番は、なるほどこれが「外の人間」か、と思い至りました。「彼」の身体からは、嗅いだことのない匂いがしていたからです。  最初は死んでいるのかと思いましたが、どうやらまだ辛うじて息はあるようです。  門番は妖怪でしたが、やはりそれなりに情というものがあるので、目の前で死にかけているものを放っておくことはできませんでした。  門番は彼を陸に引き上げてあげました。  とはいってもやはり妖怪ですので、 「珍しいし、お嬢様に差し上げたら喜ぶかなぁ。まぁ間違いなく血は抜かれるだろうけど、もしそれで死んでもドザエモンよりはましだし、いいよね」  まぁ、その程度の扱いでした。  さて門番が彼を引きずって廊下を歩いていると、顔見知りのメイド長と遭遇しました。この館のことは大体メイド長が取り仕切っているので、門番はメイド長に彼を任せることにしました。 「さっき湖で拾ったんですけど、どうします? 外の人間みたいですけど」 「あらホントだわ珍しい。  そうねぇ、ちょうどお嬢様のお食事に出す血が足りなかったし、もらっていくわ」  メイド長は人間でしたが、この館の主である吸血鬼の従者なので、同じ人間だからといって情を移すようなことはありません。 「味が良いようなら、妹様のおやつにもしてしまいましょう」  そのまま門番がしてきたように、メイド長はずるずると彼を引きずっていきました。  お嬢様のお食事に出すためには、もちろん血を抜かなければなりませんが、しかしこのままそうすることはできません。何しろ外から来た人間ですから、良くない病気を持っていたり、あまり健康ではなかったりするかもしれません。そんな人間の血をお嬢様に出すことなんて、できるはずがないのです。  なのでメイド長はまず、図書館に住む魔女のところに彼を持っていきました。 「いらっしゃいますか」 「何かしら」  魔女はこの館一番の知識人で、とても魔法が得意です。彼女の手にかかれば、検疫から殺菌までお手の物。もちろん、焼却処分だって簡単です。 「外から来た人間を持ってきたんですけど、検査してもらえますか?」 「へぇ、外から」  安楽椅子に座っていた魔女は、好奇心を抱いたのか、ふわりと浮きあがってメイド長のそばまで来ました。  知識人といっても、それは幻想郷の中での話です。なかなか情報を得ることができない「外の世界」のことには、とても興味があるのでした。 「男なのね」 「男ですわ」  ふむふむと頷きながら魔女は彼のことを観察します。もともと図書館に閉じこもっていて、男どころか人間自体目にすることの少ないので、その興味は並々ならぬものがありました。  簡単な魔法を起動して、魔女は彼の身体をチェックします。  肉付きはやや貧相で、妖怪にとってはちょっと物足りない肉体ですが、健康状態に問題ありませんでした。血液もサラサラです。 「いいんじゃない?」 「では早速」  とメイド長が言うと、いつの間にか彼は椅子に座らされ、隣には献血用の機材が置かれていました。手押しのポンプ式で、200mlのパックが三つ用意されていました。  メイド長は彼の腕に太い注射針を刺し、容赦なく血を抜き取っていきました。  二つ目のパックの七割が血で満ちるころ、彼は目を覚ましました。急激にたくさんの血を抜かれたためか、意識が朦朧としているようです。 「ここ……どこですか」 「ここは吸血鬼の館で、私は吸血鬼のメイドで、あなたは吸血鬼の晩御飯」  パックを三つ目に取り換えながら、メイド長は答えてあげました。  ここで普通の人間なら、言葉の意味を問いただしたり、冗談だと笑ったり、何も言わず逃げ出そうとするのでしょう。けれど、彼はそのどれでもありませんでした。 「はぁ、それは面白いですね」 「あなたも面白い人間ねぇ」  メイド長は少しびっくりしました。ここに連れて来られて、そんな風な反応を返した人間は一人もいなかったからです。もしかすると単に、夢か何かと勘違いしていただけかもしれません。  どちらにせよ、血を抜く手が止まることはありません。いつも忙しいメイド長に、無駄に過ごせる時間などないのです。もっとも、その気になればいくらだって、彼女は時間を引き延ばせるのですが。  パックの中の血をメイド長自ら検分し、その成果に目を細めます。なかなかの上物です。この分なら妹様に出すにも問題ないでしょう。もっと抜き取って保存しておいてもいいかもしれません。  献血機材を一瞬で片づけて、メイド長はまた彼を引きずっていこうとしますが、 「待って」  それを魔女が呼びとめました。 「これ、私がもらってもいいかしら。外の人間のことってよく知らないのよねぇ」 「……うーん、どうしましょう」  メイド長は悩みました。せっかく、久しぶりに質のいい血が手に入ったのです。魔女に与えるにはもったいないと思いました。  しかし、魔女は自分の主人のご友人でもあります。無下に扱うこともできません。  そこのところは魔女も察していたので、本の整理をしていた小悪魔を呼びつけました。 「これ、妹様のおもちゃにあげるから」 「ひぎぃ」  魔女は小悪魔の背中の羽を一本引っこ抜くと、メイド長に投げてよこしました。  小悪魔は激痛のあまり、床をごろごろと転がった挙句本棚のカドに頭をぶつけて動かなくなりましたが、これでも悪魔です。一か月もすれば羽はまた生えてきます。全く問題ありません。  メイド長は真っ黒で大きなコウモリの羽を、ひらひらと空中に泳がせてみました。 「それに、すぐに使いつぶすわけじゃないしね。しばらくは安定した血液の供給源になると思うけど」  話の中心になっている彼は、曖昧な意識のままぼんやりとした瞳で魔女を見ていました。 「そういうことなら」  結局、メイド長は了承しました。  まぁ、魔女の興味が尽きたら引き取ればいいだけのことです。問題はそのときまでに、調理できるような部分が残っているかどうかでしたが。  メイド長は血液パックと機材だけを持って去り、あとには魔女と彼だけが残ります。 「……とりあえず、私も血をもらおうかしら」  魔女は、懐からぶっとい注射器を出しました。  魔女の名は、パチュリーといいました。                     ぱちぇいじめ  さて、こうして彼は魔女のもの、もとい所有物になったのです。  最初はそれこそ実験動物のような扱いでした。初日からして、いきなり合計800mlの血液を抜かれて、丸三日は意識が朦朧としていました。  その後も、髪の毛を採取したりスペルカードの実験台にしてみたり怪しい薬を飲ませたりと、とにかくパチュリーは興味のあることを片っ端から彼に試していきました。  その上で、吸血鬼のお嬢様に飲ませるための血液を定期的に抜かれていくわけですから、正直言って生きているのが不思議なくらいです。  もちろん、パチュリーもせっかくの研究対象を死なせてしまうようなことはしたくないので、きちんとケアはしています。食事だって、門番よりも豪勢なものを三食たっぷり食べられます。  何よりもっともパチュリーが気になったのは、彼がする外の世界の話でした。  彼がする話は、知識欲の塊みたいな彼女にとってどれも面白いものばかりです。パチュリーはその日すべきことが終わったあと、大抵は夜も更けてからになるのですが、ランプの前で頬杖をつきながら、彼がする色んな話を聞きました。そしてその日聞いた話について思索を巡らせながら、パチュリーは眠りにつくのです。  不思議なことに、彼は全くこの館から逃げ出そうとはしません。  いえ、それどころか、いつもにこにこ微笑みながら、パチュリーの求めに応じているのです。  パチュリーが行っているのは、決して痛くないことでも、辛くないことでもありません。  一週間は痛みが続く薬物を飲まされたり、魔法で神経を直接刺激されたり、ホムンクルスを生成する実験材料になったこともありました。  ちなみにホムンクルスの原材料は馬糞とハーブと精液です。つまり、彼はそういった行為もパチュリーにさせられました。  結局その実験は、ある日白黒の魔法使いが図書館に突入してきた衝撃によってフラスコが破損し、失敗してしまいました。  そんな実験も、二ヶ月もすればすることがなくなってしまいました。お嬢様も味に飽きたのか、血液を抜かれることもありません。  その代わりいつしか彼は、パチュリーの身の回りの世話をするようになっていました。  本来なら、そういった役割は小悪魔の仕事なのですが、羽をもがれて拗ねてしまったのか、最近あまり言うことを聞いてくれません。  召喚した当時はなんでも言うこと聞いてくれて可愛い子だったのに、とパチュリーは述懐しました。今では、小悪魔自身が力をつけてきたためか、はたまた単に慣れてユルみが出てきたせいなのか、呼んでもすぐには来てくれません。そういうときは大抵、どこかで本を読みふけっているのです。本の城に住む本の主に召喚された小悪魔もまた、本が好きなのです。  その点、彼はまったくパチュリーに忠実でした。  徹夜しがちなパチュリーのために軽食を作ったりお茶を入れたり、ベッドメイキングから本の整理、果ては掃除洗濯からマッサージに至るまで、こと図書館内においては完全で瀟洒なメイド長も真っ青の働きぶりでした。  日常生活のすべてを完璧にサポートしてくれるおかげで、パチュリーはいつも大好きな読書に集中できます。  彼のほうもどこから調達してきたのか──おそらくメイド長が与えたのでしょうけれど──執事服を身にまとい、いよいよ従者っぷりに磨きがかかってきました。何かと自分のメイドの有能さを自慢してくる友人に対抗できるものができて、悪い気はしません。  