レースが始まる 参加者は二百名 23チーム 後方には各チーム2台のサポートカー、前方には先導バイク4台、ニュートラルと呼ばれる中立的なサポートバイク数台が車列を取り囲み、更に審判団の車が前方1台、後方に2台付く。 スタート位置は集団中どころ、チーム順で10番目だ 開始そうそうにチームごと少し前へでる。 先頭を引くのは羽田学園 最初の山まではおそらくこの膠着状態が続くと部長は言った。 「まだ早い」 しばらくすると始めの山が見えてきた、高低差430メートル最大傾斜10% 比較的緩やかな山になる。 各チームは山岳ポイントで縦長になることを予想しサポートカーに補給人員をおくり始め, 自分も仲間の為、後方に下がりサポートカーに横付けする。 「首尾は?」 と瑞穂が一言 「うーん、まだ分からないな…山岳賞狙いなのか…勝ち狙いなのか…」 「あそこ、10人のチームだから優勝狙い…かも」 「ここで前に出るのはなぁ、どうだろう?」 トシはチラッと後部座席を見た。 何も言わず…いや、言おうともしないで、こっちを見ようともしない静香 自分のボトルゲージに2本挿して、更に後ろポケット3本、背中に八本入れて列に戻って行く。 ボトルを配って、戦列に復帰。 「よう、加藤」 後ろから声をかけてきたのは、内藤だった。 「今、忙しいんだけど」 「つれない事言うなよ、どうせ最後の山で飛ばして、リタイヤだろ?」 嫌味が過ぎると隣のチームメイトに叩かれるが内藤は直すつもりは無い。 「それがわかるなら、わかるだろう? 今だって忙しいのは…喋って疲れて上れなくなるぞ」 先頭チームがのぼりに向けて加速してるのが見えた。 集団について行きながらギアを軽くし、山岳ポイントに入っていく。 今日は二箇所の山岳と海沿いの道、ゴールも海沿いの町という事もあり、シマノDER−ACEノーマルカーボンリム、ザーベロののぼり用フルカーボンフレームを持ってきた、タイヤはやはりチューブラーの軽量ハイグリップタイヤ、正直パンクが怖いのは言うまでも無い。 急激に展開が生じる、どこかの一年生の一人が動いた。 山岳狙いのアタックだ。 それに10人が反応し付いていく。横についていた審判団のバイクと車がその10人を追い始めた。 「元気がいいな、一年坊主達は」 後ろから声を掛けて来たのは他校の生徒だ。彼とは前のレースで山岳賞を取りに協力し争った相手だ。 「そうだな、一年で山岳賞なんて取れたら一躍有名人だ」 「今回は行かないのか?」 「まだ早い、こんな所で行っても得はしないな」 肩をあげる。 「なんだ〜、最後の山狙いか?」 「あっちの方がポイント高いだろ?」 そういうと意地悪く彼は笑う。 「嘘吐きめ、こんな所で手を明かす奴が狙いに行くとは思えないぞ」 「どうだろうな」 痛いこと言われて軽く笑う。 「あ、そうそう、お前のチームカー、新しい女の子いなかった? かわいい子、お前の所はいいなぁー、女子マネが豊富で」 痛すぎて失笑してしまう。 「いいだろ? かわいい子でさ」 顔が曇ったか、彼はいきなり励ましてくる。 「おいおい、落ち込むなよ、どうしたー? 大丈夫だって、お前ならすぐ彼女作れるって」 「なんだよいきなり」 更に回りに居た奴らが聞きつけて慰めてく。 「おいおい、マジかよ、落ち込むなー」 みんなが背中を叩く。 「そんなんじゃねーよ、まだその前の段階だ」 「お、いいねー、俺、この試合に勝ったら彼女に告白するんだ…、よくね? よくね?」 「死亡フラグだろ、それ…ちげーよ、相手がいないって話だ」 今度はみんなからメットを殴られた。 「このやろおおおお、うちには女マネもいねーってのに!」 「そーだ、そーだ! うちには女子がいねーよ!」 こいつら、良く見れば全員見覚えのあるクライマーだ、これぐらいののぼりでは余裕があるらしい。 「うっせぇ! まじめに上れ!」 軽く立ち漕ぎして、馬鹿集団から離れる。 前にいる審判団のバイクが前方とのタイム差を表示した。 「2分か…問題ないな」 まだレースは始まったばかりだ。 ○  ○ 「これで全工程の四分の一って所ですかね」 先生に言われてカーナビで確認する。 