時折、図書館を白黒の魔法使いと七色の人形遣いが訪ね、パチュリーを含めた三人でお茶会をすることがあるのですが、そのとき魔法使いが、 「なぁパチュリー、こいつちょっと貸してくれないか。私の部屋散らかりっぱなしでなぁ」  半分くらい本気でそう言いました。彼は少し困ったように笑いながら、 「申し訳ありません。俺はパチュリー様のものですので、この図書館から出るわけにはいかないのです」  そんなことを言ったので、パチュリーは主として面映ゆい気持ちになりました。  また彼は、外から来た人間にも関わらず、少しですが魔力がありました。そのためパチュリーの実験を手伝ったり、危険な魔力を持った本の管理も任されるようになりました。小悪魔は自分がしなくちゃいけない仕事が減って、ますます読書に専念するようになりました。パチュリーはそろそろ契約を解除したくなってきました。  ともあれそんな風にして、彼はパチュリーの生活に密着していくようになりました。  慣れというのは恐ろしいもので、パチュリーはもうシャワーを浴びた身体を彼に拭かせることに一抹の羞恥も覚えません。そもそも彼女は魔女であり、彼は人間です。また、主が従者に対して遠慮しなければならないというのも変な話なので、パチュリーはもう彼に読書以外の全てを任せるのが当たり前になっていました。  うっかり本を読みながら寝てしまったときも、次に目覚めたとき身体はベッドの上で、読みかけの本にはしっかり栞が挟んであり、そして身体を起こせば、水差しを持った彼がおはようございますと挨拶をするのです。  彼は、本当にパチュリーに対して忠実でした。いつも微笑みを絶やすことなく、パチュリーのそばに居続けました。  そうして、彼が来てから一年が経ちました。  その間に変化したことと言えば、彼の館での立場でしょうか。  彼はいつも微笑みを絶やすことなく、与えられた仕事は忠実にこなすので、館内やそこを訪れる客人からの評判は上々でした。  ──あのとき。つい彼を図書館の外で働かせたことがそもそもの間違いだった、とパチュリーは歯噛みしました。  あるときどうしても人手が足りず、メイド長が館内の仕事の一部を彼に任せたことがあったのです。自分のモノが頼られるということは、パチュリーにとっても悪くない気分でした。  それがいけなかったのです。  一度でも許してしまえば、次からはそれをとっかかりにして何度も用立てられることになるのです。もちろん、パチュリーも主人として、メイド長達にあまり彼を使わないよう言いはします。しかし時には吸血鬼から直接借りられることもあり、そういうときは友人として止めるに止められないのです。パチュリーが断ろうとしたところで、わがままなお嬢様がそれを聞くはずがないということもありました。  いつしか彼は、メイド長はおろか門番とも楽しげに会話を交わすようになりました。それだけではありません。本来、彼の血肉がおやつとして捧げられるはずだった妹様とも、彼は仲良くなっていました。  気が触れた妹様と長く一緒にいることは、他の誰にもできなかったことなのに、どうしてだか彼と妹様との間でだけは意思の疎通ができているのです。  流石に妹様が彼を自分の「部屋」まで連れて行こうとしたときは、メイド長が身体を張って止めましたが、パチュリーは気が気ではありません。  彼は自分のものなのに、それが自分の手の届かない場所にいることが、たまらなく嫌でした。  彼が、本来の仕事をおろそかにして他の雑事に手を回しているようなら、パチュリーにも怒りようはあったでしょう。けれど、彼はすべきことはきちんとこなして、与えられた自由な時間のうちに館内の他の仕事をしてしまうのです。それにパチュリーが本当に彼を必要とするとき──たとえば不意に喘息の発作が起きたときなどには、どんなときにも必ずそばにいて、パチュリーを介抱してくれるのです。  他に何をしていても、彼が何よりも優先しているのは自分なのだと、そんなことはパチュリーにも分かっています。  分かっているからこそ、この苛立ちは抑えようがないのです。  いっそのこと、朝から晩までずっとそばにいるよう彼に言いつければ、彼はそのとおりにするでしょう。しかし今や館において、彼の存在はなくてはならないものとなってしまいました。そんなことをすれば他の住人からの反感を買うことは必至です。長くいるとはいえ、パチュリーはあくまで客分の身なのですから、そういった面倒くさい軋轢は避けたいところでした。  ストレスは募るばかりで、パチュリーはそれを解消する方法を知りませんでした。  だから、行き場をなくした感情が、違う形になって彼へと向かったのも、仕方のないことだったのです。  ある夜のことです。 「ねぇ」 「はい」  二人の間に呼び名は必要ありませんでした。パチュリーにとって主語なしに呼びつけるのは彼だけであり、彼にとって自分を使う者はパチュリーだけだからです。 「あなた、私の言うことならなんでも聞くのよね」  パチュリーはベッドにうつぶせになったまま、彼に脚をマッサージさせながら、そう問いました。  彼の答えは決まっています。 「はい、もちろんです」  彼は、まるで話しかけてもらったこと自体が嬉しかったかのように、にこっと笑って──うつ伏せになっているパチュリーからその表情は見えませんが──言いました。 「そう」  パチュリーは気のない返事を返します。  けれどそれは、本当に興味がないからではなくて、別のことを考えているからです。  一体どうすれば彼を辱められるのか、パチュリーは考えています。  彼は今まで、ずっとパチュリーに仕えてきました。尽くしてきた、と言い換えてもいいでしょう。それは尋常なことではありません。ホムンクルスの材料を「出させた」ときは、目の前でイチからさせましたが、そのとき彼が頬をわずかに染めたのだって、行為そのものによる血流の増加によるものであり、彼自身の羞恥によるものではなかったのです。  そのときから一年近くが経過して、彼は何か変わったでしょうか?  その問いに、いいえ、とパチュリーは即答できます。彼は何も変わっていません。他人の評価がどうであろうと、どんな仕事をさせられようと、彼がパチュリーに向ける眼差しはいつだって深い敬愛のそれなのです。 「男性」というものが、一体どのような行為に羞恥を覚えるのか、知識の魔女たるパチュリーは知っています。しかし、そのどれに「彼」が羞恥するのかを、知識の魔女でしかないパチュリーは知りません。  ここまで来ると半ば意地のようなものでした。ここ最近、どうやって彼のことをやり込めてくれようと、ずっとパチュリーは考えているのです。  結局、今に至るまで有効そうな答えは出ませんでした。  先程の質問はその答え合わせでもありました。パチュリーは彼に気づかれないよう、ある魔法を使っていました。言っていることが、嘘か真かを見抜く魔法です。  結果は言うまでもありません。  パチュリーは考えるのをやめました。ぱたん、と本が閉じられます。 「どうかしましたか?」  それを異常と判断したのか、彼が自主的に声を発しました。パチュリーが就寝するには確かにまだ早い時間ですし、栞も挟まずに本を閉じるなど、彼女らしくない行為でしたから。  シーツの上でネグリジェが滑る音が、狭い寝室内に響きます。  パチュリーはベッドの縁に座り、前に立つ彼に、ついと片足を差し出しました。 「舐めなさい」  パチュリーはそう言いました。  彼は、そのとき初めて、パチュリーの命令に躊躇する素振りを見せました。一拍、ほんの一拍だけ遅れて、彼は「はい」と答えたのです。  それだけのことが、パチュリーの心臓を強く波打たせました。  彼はパチュリーの足の前に膝をつくと、両手で恭しく、パチュリーの足を持ち上げました。それはまるで灰かぶりの姫にガラスの靴を履かせる王子のような丁重さで、けれどこれから行われる行為は、そんな童話からは程遠い、背徳的な行いでした。  失礼しますと一言告げて、彼は小さく開いた唇を近づけていきます。パチュリーは爪先に吐息のくすぐったさを感じ、これからされることへの期待と不安から熱い息を吐きました。  ちゅく、と淫らな水音を立てて、彼の唇が爪先を食みました。  まずは小指を口に含み、乳飲み子が母の乳房を吸うように優しく、舌で包み、舐めていきます。  小指が終わると、次は薬指、中指と、彼は丁寧に丁寧に、パチュリーの足を舐めていきます。  その様子にパチュリーは、背筋で甘い痺れがのたうつのを感じました。今、自分が彼を跪かせ、奉仕させているということが、たまらなく甘美でした。  いつも寝るか座るか飛ぶかしている足は、処女雪のように繊細で、彼が与えてくる刺激を余すところなく伝えてきます。それが余計にパチュリーの昂ぶりを加速させていきます。  見れば彼の耳は真っ赤に染まっています。それが羞恥によるものなのか、それとも興奮によるものなのか。パチュリーに判別はつきませんが、普段彼が決して見せないこの姿を、自分だけが独り占めしている──そのことで、失いかけていた優越感が、暗い悦びを伴って満たされていきました。  百年のときを生きてきて、こんな感覚は初めてでした。  人を跪かせ、虐げるのが、これほどまでの甘美さを伴うものであると、パチュリーは初めて知ったのです。  ああ確かに、知識だけでは得られないものがある。パチュリーは思いました。このとろけるような感覚は、決して本を読んでいるだけでは手に入れられないものだから。  五指を舐め終えた彼は、舌先で足の甲を足首まで辿ろうとしました。  足首に到達する寸前に、パチュリーは空いているほうの足で、彼の頭を踏みつけにしました。 「ダメよ。そこから先は許していないわ」  声には、隠し切れない嗜虐の喜悦がにじみ出ていました。  返答は言葉ではなく、行動で返ってきました。彼は踏まれたまま、愛しい主人の足を舐めていきました。  十数分をかけて、彼はパチュリーの片足を舐め終えました。つぅと舌先に糸を引いて離れた足は、多量の唾液によって軟体動物のようにてらてらとランプの光を弾いていました。  紅潮した顔で息をつく彼の前に、パチュリーはもう片方の足を差し出しました。 「さ、次はこっちよ。早くしなさい」 「──はい」  夜は、静かに更けていきました。  こうして始まった二人の行為は、それからもずっと続いていきました。  昼はそれまでどおりの生活を続けながら、夜は人を遠ざけたパチュリーの寝室で、二人だけの密会は行われます。 「なんだパチュリー、最近機嫌いいな。……いや、最近までが悪かったのか?」 「別に」  白黒の魔法使いにはそっけなく答えましたが、パチュリーは内心とても上機嫌でした。  魔法使いは知りません。人形遣いも知りません。メイド長も門番も吸血鬼も小悪魔でさえ知りません。今ここで、澄ました顔で紅茶を注いでいる彼が、夜どんな表情を見せてくれるのかを。  足を舐める舌の赤さも、上から見たときの睫毛の長さも、自分以外は誰も知らない──そのことが、パチュリーに優越感と高揚感を与えていました。  パチュリーは以前ほど彼が図書館を離れることに口うるさくなくなりました。寧ろ、彼が館内で他の仕事をする頻度は上がってきています。  そしてそれに比例するように、行為の内容は過激さを増していきました。  初めの頃はパチュリーにも躊躇がありましたが、時間をかけて彼がいかなる求めにも応じることを再確認すると、そのあとは加速度的に攻め立てていきました。  彼が足を舐めるとき、それが気に入らなければ、パチュリーは容赦なく彼の垂れた頭を蹴りつけました。わざと足の爪を伸ばし、研いで尖らせ、奉仕する彼の首や肩に血が出るまで食い込ませたりもしました。その手入れをするのも、もちろん彼でした。  代わりに満足がいったときは、足以外の場所を舐めることも許可しました。蜂蜜をつけた右手の小指をしゃぶらせ、その感想を聞きました。  手を後ろで縛り、目隠しをして、匂いだけを頼りに奉仕させたりもしました。そのときにはパチュリーも、視界を闇に閉ざされた彼の前で生まれたままの姿になりました。衣擦れの音を聞くだけで、耳まで真赤にして反応してしまう彼を、パチュリーはこの上なく愛しく思いました。  全身の服を脱がせ、彼が思いつく限り、彼自身を貶める言葉を喋らせながら、自慰行為に耽らせました。かつて実験の際に目にしているはずの光景は、けれど今や倒錯的な性愛のそれでした。  唾液に濡れた足で、思うさま彼を虐めました。踏みつけ、蹴り、彼の男性自身をもてあそび、情けない姿を晒す彼を汚い言葉で罵りました。そうしながらパチュリー自身も自慰に耽り、その音だけを聞かせました。  むき出しの背中に爪を立て、幾筋もの傷跡をつけました。  時には、手を縛り猿轡を噛ませて跪かせ、耳元で卑猥な言葉を囁きながら、自らの白い繊手で慰めてあげました。だらしない顔で、羞恥と興奮とそして何より嬉しさからこぼれた涙を舐めとり、その甘さに酔いしれました。  けれども、決してそれ以上のことをパチュリーはしません。  彼自身の意思に任せてその肢体を扱わせることは、絶対にさせませんでした。彼もまた自分から求めることはしませんでした。二人の間には、主人と従者という、はっきりとした線引きが行われていました。  彼とパチュリーの関係は、傍目にはとても仲良く見えました。  最近パチュリーはよく笑うようになった、と白黒の魔法使いは思いました。魔法を扱うもの同士、お茶会を開いたときにも、紅茶を差し出した彼に、「ありがとう」とパチュリーは微笑むのです。かつての魔女を知るものであればそれは信じられない光景でした。彼もまたそれに穏やかな笑みを返し、それは、二人の間にだけ通じている何かを感じさせるには充分なものでした。  図書館で共同研究を行った際、徹夜明けで眠りに落ちたパチュリーを、まるで眠り姫を抱く王子のように寝所に運ぶ姿は、それ自体が一種の完成された芸術にさえ見えました。そして寝室に入っていったきり、どれだけ待とうと彼が出てこないことを悟ると、二人は赤い顔をして図書館から出ていきました。  でもそこにあるのは、魔法使いや人形遣いが邪推しているようなものではありません。  確かに、パチュリーには彼に対して情を抱いていました。けれどそれは男女間のそれとは異なるものなのです。  例えば人は、犬や猫を飼い、それに愛情を注ぎます。彼らが己の求めに応え、また己を求めてくれているならば、人はそれ相応の情を彼らに与えます。笑いかけるのや同衾するのもそのうちです。  パチュリーにとって、彼はもはや「犬」でした。  自分のために尽くしてくれて、意思の疎通が可能というだけの、ただの飼い犬でした。彼とメイド長と魔法使いは、どれも同じ「人間」ですが、パチュリーにとって彼とそれ以外は、もはや全く違う意味を持つものでした。  ……あるいは、それ以外の関係もありえたのかもしれません。  あのときパチュリーは、新たに芽生えた欲望に身を任せることを選びました。そうである以上、こうなることは仕方のないことなのでした。  ただもし、パチュリーに間違いがあったとすれば。  それはそのような関係になったことではなく、彼を、犬として信頼し切っていたことにあったのでしょう。  彼が来て二年が経ちました。  その夜、行為を終えたパチュリーは彼を下がらせようとしました。  けれど彼は、ベッドに座るパチュリーの前に立ち、動こうとはしませんでした。 「どうした」  の、と言ったとき、パチュリーの身体は、ベッドに押し倒されていました。  彼が上から覆い被さっていて、両手首を押さえ込まれています。天井の照明が逆光になって、彼の表情はうかがい知れません。  何を、とか、何が、とか、意味のない疑問だけが頭の中を占めていました。  みしりと、骨の軋む音がしました。彼の手には、パチュリーの手首を折らんばかりの力が込められていました。 「……放しなさい」  なんとかそれだけを、言葉として搾り出しました。そんな言葉しか出ないくらい、パチュリーは当惑していたのです。  今までこんなことはありませんでした。彼はいつもパチュリーの命令に忠実で、どんな辱めも受け入れてきたのです。  だからこそ、パチュリーは考えたことがありませんでした。  いつか、いつの日にか、彼がこうして命令に従わなくなるときが来ることを。  彼はパチュリーの言葉を聞き入れませんでした。代わりに発されたのは、謝罪の言葉でした。 「ごめんなさい、パチュリー様」  それは本当に申し訳なさそうに、心の底から悔いている言葉であったのに、パチュリーは得体の知れない不安を感じました。 「放し、な、さっ……!?」  強引に身をよじって逃げ出そうとして、押さえられた手首を痛めてしまいました。そもそも彼を跳ね除けるだけの力もありません。こうして組み敷かれてしまえば、いかに七曜を操る魔女といえど、ひとりの虚弱な少女に過ぎないのです。 「本当に、本当にごめんなさい。でも、もう無理なんです」  ぎしりとベッドが鳴いて、彼はパチュリーに近づきました。覗き込んだその瞳は、まるで熾り火のように静かな焦熱を湛えていました。  パチュリーはそのとき初めて、彼を怖ろしいと思いました。 「今までずっと、我慢してきました。それももう、無理なんです」 「何を……言うのよ。だってあなた、悦んでいたでしょう?  私に虐められて、もてあそばれて、あんなになっていたじゃない! それが嫌だったなんてそんなこと──」 「違うんです」  その声は悲痛ですらありました。肺の底から搾り出した酸素に、煮詰められた想いを乗せた声でした。 「嬉しくないはずがないでしょう。パチュリー様に触れてもらうだけで幸せでした。声を聞くだけで幸せでした。いえ、それを言うなら、そばに置いていただけるだけで、それだけでも俺は幸せでした……!」  パチュリーからはよく見えませんでしたが、彼は今にも泣き出しそうな顔で、その切ない声を吐き出していました。  それは、彼がずっと秘め続けた、パチュリーへの想いでした。 「あの日だって、ただあなたのいる場所に少しでも近づきたくて、あんな場所にいたんです。朦朧とした意識で、あなたの姿を見れただけでも、満足だったんです。  だから、あなたの近くに居れることになったときは、本当に嬉しかった。実験動物でも構わなかった。いっそ殺されても良かった。  この図書館に来て、あなたのお世話をしてきた日々は、本当に幸せだった」  混乱した意識の中、辛うじて残った冷静な部分が、その話の矛盾を指摘しました。それは決定的に順序のおかしい話で、けれど、それを吟味する余裕はパチュリーにはありませんでした。疑問はそのまま立ち消え、あとには恐怖だけが残りました。ついさっきまで踏みにじっていたオスの匂いが、今は形を持って身体を這いずり回る幻覚に襲われました。 「いや……放し……」  弱々しい呟きにも構わず、彼は続けました。 「好きなんです。愛していたんです。だからパチュリー様が『足を舐めろ』と言ったとき、俺は気が狂いそうになりました。……いっそそうなってしまえたら、どれだけ良かったんだろうかと思います。  俺は犬です。パチュリー様の犬です。そうあるべきでした。でも、そうはあれなかった」  そこで一度言葉を切って、彼は、パチュリー様、と静かに呼びました。 