「走行距離は…36kmか、気温変化もそこまでないし、しーずか、2回目の補給の準備できてるかしら?」 「あ、はい、出来てますボトル10本、大丈夫です」 「じゃあ、呼ぶねー」 無線機を手に取り窓を開ける。 「こちら瑞樹、2回目の補給準備できました、誰か寄越して」 『了解、今行かせる』 集団から一人が出てきて車に横付けする。二回目はトシじゃなく一年生だった。 「はい、瑞樹先輩お土産の空ボトル」 こっちの動作お構いなしに足元にボトルを投げ込んでくる。 「あんたボトル空っぽにしてあるの?」 「たぶん!」 「たくもう…静香、ボトル頂戴」 後ろからボトル渡されてそれをそのまま一年に渡す。 「ちょっとサイコン見せなさい」 窓から体を乗り出してサイコンを弄り、ハートレスモニターも確認する。 「瑞樹先輩、リアディレイラー、ハイ側ちょっと離してもらっていいですか? あとビンディング、ペダル側閉めてもらっていいですか?」 ダッシュボードからドライバーを出して更に体をのりだして、四分の一回す。 何度かギアを変えて、後輩が確認する。 「OKです、ビンディングプラス側にいいですか」 「はいはい、人使い荒いんだから」 一年が車の窓枠を掴んで、ビンディングを外す。 同じように乗出して六角レンチで回そうっと思ったとき静かに声を掛けられた。 「瑞樹先輩、静かに聞いてください…今日、トシ先輩はホイール2本と予備一台自転車もって来てますよね?」 「え?」 「こっち向かないで…聞いてください」 調整の振りをして耳を傾ける。 「明光の内藤がなんか怪しいんです、内藤がトシ先輩の近くに居るのはわかるんです…けど、気になるのは明光チーム自体が先輩に近寄らないんです」 問題性がわからず頭をかしげる。 「注意する相手にブロックの気配すら見せないんですよ? なるべく中に居てくれた方がいいのに、それが例え序盤だからって意味だとしても不自然すぎる避け方です…何か仕掛けてくるかもしれません」 半回転させて、硬めに設定する。 「ありがとうございました。 じゃ、ボトル渡してきまーす」 集団に戻っていった。 座席に据わりなおして、一年の言葉を考える。 考えるは皆に伝えるべきか。 (下手につたえるのは避けた方がいいかしら? そこら辺の判断もこっちにしてって意味なんだろうけど…) 思考の結果を言葉にする。 「静香、ごめん座席倒すね」 座席を倒して、トランクの方に入れてあったデュープリムのホイール出してエア圧の確認をしておく。 「どうしたの? 瑞樹」 静香が疑問を投げかけてくる。 「ああ、気にしないで、一応の確認」 静香には今回のことを言うべきではないだろう、彼女の友人であることには変わりない、不快に思うかもしれない。 「雨だな…予報通りだ」 先生がつぶやく。 雫がフロントガラスを濡らした。 「嫌な感じですね…いきなり曇り始めた」 「瑞樹、全員に通達ウェットウォーマー着用任意で、降り始めだ、気をつけるように」 座席に戻り無線機を手に取った、さっきの議題がもう一度頭に浮ぶ。 「――路面すべると思うから気をつけてね……以上」 それ以上は何もいわずに無線機を置いた。 お願いだから怪我だけはもうしないで…… 前の集団を見ながら祈った。 ○  ○ 「雨だ」 誰かが言った。 「お、雨だ、雨だ」 周りが騒ぎ始める。 「予報どおりだけど、俺のチョコバーが湿気る」 と騒いだ奴がチョコバーをむさぼり始めた。 笑ってると無線が入る。 『こちら瑞樹、雨はこのまま続くわ、通り雨じゃない、ウェアが濡れる前にウェットウォーマー来た方がいいわ、路面すべると思うから気をつけてね……以上』 みんながそれぞれ雨支度を始める。 ジャージの腹に入れてあったウェットウォーマーを引っ張りだして上に着る。 いくら夏であろうと30〜45km/hで平地を走り、下りでは40〜80km/h以上出る。その間に濡れたジャージなど着てたら涼しいではすまない、低温が体力を奪い、筋肉を固め、心を蝕む。 そのためにウェットウォーマーは大事なのだ。 上りながらウェアを着るのは難しいが傾斜の緩い所で速めに着るようにする。 頂上付近で本格的に降って来た。 