「俺を虐めていて……パチュリー様は興奮していましたよね」 「それは──」  事実でした。  動機は彼へのささやかな報復でも、それはいつしかパチュリー自身の快楽を満たす行為へと変容していたのです。  でも、パチュリーはすっかり忘れていたのです。  自分が従えていたものが、忠実な犬となる前は、ただの人間であったということを。  ……何故そうまで彼が自分に仕えるのか、それをパチュリーは疑問に思うべきだったのです。そしてその理由が純粋な、純粋すぎる好意によるものだと気づいていれば、今のような状況には陥らなかったはずなのです。  彼が自分に、本当はどんな感情を抱いていたのかを。 「そんなパチュリー様を見ていて、俺は欲情しました。俺は、そんなものを抱くべきではないのに、抑えきれなかった。  だってそれは裏切りだ。パチュリー様は、『犬である俺』を信頼してそばに置いてくれているのに、自分の全てを任せてくれていたのに──そのことを喜びこそすれ、浅ましい情欲を抱くなんて、パチュリー様の信頼につけ込む卑劣な行いです。  それでも、我慢してきました。気持ちを殺して、ただの犬として在ろうとしました。  けれどそれも──もう、無理なんです」  彼がパチュリーの全身を掻き抱くのと、パチュリーの喉から叫びが迸るのは、同時でした。 「いッ、嫌っ、いやぁっ! だ、誰か、助け──」  言葉は途中で止まりました。  叫んだところで、一体誰が助けに来てくれるというのでしょう。  ただでさえ人の訪れない図書館の、その最奥です。行為を目撃されないよう、小悪魔を含め、誰一人として寝室に近づかないよう厳命したのはパチュリー自身ですし、人払いと防音の結界までかけてあるのです。彼とパチュリー以外の誰かがこの部屋の近くにいる可能性はほとんどありません。  絶望が足元から這い上がってきて、パチュリーの意識を飲み込もうとしました。  それを縫い止めたのは、かすかに聞こえた、蝶番の軋む音でした。  救いを探して寝室のドアを見ると、わずかに開いたそこから覗く瞳がありました。大きく縦に裂けた瞳孔の持ち主は、パチュリーは知っていました。  小悪魔です。  パチュリーはもがくように手を伸ばして、彼女に助けを求めました。  それが見えているはずの小悪魔は、けれど、嗤ったのです。  ほんの三センチの隙間からでも、それは分かりました。三日月のように裂けた口は、愉しそうに、本当に愉しそうに、パチュリーを見て嗤っていました。  ぱたん、とドアが閉じて。  パチュリーの中で、何かが壊れました。  ──目を覚ましたパチュリーは、まず、昨夜のことが夢だったのではないかと思いました。  二人分の体液でどろどろになっていたはずのベッドは綺麗に整えられ、そこに寝かされていた自分も、いつもと変わらぬ寝巻きを着ていたからです。  けれどそれは、下腹部の痛みと、そこから垂れてきたもののおぞましさによって否定されました。  記憶は連鎖的に閃いていきました。思い出さぬよう意識に封をしようとしても、それより早く、感覚すら伴って数時間前の行為が再生されていきました。  自由の利かない貧弱な身体。暴かれていく衣。耳元で交互に囁かれる、涙まじりの謝罪と愛。 「……っふ、ぐ……」  堪えきれず、嗚咽が漏れ出しました。怒りや恐怖や悲しさが嵐となって、パチュリーの心をぐちゃぐちゃに掻き乱していました。  爆発しそうな感情の矛先は、すぐに見つかりました。  そこにはやはりいつも通り、彼が水差しを持って控えていました。  表情はひたすら悔恨に彩られ、放っておけば今にも自殺してしまいそうなほど惨めなものでしたが、そんなこと今のパチュリーには関係ありませんでした。  パチュリーは意味を成さない罵倒と共に、手近にあるもの全てを投げつけました。枕、本、ティーカップ、本。投げるものがなくなると、パチュリーは彼が持っていた水差しを奪い、それを頭に叩きつけようとして、 「────、ぁ────」  全身から力が抜けそうになって、かろうじて踏みとどまりました。  彼の顔を間近で見た瞬間、また昨夜の光景がフラッシュバックしました。  パチュリーは、恐怖したのです。  彼にまた迂闊なことをすれば、またあのようなことをされるのではないかと。  手から落ちた水差しが床に落ちて、砕けました。満たされていた水が飛び散り、二人の足元に水溜りを作りました。  パチュリーは毅然とした態度をかろうじて保ち、乱暴な足取りで部屋を出ていきました。彼は少しためらったあと、割れた水差しを素手で拾い、それを室内の棚に置いて、パチュリーについていこうとしました。 「ついてこないで」  かすれた氷点下の声に、彼は足を止めました。彼はパチュリーの従者なので、彼女の命令には逆らえません。  そしてそのまま、動きませんでした。  ──それから数時間後、パチュリーが喘息の発作を起こしたとき、今までがそうであったように彼が駆けつけました。 「…………!」  けれど、その手をパチュリーは払いのけました。ぜぃぜぃと喉から息を漏らしながら、狂気じみた怒りの宿る目で彼を威嚇しました。今まで平気で触れさせてきた彼の手が、急に汚らわしいものに見えてきて、指先一つ触れられたくありませんでした。  肺が空気を取り入れられず、脳に酸素が回らなくなって、意識が朦朧としてなお、パチュリーは彼を拒絶し続けました。  結局彼がパチュリーを介抱できたのは、パチュリーが完全に意識を失ってからでした。  夜も更けてから目を覚ましたパチュリーは、彼を詰りました。細い手足に渾身の力を込めて、彼を繰り返し殴打しました。  彼は、それまでとは全然違う、手加減のない暴力をすべて受け止めながら、ずっと「ごめんなさい」と謝り続けました。  途中、あまりの運動にパチュリーの身体が耐えきれず、身を折って咳き込みはじめました。  彼は思わず駆け寄りました。  でもパチュリーはそれを、普段の虚弱さなどかけらもない動作で蹴り飛ばし、部屋にあった椅子を持ち上げて、全力で、彼に振り降ろしました。  年季の入っていた椅子は砕け散り、彼は景気良く吹っ飛んで、部屋の壁にあった棚に全身をしたたかに打ちつけました。パチュリーはそこに歩み寄って、ボールのように彼の身体を蹴りまくりました。彼は胎児のように身体を丸めて、それに耐えました。  パチュリーの体力がなくなるまで、それは続けられました。全身で息をしながら、それでも瞳には消えることのない赤黒い憎悪の炎が渦巻いていました。  彼は生まれたての小鹿のように頼りなく、それでもなんとか身を起こしました。  パチュリーは折れた椅子の脚を拾うと、それを彼に投げつけました。  額が割れ、血が流れ出しました。 「出ていきなさい」  パチュリーは冷徹にそう言いました。  彼は図書館内に自分の部屋を持ちません。執事服の替えを保管する小さなクロゼットがあるだけでした。これまでは、ずっとパチュリーと同じベッドに寝ていたのです。  彼は片足を引きずりながら、部屋を出ていきました。  パチュリーは部屋の鍵をかけると、ふらふらとベッドに身を投げ出しました。  そうしていると否が応にも、昨夜受けた感触が身体に蘇ってきました。  唇がわななき、手足が強張りました。心臓を素手で握られたような怖気が全身を支配しました。  何よりも強いのは戸惑いでした。昨日の行為は気持ち良くもなんともなかった。痛さと恐怖だけに満ちていて、思い出すだけでも吐き気がするのに、けれど身体には彼をいじめていたときと同じ種類の熱が宿るのです。  さっき怒りにまかせて彼を痛めつけていたときは、楽しくもなんともなかったのに。  乱暴に犯されたことを思い出して、今になって肉体が火照るなどと。 「嫌、嫌、嫌、嫌……」  おひさまの匂いのするシーツごと丸まって、泣きながらパチュリーは眠りました。  その次の日の夜も、パチュリーは彼に暴力を振るいました。  昼の間は彼に話しかけることもせず、存在そのものすら無視していたのに、いつもと同じ時間に彼が自分の部屋を訪れると、その日彼が自分に声をかけたことや、少しでも触れたことを逐一取り上げて、詰りながら椅子の脚で打ち据えるのです。  彼もまた謝罪の言葉を繰り返しながら、それを甘んじて受けました。真っ白だった執事服に血が滲み、ときには指がおかしな方向に曲がっていても、彼はパチュリーの全てを受けとめました。  それは、自然と二人が望んでいたものだったのでしょう。  彼は、己がしでかしたことへの罰として。  パチュリーは、己がされたことへの復讐として。  何よりそうしなければ、パチュリーは安心できなかったのです。全力で彼を痛めつけておかなければ、少しでも隙を見せた途端また襲われてしまうのではないか。そんな思いが、より激しい仕打ちへとパチュリーを駆り立てていたのでした。  体力の限界までそれを続けると、やはり彼を部屋の外へ追いやり、啜り泣きながら眠りについたのでした。  その一連の行為は、その次の夜も次の次の夜も、ずっと続いていきました。  もはや防音結界も存在しない、図書館の奥の魔女の部屋からは、夜毎に何かを殴る音と、ひたすら何かに謝る声だけが聞こえてくるのです。  そうしながら徐々に、二人の距離は元に戻っていきました。パチュリーは再び彼に話しかけ、彼の声を聞き、己の世話を許すようになりました。  けれど、戻ったのは距離だけでした。  その間にある空気がそれまでより異質であることには、誰もが気づいていました。いえ、気づくまでもなく、夜を明かすたびに新たな傷を作っていた彼を見ればわかることでした。  以前は行為の露見を避けるため、顔や手など服から露出する部分に傷をつけることは避けていたパチュリーでしたが、今やそんな気遣いは微塵もありません。  むしろ気に食わないことがあれば、それが昼間の図書館で、たとえ客人を前にしていても、中身の入ったティーポットで彼を殴りつけました。彼もそれを避けたりせず、傷の手当てをする前に、黙々と割れた陶器の破片を拾い集めるのです。  湯上りの身体を拭かせておきながら、夜には自分の身体にその汚らわしい手で触れたことを激しく謗り、その指を何度も踏みつけにしました。  それでありながら、パチュリーは彼をかたときも離そうとしなくなりました。常に目の届くところにいるように命じ、それまで許していた館内の手伝いもすべて断らせました。  まるで彼を痛めつけるためだけに、矛盾に満ちた行為を続けさせているかのようでした。  その奇怪な行動は、館で働くメイドの間でもよく話題に上りました。 「彼はあれだけ尽くしてくれてるのに、パチュリー様ったらなんて酷いのかしら。そのくせ自由まで奪って、彼がかわいそうだわ」  便利な小間使いを失って、仕事の量が元に戻ってしまったメイド達は口々にそう言いました。 「でもあれだけされても一緒にいられるんだから、結局仲良いってことなんでしょうよ」  あまり関係のないメイド達は、興味なさげにそう言いました。 「パチュリー様だって、あんなに痛めつけてるのに一緒にいるってことは、嫌いじゃないってことでしょう? 素直になれないだけなのよ」  勝手に黄色い声で騒ぎ立てるメイド達もいました。  結局のところパチュリーは館の客人ですので、下働きであるメイド達にどうこうすることはできません。それに何より館の主が沈黙を保ったままなのです。かの運命を見通せる吸血鬼が静観しているということは、いずれ行き着くべき結末へ行き着くのだろうと、館の住人達はおのおの結論づけていました。 「おかしいぜ、お前ら」  いつか一度だけ、部外者である白黒の魔法使いが険しい顔でそう言ったことがあります。  血の気を失い、傷だらけになった彼の顔と手と、あらゆる色の抜け落ちたパチュリーの顔を見比べながら、魔法使いは席を立ちました。  彼は治癒魔法もある程度なら使えるので、パチュリーから受けた傷を自分で治しているようでしたが、それも完治とはいきません。このままにしておけば、いつしか処理限界を越えた傷を受けて、取り返しのつかないことになることは明らかでした。  魔法使いにとって、この図書館に来るたびに顔を合わせることになる彼は、単なる知り合い以上の存在でした。その彼が、友人であったはずの魔女の手によって命を落としてしまうようなことは、決して承服できることではありません。 「何をしてるか知らないが、もうやめろ」 「何を言っているのかわからないけれど、あなたには関係ないわ」  にわかに張りつめた空気を察して、彼がパチュリーを守るように、前に立ちました。 「どけよ」 「お断りします」  毅然とした表情と態度で、彼はきっぱり告げました。そこに、主の友人に対する遠慮や気遣いはまったくありません。 「このままじゃ、あんた、きっとろくでもないことになるぜ。それでもいいのか」  愛用のマジックアイテムを突きつけ、魔法使いは言いました。返答次第では彼ごと魔女をぶっ飛ばしてしまうつもりでした。多少痛めつけてでも、二人のことをどうにかしてやりたかったのです。 「俺はパチュリー様のものですから」  彼はそう言いました。けれどその顔には、もう微笑みは浮かびません。 「それで俺がどうにかなったとしても、しょうがないことなんです。悪いのは俺ですから」  背後のパチュリーは何も云おうとしません。表情は氷の仮面のように不動で、いかなる意志をも見出せませんでした。  しばらく、魔法使いと彼は対峙していましたが、やがて魔法使いは溜息とともに手を降ろしました。  そして踵を返し、箒にまたがって、帽子を目深にかぶり直しました。 「邪魔したな。もう来ないよ」 「そう」  魔女はそれだけ答えました。  魔法使いは一瞬だけ躊躇するような素振りを見せてから、図書館から飛び去っていきました。  そして言ったとおり、彼女はそれから二度と顔を見せませんでした。  図書館を訪れるものは、いつしかいなくなりました。メイド長ですらそこに立ち入ることはせず、小悪魔の行方もあの日以来知れません。彼だけがパチュリーのために、食事を作ったりシーツを取り換えたりするために時折出てくるくらいで、それ以外誰も近寄ろうとしませんでした。  それでもパチュリーは平気でした。何を感じることもありませんでした。外がどうなろうと、もうパチュリーには関係なかったのです。うるさい外野がいなくなって好都合というくらいにしか考えていませんでした。  二人の関係は、暗い暗い閉じた図書館の奥で、継続していました。  でもそれもまた、長くは続かなかったのです。 「ここを出ていかなければなりません」  彼が来て三年目のその日、彼は悲しい顔でそう言いました。  それを聞いたとき、パチュリーは自分の耳か頭がおかしくなったのかと思いました。  そして聞き間違いではないと悟ったとき、パチュリーの意識は真っ白になりました。  ……傍から見れば、パチュリーは愚か極まりなく見えたかもしれません。  彼女はあれだけ暴力を振るっておきながら、彼がこの図書館から出て行くなどとは、微塵も考えていなかったのです。出て行こうとしないことに、疑問すら抱きませんでした。  もし、彼女がそれを考えられていたのであれば、それ以前に自分が陵辱された次の朝に、彼を追い出すか殺すかしていたでしょうから。  逆に言えばそれだけのことをされてなお、パチュリーは彼が図書館にいるのが当たり前だと思っていたのです。「彼がここからいなくなること」を、たとえ仮定でも、パチュリーは思考しませんでした。  だって、彼はいつもパチュリーのそばにいたから。  いつも、パチュリーのそばで微笑みかけていてくれたから。  たとえ関係が変容しても、そばにいようとし続けたから。  いつしか彼は、とても大きな存在となってパチュリーの心に居座っていたのです。  本来、自分に辱めを与えたものを許しておくほど、パチュリーは寛容ではありません。魔女として生きたきた百年の中で、命を奪ってきたことも一度や二度ではないのです。七曜の魔女の名に恥じぬ魔法を以て、何人もの人間や妖怪を殺してきました。  なのにパチュリーは、彼を殴るだけでした。  また犯されるのが嫌だったのなら、殺してしまえば良かったのです。それで日常生活に支障が出るようなら、脳をいじって命令を聞くだけの人形にしてしまえば良かったのです。  でもそんなこと、パチュリーは今の今まで考えもしませんでした。  彼自身の口から、彼がいなくなる可能性を示唆されて初めて、自分が過去に行った思考の歪さに、聡明で愚かな彼女は気がついたのです。 (あ)  まるで足もとが、がらがらと崩れていくかのよう。 (あああ、ああ……!)  ああ、どれほど深く、辛く、重いのでしょう。  自分の中の彼が、いったいどういった形を取って存在していたのか、知ろうとさえしなかったその罪深さは! 「いや……」  パチュリーの喉から、震えた声がこぼれ落ちました。  彼の服の裾を握り、縋りつくような目で彼を見上げました。  でも彼はいっそう悲しそうな顔をして、目を伏せました。 「申し訳ありません、パチュリー様。こればかりは、パチュリー様の命令でも聞くわけにはいかないんです。──俺はここを出ていきます」  最後の一言が、頭の中でこだましました。  パチュリーは泣き笑いの表情で、彼に詰め寄りました。 「な……んで? どうして? どうして出て行くの!?  殴ったのが嫌だったのなら謝る、もう絶対しないって約束する! だから出ていくなんて、そんなこと言わないで……!」  深い夜の色をした絶望が、パチュリーの背筋を這い上がってきました。それから逃れるように、パチュリーは言葉を重ねました。  パチュリーには、想像できないのです。たった三年いただけの彼が、自分のそばからいなくなることが。  そして彼を失った自分が、どうなるのか。  全く分からないけれど、でもそれが、この上なく恐ろしいということだけは、はっきりと感じていました。 「お願い、お願い、お願い、お願い!  私を犯したいって言うのなら、そうしてくれて構わないから! いくらだって好きにしてくれていいから!  それで足りないって言うなら、私があなたのものになる。あなたの犬になる! 手だって足だって舐める! 殴って、蹴って、どれだけ痛めつけてくれても、それでもいいからぁ!」  涙を流し、叫びながら、声は次第に嗚咽へと変わっていきました。 「出ていくなんて、言わないでよぅ……」  どさりと、彼の服を握りしめたまま、パチュリーは膝をついて泣き始めました。プライドも何もかもかなぐり捨てて、パチュリーは彼に懇願しました。  それでも、彼は首を横に振ったのです。  そして彼は、自分がここに来た経緯を話し始めました。 「俺は、ここに来る前は、外の世界で家族と一緒に、普通に暮らしていたただの人間でした。ただ俺は、会ったこともないあなたに恋い焦がれていました。そしてそれが叶わぬ想いだということも、理解していました。  でもあるとき、俺はここに来るチャンスを与えられたんです。三年間という期限付きで。  俺はその話に乗りました。家族にも、三年だけ家を離れることを許してもらいました。  そして俺はここに来て、あなたに会うことができたんです。ただひとつ、三年間の期限のことを決して口にしないことを条件にして」  彼の話の半分もパチュリーの耳には届いていませんでした。  