視界が悪化する所の話ではなかった。 路面が鏡の様になってる、所々川の様に流れた水溜りが出てくる。 「ちょっと下りは洒落にならないな、こりゃ…」 ボヤキが口から出る。 一人が声を上げた。 「みんな聞いてくれ、落車は避けたいがあるかもしれない、間隔を少しあけてくれないか!」 手を上げるなり、声を掛けるなりで返事をし間隔を大きめに開ける。 下りが始まった。 前方の逃げ集団は3人脱落して7人、タイム差は多少詰めて1分差 平地で食らうだろう、ここで無理する訳には行かないのは全員が同じ、逃げはいい事ではない。 ブレーキを頻繁に掛けるが75km/hを数回越えている。幸いカーブの数も多いそれ以上出ることないが濡れた路面が恐ろしくかなり手前からブレーキングを切り返す。 ブレーキング時にロックするが特に問題はない、ここはヒルクライマーとしては下りへの耐性があるのは確かだ。 一人落車をした者も居たが単独で誰を巻き込む事はなく、下り終えて逃げ集団を吸収した。 40番手あたりでうろうろしてると神奈川選考のチームが集団のペースを制御していた。 そろそろ、スプリントポイントへの動きを集団が始める。 雨のなかボトルを煽り、ボトルゲージに突っ込む。 「トシ、おい、トシ」 後ろから声を掛けられる。 神田だ。 「ん? どうした?」 「ボトル、そろそろ空だろ?」 「ああ、サンキュー」 今ゲージに入ってるボトルを空にして、高く道の外に捨て、神田からボトルをもらう。 「今から3人アタックしかける、いらない奴にスプリントボーナスをやる必要はない。 お前は後ろで見てろ」 「ほいほい、了解」 チームの3人がサイド隙間からアタックを開始した。 そのアタック見て焦った5人が追走を始めるがタイミング合わない。 3人、5人、集団と三つに分解した。 「こちら、トシー追撃5人、タイミングあってないから合流までにちょっと時間掛かるかも背番号34と121と49…他は見えない」 無線に追走の情報を送る。 『了解、集団ペースあげてる?』 サイコンをチラっと見るが6km/h上がった程度で追う, 差を開かせないようにスピードを上げた程度に思える。 「微妙だな、追うにしては遅いかなぁ」 『ありがとう、前に伝えておくわ』 集団がすぐに加速した。 「あ、まった、加速し始めたぞ…先頭は142と122と146番かな…たぶん、おーおー速い速い、縦長になるぞ」 スプリントポイントを目指した8人は神田が1位を取り集団に戻ってくる。 「おうおう、おつかれー、上位独占とはまったく目立ちすぎるなよ」 笑い話を吹っ掛けるとやれやれと神田が反応した。 「俺に注目が集まっていいじゃないか、それに、それくらいで負けるなよ」 「ごもっとも、さぁ、第二山岳だ」 2個目の登りが始まる。 雨は未だに降り続く中、仕掛けが始まる。 山岳で僕が逃げを決めるように東先輩、小島、大滝3人を連れて飛び出す、タイミングは上り始めてすぐ、かなりのスピードで飛び出る。 慌てて付いてくるのは15人、おそらくはこっちの素性を知るチームの人間だ。 20分だけ全力で登りを開始、引き離しにかかる、そして脱落した様に集団に戻った。 「お疲れ」 と後からチームが声を掛けて来る。 「おつかれーかとうくーん? 一発屋は辛いねえ? ん?」 内藤が嫌味をいいに来る。 無視を決め込むが内藤は黙らない。 「おい、無視するなよ!、おい!」 いい加減にしろと内藤は言われても聞かずに、罵声を言い続ける。 周りの選手もこちらを見ながら無線をしているのを見るとおそらくあまりに酷い罵倒に対する審判団への申告の相談かもしれない。 神田が間に入って遮る。 「いい加減にしろ、審判に申告するぞ」 舌打ちをして内藤は離れていった。 「加藤、お前ももう少し反応してやってもいいんじゃないか?」 神田はやれやれと隣に来た。 「馬鹿を相手にしてるほど余裕が無いよ」 「まったくだ…動きがおかしいから、気をつけてな」 頷く。 集団の真ん中、端の方を走っていると内藤が相変わらず逃さないように、斜め前に入ってくる。 気にしないようにしてるが 斜め前の内藤が受け取ったばかりのボトルを捨てた。 