ただここを出て行くという彼の意思が強固だということだけは、よく分かりました。 「そんな約束、守らなくていいじゃない! いまさら家族のことなんて、気にしなくていいじゃない!  好きなんでしょう? 愛していたんでしょう? それなら、ずっと私と一緒にいてよ……!」 「……駄目です。約束は守らなければなりません。それを破れば俺は、パチュリー様への想いを消されてしまう。  死ぬのは怖くありません。でも、パチュリー様のことを忘れたまま生きていくのは、耐えられない」  彼は心の底からそれを恐れるように眉を歪め、包み込むようにパチュリーの手を取りました。 「俺だって別れたくない。パチュリー様と一緒にいたい。それは同じです。  ……一年前のあの日、俺は、焦っていたんだと思います。自分の想いを告げられないまま、あなたのもとを去ってしまうことになるんじゃないかって。  そして多分、どこか期待していたんです。あなたが俺の想いを受け止めてくれることを、ばかばかしいことに。  結局そのせいで、この一年間、パチュリー様に辛い思いをさせてしまった。俺の役目は、あなたに尽くして、この別れを笑って迎えられるようにすることだったはずなのに。  そのことは、許してもらえないでしょうけど、本当に後悔しているんです」 「いいの、そんなことはもういいの! もう怒ってなんかいない! 憎んでなんかいない! 許すから、だから……!」  いなくならないでと、パチュリーは叫びました。  来訪者がいなくなっても何も感じなかった心は、今や千々に引き裂かれてしまいました。頭の中はぐちゃぐちゃで、まともな思考などできるはずもありません。  ただ、彼を失う恐怖から逃れたい一心で、パチュリーの魂は悲鳴を上げていました。  それからどれほどの時間が経ったのでしょう。  彼は何かを覚悟した口調で、分かりました、と言いました。 「一か月。一か月だけ待っていてくれますか、パチュリー様。その間に、俺は向こう側で自分の身の回りのことを片付けてきます。  そして必ず、ここへ戻ってきます。それまで、待っていてくれますか」 「うんっ……うんっ……!」  パチュリーは必死に頷きました。 「待ってる……私待ってるから、ずっとずっと待ってるから……!」  その答えを聞いて、彼は一年ぶりにあのやわらかな微笑みを浮かべました。  そしてパチュリーの唇に、自分のそれを優しく重ねるだけの口づけをして、パチュリーに背を向けました。  そうして、彼はこの図書館を去っていきました。  あとには魔女が一人、残されました。  彼がいなくなって、一週間が経ちました。  パチュリーは寝室のベッドに横になって、まるで死んだように動こうとしませんでした。  掃除するものがいなくなって一週間経っただけで、そこはもう足の踏み場もないほど散らかってしました。本が散逸し、シーツはくしゃくしゃで、枕はベッドの下に落ちていました。  食事を作るものもいないので、この一週間パチュリーは何も口にしていません。起き上がった回数さえ両手の指の数で足りるほどでした。  ときどき思い出したように瞬きをしながら、パチュリーは改めて、彼の存在の大きさを理解しました。  ああ、本当に、自分はなんて愚かだったのだろう。パチュリーは思いました。少し、ほんの少しでも、彼のことや自分のことを考えられていたならば、こうはならなかったはずなのに。彼を自分の所有物だと思い込み、彼がいることを当たり前だと思い込み、その結果がこれです。  犯されたくらい、なんだったというのでしょう。どうせそれまでだって、自分の身体のことは彼に任せてしまっていたのです。そんなこと、彼がいないことに比べたら、どうでもいいことではありませんか。  たとえ彼が出ていくという結末が変わらなかったとしても、それまでにもっと違うものを積み重ねられたはずなのに。  そのための大切な時間を、どれほど無為に過ごしたことでしょう。  カサカサに乾いた頬に、涙が一筋流れました。  どれだけ後悔しても、過去は戻ってきません。  ただ彼の約束を信じ、待ち続けることしか、今のパチュリーにはできないのです。  彼がいなくなって、二週間と三日が経ちました。  このところ毎日のようにパチュリーは喘息の発作に襲われます。  それに気づいてくれる者も、介抱してくれる者もいません。小悪魔はパチュリーに愛想を尽かして、もう出ていってしまったのでしょうか。  それも仕方ないとパチュリーは思いました。  介抱しなくても、パチュリーは喘息くらいでは死にません。腐っても魔女なのですから、そこらの人間よりはずっと頑丈にできているのです。ただ発作の辛さが緩和されるわけではないので、発作が起きるたびに、パチュリーは死にたくなるほどの苦しさに苛まれながら、ひたすら発作が治まるのを待つしかないのです。  これはきっと、自分に与えられた罰なのだと、パチュリーは考えるようになりました。  彼の心をないがしろにした自分に与えられた罰なのだと。 「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」  本の海に埋もれながら、パチュリーは彼が口にした謝罪を彼に返すかのように、同じ言葉を呟き続けました。  彼がいなくなって、一か月と24時間が経ちました。  彼は帰ってきませんでした。  彼が図書館を出たその瞬間から、720時間が経過しても、図書館の扉を叩く者はいませんでした。  それは720時間が744時間になっても同じことでした。 「ぁ、あ……」  カラカラに干乾びた喉は、まともな声を発することもできなくなっていました。流れる涙は枯れ果てて、肌は土気色に染まっていました。  嘘だ、信じたくない、そんな思いを抱きながら、パチュリーは寝室を出ようとしました。  でも、身体が動きません。筋肉の使い方を忘れた身体は、もう彼女の命令に従いませんでした。  それでもなんとか、這いつくばりながらパチュリーは寝室のドアに向かいました。  一時間かけて、パチュリーはドアに辿り着きました。そして力を振り絞ってドアノブを回し、 「────」  意識を失いかけました。  目の前には、あらゆるものの通行を拒むように、本の山がうず高く積み上げられていたのです。  管理者のいなくなった図書館の本達は、それぞれが内包する魔力によって暴走し、周りの本を巻き込んで本棚から落ちてしまっていたのです。  赤子のように這ってしか動くことのできないパチュリーにとって、それは越えることのできない巨大な壁でした。 「……、……」  もはや言葉も出ませんでした。  力を失って倒れこみ──パチュリーはそこに、それを見つけました。  一年と一か月と一日前の朝、パチュリーが落として割ってしまった水差しの破片でした。何故か捨てられず、ドア近くの棚の上にバスケットに入れておいたものが、落ちてきていたのです。  パチュリーは必死に手を伸ばし、その破片を掴み、両手で握りしめました。鋭利な破片はパチュリーの手の平を裂きましたが、そんなこと気にもなりません。  そのたったひとひらの陶器の破片を胸に抱き、パチュリーはありもしない彼のぬくもりを追い求めました。  彼がいなくなって、93583分と32秒が経ちました。  彼はまだ帰ってきません。  パチュリーは寝室の入り口で倒れたまま、動いていませんでした。  さらに崩れてきた本は寝室にまで雪崩れ込み、パチュリーは積み重なった本の作る暗い闇の底で、身じろぎ一つしませんでした。喘息の発作は、まるで彼女の身体を虐めることに飽きたかのように、ここ最近は起きていません。  けれど意識は眠ることを忘れ、ただ彼との記憶を壊れたレコードのように反芻していました。  その映像を眺めながら、人格や過去といった余計なものを削ぎ落とされ、辛うじて残っていた拙い思考は、それ故にパチュリーにある一つのことを気づかせていました。  彼がパチュリー・ノーレッジを愛していると言ったように。  パチュリー・ノーレッジもまた、彼を愛していたのだということを。  気づいていなかっただけで、彼をきっと愛していたのだと。  気づいていなかったから、彼から受けた行為に嫌悪と憎悪しか抱くことができず。  愛していたから、それほどの激情に身を焦がしながらも、殺すことができなかったのだと。  でもいまや、それを告げる相手はいないのです。  彼は一度だって、パチュリーとの約束を破ったりなどしませんでした。一年と二ヶ月前のあの一回を除いて、彼はパチュリーに忠実であり続けました。  その彼が、戻ってきません。  死んだのでしょうか。まだ生きていて、今まさにこちらへ向かっている途中なのでしょうか。それとも、パチュリーのことなど最初からどうでも良かったのでしょうか。  どれでもいい、とパチュリーは思っていました。  自分が悪いのだから、彼の想いに答えられなかった自分が悪いのだから、それも仕方のないことなのだと。  その罪悪感をかみ締めながら、訪れるもののない図書館で、本に埋もれながら朽ちていくのだと。  パチュリーは、そうして全てを諦めていきました。  彼がいなくなって7781523秒が経った、そのときのことです。  紅い館の住人達は、館全体が大きく震えたことを察知しました。  その発信源が図書館だと判明したとき、二度目の大きな揺れが館を襲いました。  その中心にいたのは、誰であろう、パチュリーです。  自分の上にうず高く積み上がっていた本を弾き飛ばして、パチュリーは図書館を飛び出しました。  三ヶ月間倒れていて、生きる力すら喪いかけていた肉体を、気力と魔力と精神力だけで立たせ、空を飛ぶことも忘れて、パチュリーは走りました。  筋肉を魔力で引き結び、虚ろな視界をぼんやりとした陰影だけで判断しながら、パチュリーは走りました。  何度も何度も転びながら、その度に壊れかけの身体に新たな傷を作り、ぼろぼろの衣服を引き裂きながら、パチュリーは走りました。  息もまともに継げず、喉からはひゅうひゅうと隙間風が漏れ。  鮮やかだった紫苑の髪は、枯れた花のように色を喪い。  かつて柔らかかった手足はまるで枯れ木のようで。  その全てが砕けてしまいそうなことも厭わず、パチュリーは走りました。  だって。  だって、彼が帰ってきたのです。  知らせを受けたわけではありません。声が聞こえたわけでもありません。気配を察知したわけでもありません。  でも、それは確信でした。パチュリーには分かったのです。彼が帰ってきたことを感じたのです。  だから彼女は走りました。無理に動かした反動でへし折れそうな手足を振り、軋みを上げて意識を回復させた脳髄の痛みをものともせず、走りました。  それでも、彼へと続く道があまりにも遠かったので、パチュリーは壁を魔法で壊しました。  純粋な魔力だけで練り上げられた魔法は、館の壁を全てぶち抜いて、館主が厭う太陽の光を館の中にもたらしました。  パチュリーは、光の道を走りました。砕けた瓦礫と割れたガラスで足をずたずたにし、ときどき巻き込まれたメイドの身体を踏みつけて、パチュリーは走りました。  彼はそこにいました。館の外、庭の花園の中で、ぼろぼろの姿の彼が微笑んでいました。  そして全ての壁を通り抜けて。  目も眩みそうな太陽の下で。 「────!」  パチュリーは、初めて彼の名前を呼びました。彼は両手を広げてそれに答えました。  色とりどりの花に囲まれた中で、二人は強く強く抱き合いました。  愛を叫ぶことも、想いを告げあうことも、もうありません。  言葉なんて必要ないくらい、二人の心は、通じ合っていたのですから。  それから三ヵ月後、二人は結婚しました。  チャペルなんて幻想郷には存在しませんから、館の敷地内にメイド長や冥界の庭師が作り上げました。一週間で作り上げた、急ごしらえにもほどがあるものですが、それでもなんとか形にはなっています。神父の代わりは巫女が務めました。  多くの人と妖に祝福されながら、パチュリーは花のように笑っていました。  日陰の魔女とも、動かない大図書館とも呼ばれていた少女は、もうどこにもいないのです。  ──三ヶ月前彼が帰ってきてから、パチュリーはまず自分がかけた迷惑を、自分が関わった全ての人に謝って回りました。今では魔法使いや人形遣いとも仲直りしています。  それからは、積極的に図書館の外で行われる宴会などにも参加するようになりました。  彼の存在が、パチュリーの全てを変えたのです。一体何があったのか、ほとんどの者はあまり知りませんでしたが、彼とともに微笑んでいるパチュリーを見ればそんなことどうでも良いことなのでした。  純白のウェディングドレスに身を包み、彼の手をとって歩むパチュリーはこの上なく幸せそうで、普段は色んなことに無頓着な幻想郷の住人達も、思わず貰い泣きをしてしまうほどでした。  誰もが、これからの彼らの幸せな人生を確信し、その門出を素直に祝福していました。  そんな人生最高の瞬間から少し離れて、数人の妖怪達が集まっていました。 「しかしこれはまた、珍しい組み合わせですね」  結婚式の取材に来ていた天狗は、東屋で一緒にテーブルについている面子を見回して言いました。 「私は太陽の下に出れないからね。日傘を差して出て行くのも、人生の新しい門出には無粋でしょう?」  最初に答えたのは、この館の主たる吸血鬼でした。 「お前の口から、人生などという言葉が出るとは珍しいな」  対面に座るのは九尾の妖狐です。確かに天狗の言うとおり、この組み合わせは珍しいと言えました。 「まぁ、友人を祝う程度の情は持っているわよ。  そういうあんたは出ていかなくていいの? 式は一緒になって祝っているのに」 「私の役目は、この後に控えている宴の準備だからな。それはもう済ませたし、それまでの小休止だよ」  確かにこの結婚式が終わったら、いつも以上の大宴会が開かれることは確実です。めでたいことは、大勢で祝えばもっとめでたくなるのですから。  吸血鬼は、それで、と天狗に向き直りました。 「一体なんの用かしら。写真はもういいの?」 「充分取らせていただきましたので。当事者への取材は、もうちょっと落ち着いてからにしたほうがいいでしょうしね。私も小休止です。  そのついでに、今回のことについて花嫁の一番のご友人からお話を伺いたいなと」 「したたかねぇ」 「天狗ですから」  などといって天狗は笑い、懐から取材手帳を取り出しました。 「しかし、驚きましたねぇ。あの図書館の魔女がよもや人間の男と結婚するなんて。そういうことに興味なさそうに見えましたが」 「実際、興味はなかったと思うわよ。それだけ、あの男の存在が大きいということなんでしょうけど」  真っ赤な紅茶を啜りながら吸血鬼は言いました。 「その辺りの事情に、あなたは詳しいんでしたね」 「そりゃもう本人から熱弁奮われたから。正直辟易してたけど、まぁそこは友人だしね」 「おっと、そこんところ詳しく聞きたいですね」 「期待しても口滑らしたりはしないわよ」  残念、と天狗は舌を見せた。 「まぁ私もあんまりよく理解できなかったしねぇ。とりあえずパチェがあの男にべったりってことくらいは分かるけど」 「愛しているってことですか?」 「さてね。そういうのよくわからないし」  と、そこで天狗と吸血鬼は同時に妖狐を見ました。 「……何故私を見る」 「いや、そっち方面に疎い私達に講釈を一つお願いできないものかと」 「お前達は私をなんだと思っているんだ」  不満そうにそう返した妖狐でしたが、やがて、そうだな、と頷いて話し始めました。 「人間の心理作用の一つに、『吊り橋効果』というものがある。高い吊り橋の上など、命の危険を予感してしまうような状況で一組の男女が出会うと恋に落ちる、というものだ。  実際には『生理的な興奮を性的な興奮と錯誤したのではないか』というだけの実験結果だったのだが、最近では拡大解釈が進んでそのような見方がされるようになった。  いやそれはどうでもいいんだが、つまり、錯覚というやつだ。その錯覚が、あの魔女にも起きたのではないか、ということだ」 「というと?」 「話を聞く限り、彼のほうはパチュリーに対し、愚直なまでに一途な想いを抱いていたのは間違いない。ひとえにその想い故にパチュリーに尽くしてきたのであろうことも、容易に想像できる。  そこまで尽くしてくれる彼に対し、パチュリーもまた全くなんの情も抱かなかったというと、そうでもないだろう。まぁ、自分によく懐いたペットに対する程度のものは抱いていたんじゃないか?」 「ふーん。あんたと同じようなもんか」  と吸血鬼は、はしゃいでいる黒猫の式を差して言いました。 「あれは家族だ殺すぞ餓鬼ャア。人間飼ってる分際で偉そうに」 「あの子は人間じゃなくてメイドよメイド。私のモノにケチつけるなビッチ」  売り言葉に買い言葉。俄かに剣呑になり始めた二人の間に、慌てて天狗が身体ごと割り込みました。 「そ、それで? お話の続きをお願いします」  睨み合う二人は、しかしほんの数秒で矛先を収めてくれました。天狗はほっとしつつ、再び手帳を開きます。 「まぁ、そうして暮らしていくうちに、彼女は彼に依存していったのだろう。肉体面でも、精神面でもだ。食事の世話もしていたんだろう?」 「ウチのはここ二年くらいパチェの食事は作ってないって言ってたから、そうなんじゃない?」 「であれば、何故彼女が暴力を振るう『くらい』で済ませていたのかは想像できる。そうだろう吸血鬼」 「そうね、まぁよっぽどのことがあっただろうけど、いちいち殴ったり蹴ったりするくらいなら、一日目で消し炭にして残りの時間を読書に当てるでしょうよ」  そういう子なのよね、と吸血鬼は吐息しました。  それはつまり、本を愛する魔女に、本よりも執着するものがあったということになるのです。 「そして彼はここを去った。どういう形であれ、パチュリーの心の決して少なくない部分を占めていたものが、なくなってしまった。  彼女の心は均衡を失い、追い込まれて──壊れかけの精神を納得させる答えとして、『私は彼を愛していた』と考えるようになったのかもしれない。依存心を、そっくりそのまま愛情にすりかえてな」  もちろん想像の域を出ないことだが、と妖狐は締めました。  妖狐は袖口から取り出した盃に、手ずから酒を注ぎました。そしてその水面を眺めながら静かに呟きました。 「愛という言葉は便利だ。それのせいにすれば、およそ全てのことにカタがつく。  愛しているから愛し、愛しているから犯し、愛しているから殺したなんて、珍しくもないことだろう?」  確かに、と天狗は頷き、吸血鬼はからからと笑いました。 「さすが、傾国の美女は言うことが違う。よほど多くの『愛』を手玉に取ってきたのね」 「なんのことやら」  九尾の妖狐はそう嘯いて、盃の酒を飲み干しました。 「しかしだとすれば、哀れですね。あんなに幸せそうなのに、それが勘違いでしかないなんて」 「まぁそうだな。……しかし、結果的にはとはいえ、彼は望みのものを全て手に入れたことになるな。こうなるまでの過程が全て計算ずくだとしたら怖ろしいことだが──」 「もっと怖ろしいことに、素なんでしょうね、あれは。その辺り、友人としてどう思われますか?」  急に向けられた矛先にも動じることなく、吸血鬼は答えました。 