息を飲む。 ある程度の集団の中にもかかわらず、その捨てられたボトルは道路の外に向かってなく。 こちらのフロントホイールに飛んできたのだ。 避けれるはずも無く、ホイールにボトルが当たると水がかなり入ってたのだろう、スポークを折り、一瞬フロントフォークに噛み、弾けた。 前に自転車ごと回るが、肩から落ちて横にずれてリアホイールを嫌な方向に打ち付け、体はそのままアスファルトの上を滑って、ウェアと皮膚を削っていく。 落車した。 肩、腕、太ももに熱さを感じ、遅れて痛みが来た。 叩きつけられた打ち身の痛みと出血の痛みだ。 硬く目を瞑り、歯を食いしばった。 「ぁーー!!」 痛みでかすれた叫び声しか出ない。 目を開けば、路面側の右腕からの出血が見える。 じわっと血が広がり、破れたジャージが血に濡れた。 終わった…これで終わりだ。 行けるだろ? 行けるに決まってるだろ? お前はもう知ってるよな? 諦めた時の痛みと悔しさを! 立てよ、立てよ! 立てよ、僕! 今まで何してきたんだよ! ここで終えて何になる! 立て! 「くそおおおおおおおおおおおおお」 立ち上がる、痛みが体に響く。 大きく息を吸い、吐いた。 「瑞樹、聞こえるか落車した! 自転車交換だ、準備してくれ!」 自転車を起こし、自転車を確認する…コレじゃ走れない、サポートカーを待つ。 「大丈夫か、君!」 オフシャルバイクが止まり聞いてくる。 「問題ないです!」 自転車を路肩に捨ててサポートカーを待つ。 『ねぇ、トシ大丈夫なの!? 怪我は』 「してる、それは後だ、早く俺の自転車!」 分離していた第二集団が追いつくと東先輩と小島と大滝が止まる。 「こちら東、みんな集団に食いついて行け、トシは俺と小島と大滝で山を登らせる、下った後に合流して集団に戻してやってくれ」 東先輩が的確に指示を出していく。 『部長から全員へ、集団に食いついておくぞ』 少し前で止まっていた全員が走り出す。 それに代わるようにサポートカーが到着し自転車をを持った瑞樹が出てくる。 自転車は… デュープリムホイールを前後を装着し、電動デュラエースを搭載したソロイストカーボン 「怪我の処置―」 「そんなのは走りながらでも出来る!」 すぐに自転車に跨り、瑞樹に背中を押してもらってリスタートを切った。 平地まで少し上って全速で下るしかない。 「追いつく、絶対に…」 雨がやみ始めた。 三人は一列になり第3山岳、カテゴリー2級で追撃を始める。 上り勾配は出血する太ももに疲労を与え、更なる出血をさせる。 「くっ…」 心拍数100で安定させ、足を回転させていく。 単調な心拍計のリズム音が疲労で薄れた意識を持ちこたえさせる。 前の背中を見ながら…ただ走る…ただ…足を回す。 追いつくと強く思って。 ○         ○ 集団ではMCTが後方で固まり走る。 「河野、大滝、後に下がってくれ、トシが追い付く、その前に補給する、チョコバーとってきてくれ、腹減った」 部長が指示をすると頷いて二人は下がっていく。 「神田、トシが勝てると思うか?」 部長が俺の隣で呟いた。 「え?」 「今からなら、俺たちがお前をアシストすればお前は優勝できる実力がある、お前が勝ちたいなら、アシストしてやってもいい」 勝ちという甘い誘惑。 誰もが欲しがり、誰もがその為に走っている。 確かにこの位置からアシスト6人なら間違いなく上位に食い込める、あとは運になるが勝てる可能性がある。 自分はかなり温存して走っている、後から追いついてくるトシよりか体力だって残ってる。 俺は勝ちたい、優勝したい だけど 「部長、待ちましょう」 「部長、今、朝日さんが一番信用してるのはあいつなんです、どんなプロ選手の言葉より、朝日さんはあいつの言葉を信じる。 おそらく、負けたって朝日さんはマラソンを止める事はないでしょうね、トシが死ぬ気でがんばって練習したの見てた訳ですし」 「ああ」 「だけど、俺は死ぬ気でがんばって筋質が違うにも関わらずスプリント練習して、誰かの為にあんなにがんばれるあいつを、勝てせたい、俺も勝ちたいです、だけど、それ以上にあいつを勝たせたい」 「本当か? それが恋愛感情とかでもか?」 