「私はパチェが幸せならなんでもいいよ。勘違いだろうと狂気だろうと精神病だろうと、感情なんて、その本人のものでしかないんだから。  それで幸せだって思えるなら、とやかく口を出すことじゃないんじゃない?」  吸血鬼は、太陽の下、花吹雪の中を歩きながら微笑んでいるパチュリーを見て、眩しそうに目を細めました。 「当の本人が幸せだと思えるなら──それは世界が滅びたって、そうなんでしょうよ」  それから、彼とパチュリーは幸せに過ごしました。  子供こそできませんでしたが、図書館を住居とし、二人だけの穏やかな生活を営んでいたのです。  住み着かれている館のメイド達にしてみれば、四六時中甘い空気を垂れ流すものと一緒にいるのでたまったものではありませんが、しかし館主たる吸血鬼が何も言わない以上我慢するしかありません。  二人は、そんな評判どこ吹く風ぞと、いつも一緒にいました。  今はもう、彼に頼るばかりのパチュリーではありません。料理を覚え、掃除洗濯を覚え、図書館の外にも積極的に出るようになりました。  そんな生活を、ずっと、ずぅっと──続けていきたかったのです。  彼が初めてこの館に来て、百年が経ちました。  彼は今まさに、その人生を終えようとしていました。  多少魔力があるとはいえ、彼は人間でした。パチュリーのように捨虫の法を習得し、老いと無縁でいることはできなかったのです。  それでもなんとか維持してきましたが、それも限界です。外見は若々しいままでも、彼は人間のまま、既に百二十歳を越える高齢なのです。  無理な延命の代償に、その肉体は罅割れるかのように朽ちていこうとしていました。 「いや、いやぁ……死なないで、死なないでよぅ……」  パチュリーは彼の手を握り締めて、そう願うことしかできませんでした。二百年を生きた魔女にも、最早どうすることもできないくらい、彼の身体は壊れかけていたのです。 「パチュリー……様……」  彼は掠れた声で、なんとか愛しい人の名前を呼びました。空いているほうの手を、小さな石とも陶器ともつかない破片を落としながら、ひざまずいたパチュリーの頭の上に乗せました。 「泣かないで……ください。あなた、と、生きてこられて、俺は……幸せでした。  あなたを残して、逝くことは……とても哀しいけれど、いつかは訪れる……別れです……。  だからせめて、笑ってください。俺が好きだった笑顔を……見せて、ください……」  途切れ途切れの言葉に、パチュリーはがくがくと頷きました。そして、涙を流し続ける顔を、無理矢理笑顔の形に歪めました。 「こ、う? これで……いい? 私、ちゃんと、笑えてる?」  くしゃくしゃの泣き笑いの顔で、パチュリーは訊きました。彼は小さく頷いて、百年間変わらない、あの優しい微笑を浮かべました。 「は、い……綺麗です、パチュリー様……。  あなたと一緒に、いられて、良かった。嬉しかった。本当に、幸せ、だった……。  どうか、あなたは、いつも笑顔でいてください……そして俺がいなくても、どうか、幸せ、に──」  すぅ、と眠るように彼の瞼が閉じられていきました。 「っ! いや、だめ、死なないで!」  詰め寄った瞬間、ばきりと音を立てて、握っていた彼の手が半ばから折れました。それと同時に、全身の罅割れが広がり、そこかしこから彼の身体が崩れていく音が聞こえてきました。 「だめよ、置いていかないでよ……持って、いかないでよぉ……」  呻くような嗚咽が、狭い部屋に響きました。  そう、彼は自分から孤独を奪った。日陰を奪った。そして何よりも、心を奪ってくれた。  そしてその代わりのあらゆるものを、自分に与えてくれたのに。  彼はそれを残して、独り逝こうとしているのです。パチュリーの中にある彼への愛は、彼がいなくなったあと、どこに向ければいいというのでしょう。 「持ってかないで……」  砂となって崩れていく彼を前にして、世界そのものに祈るように、パチュリーは声を搾り出しました。 「持ってかないで……!」  答えるものはどこにもおらず。  パチュリーは、彼だったものに伏して、やがて大きな声で泣きだしました。  それを聞くものが、部屋の外にいました。 「慰められるんですか、パチュリー様を」 「うん。私も二十年前大泣きしたし、そのとき支えになってもらったからね」  そこにいたのは小悪魔と吸血鬼でした。  小悪魔は微笑んで佇み、吸血鬼は珍しく神妙な表情で手の中の懐中時計を眺めていました。 「ま……それほど心配することないかもしれないけれど。  愛を知らなかったが故に強かった私達は、愛を知って弱くなったけれど、でもそれ故に、愛のために生きる術を知ったわ。  一頻り泣いたあとは、魂を呼び戻す魔法の構築にでも取り掛かるんじゃないかしらね」 「──もっともそうしたとしても、それは徒労に終わりますけどね」  クスリと息だけで笑い、小悪魔は手に持っていたランタンを持ち上げました。  そこには青白い炎のようなものが浮かんでいました。  彼の魂です。  それを見て、吸血鬼ははぁ、と深く溜息をつきました。 「考えてみれば最初からおかしいことばかりだったわよね。外の人間がいきなりウチの前の湖に浮かんでいることがそうならば、外の人間なのに魔力を備えていたこともそう。  そして、こちらに来たことがないはずのあいつが、パチュリーのことを知っていたのも」  パチュリーに会うためにここに来た、と彼は言いました。  でも、おかしな話です。外で普通に暮らしていたはずの彼が、幻想郷に住む彼女のことを知り、恋焦がれていたなんて。 「三つ目については……まぁ予想がつくけど、とりあえずあいつに、ここで生きるための魔力を与えてウチの前に放置したのは、あんたの仕業ね」 「ええそうですよ」  小悪魔は悪びれもせず認めました。 「彼は私と『契約』したんです。彼はこちらに来たがっていましたから。だから三年間という期限を設けて、こちらに来させてあげたんです」 「そして、それを終えた彼と、改めて『魂』を代償とした契約をしたと、そういうわけね。  ……回りくどいやり方ねぇ。最初から魂を取る契約にしとけば良かったじゃない」  そう言うと、小悪魔はあははと困ったように頬を掻きました。 「まぁ色々と約束事がありまして。心の底から思う願いじゃないと、魂って取れないんですよね。だからお試し期間を設けたわけです。当時は彼の想いもそれほどでもなかったし、半信半疑でもありましたしね。  結果、それは成功して、誰にとっても満足のいく結果になったわけです。途中で三ヶ月という時間を挟んだから、パチュリー様は彼への想いに『気づく』ことができたし、彼も家族に最後の別れを告げることができた。  ──ほら、不幸になった人は、どこにもいないじゃないですか」  そうやって、両手を広げて己の手柄を誇らしげに語りながら、名もなき悪魔は笑いました。 「……これから不幸になるんじゃないの? パチェの願いは、どうやったって叶わないわけだから」  そう、彼の魂が小悪魔の手にある限り、パチェがいくら彼の魂を呼び戻そうとしても、絶対にできないのです。その上彼の魂は、正当な契約のもとに小悪魔が受け取ったものですから、その摂理は魔女であろうと覆すことはできません。 「そうでもないんじゃないですか? ある一つの目的に向かって走り続けること、来るべき幸福に向けて邁進することは、それ自体が幸せなことだと思いませんか?」 「それが実現可能な願いであれば、ね。パチュリーがやろうとしていることは、虹を掴もうとしているようなものよ」 「ああ、言いえて妙ですね、それは。  ……そうですね、いくらなんでも可哀想ですし、パチュリー様が彼を呼び戻すことを諦めて、幸せじゃなくなったら、この彼の魂、あげてもいいですね。  そうだ、そのときには触手系の妖物でも召喚して、それに彼の魂を入れておいてあげましょう。ここ十数年はご無沙汰でしたし、きっとパチュリー様も喜んでくれますね。  私は悪魔ですけど、あの人の従者なんですから。どんなことをしても、結果的にあの人が幸福になれるように動かないといけませんよね?」  楽しそうに小躍りしながら、小悪魔はその未来を思い浮かべます。  吸血鬼は呆れたように頭に手をやり、 「悪魔ね、あんた」 「知らなかったんですか? その通りですよ」  天使のように笑いながら、小悪魔は言いました。  小悪魔は楽しくてしょうがないのです。真実を知った自分の主人が、変わり果てた彼の姿を見た主人が、泣くのか、笑うのか、それともその両方が綯い交ぜになった顔を見せてくれるのか──それを思うと、楽しくてしょうがないのです。  小悪魔は小悪魔なりにパチュリーを愛していましたが──彼女はやっぱり悪魔なので、彼女の愛は人の愛とは違うのでした。  人の愛を知った吸血鬼は幸せそうな小悪魔から目を逸らし、『私』を見ました。 「それで? このお話はあんたにとって楽しかったかい? 八雲紫」 「──ええ、とても」  私は、そう答えました。  これで、ある魔女と、『外の世界』から来た青年の話はお終いです。  幻想郷は変わらず回り、独りになった魔女にも、完璧な従者を失った吸血鬼にも、楽しげに踊る小悪魔にも、それぞれの時間は続いていきますが、あなたに見える物語は、ひとまずこれにて終幕と相成りました。  名も明かされなかった彼が潜り抜けた境界も、もう閉じようとしています。私の声があなたに届くのも、これが最後となるでしょう。  それでは、願わくば、あなたの幻想郷があなたにとって幸せであることを。                            境符「二次元と三次元の境界」──Spell Break.