「ええ、それは問題じゃありません、誰かのために勝ちたいと思えて、がんばれる、あいつを俺が勝たせたいんです」 部長はナニを思ったか、一瞬考えて、頷いた。 「よし、決まりだ全力でトシをアシストする」 下りの終わりが見えてくる。 ○         ○ 苦しい、辛い、止めたい、足を止めてしまいたい、リタイヤ、棄権、止まる あらゆるマイナス要素を頭から払い、足を回す。 考えるな 足を止めるな、回せ、回せ、回せ、止まりたい。 意識が薄くなる、脱水症状か? そうじゃないもっと簡単だ、ただの疲労 もう顔を上げられず前のタイヤしか見ることしかできていない。 はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ 前の3人も相当疲労してる。 もう駄目かな…止まろうかな、もう止まっていいだろ? 「頑張れ」 誰かがいたった、沿道の誰かだ。 「頑張れ!」 次は観客に背中を叩かれる。 「頑張れ! 頑張れ!」 「いけー!」 周りの人間が何かに気付いたように声を出す。 「いけ! まだ追いつける!」 「負けるな!」 「いけ! GOGO!」 場が盛り上がった。 笑みがこぼれる、不敵な笑みだ。 「おい、この人たちが止めさせてくれない見たいだぞ」 東先輩は笑いながら後輩と変わり言った。 「見たいですね!」 後輩も腰を上げてダンシングする。 「付いて来いよ、お前を置いてくかもしれないぞ」 「誰が離されるって? 聞きたいですね!」 全員立ち漕ぎして乳酸を抜きながら上る。 カーブを立ち上がるとアーチが見えてくる。 頂上だ。 通過するとタイムコントロールが3回鳴る。 下りが始まる、ここでどれだけ詰めるか勝負だ。 「アシストありがとうございます! 下りはちょっと先いきます!」 「了解、追いついてこい」 「先輩がんばってください、追いつけなかったら許しませんよ!」 後輩の言葉に微かに笑う。 「俺を誰だと思ってる? ダウンヒラーだぞ」 「そうでした」 彼はすこし呆れた様に笑った。 ブレーキレバーの黒い部分を叩くと電動でフロントギアをアウターギアに入る。 ココからが彼の勝負の時間となる。 下りにも関わらず、ペダリングし容赦なく加速していく、体を小さくし、空気抵抗を減らしながら、更なる加速を得ようとひた走る。 カーブはギアを落としながらブレーキを掛けて減速、減速しきったら目一杯自転車を倒してリーンウィズ、クリッピングポイントを超え、体をすこし戻しながらぺダリングを開始、加速していく。 失うものは何も無い、ただひたすら全力で下る。 カーブの内側の壁に頭を擦らせそうになりながら、出口ではガードレールに足を擦らせそうになりながら、カーブをクリアしていく。 オフィシャルバイクすらも置いて下る。 軽量の自転車の方が圧倒的にレスポンスが高く、速い。 登りで遅れた選手たちが見えた、目もくれずに、抜く。 峠が終わり平坦な道を下りの惰性で飛ばしていく。 「こちらトシ、下り終わった、何所に居る?」 「下り終わった最初のカーブ抜けた所に居る、お前は走り抜けろこっちが追いつく」 カーブの幅を命一杯使ってアウトインアウトしながら加速していく。 「ちょ、おま、はえぇよ!何キロで下ってきた!」 無線から文句が飛んできたのでサイコンの最高スピードを見る。 「82km/h」 後から大急ぎで付いてくるチームの列に吸収され、加速していく。 先頭交代しながら集団を追う、ここからは平坦で多少起伏があるもののゴールまでその調子で進む。 『こちら瑞樹、トシ怪我の治療するわ、少し下がって』 後のサポートカーからの指示にチームはスピード落として待つ。 足を止めて車に横付けする。 車の窓枠に捕まり瑞穂に怪我の治療を受ける。 怪我は肩を筆頭に右側はかなり酷い擦りむき傷になっていた。 後部座席の窓が降り、中から静香が話しかけてくる。 「もう辞めよう? この前のでまだ体痛いんでしょ? もういいよ 私マラソン辞めないから、ね?」 瑞穂は黙って治療を続ける。 「瑞穂も止めさせてよ、こんな状態で走ってたら怪我が悪化しちゃうって」 だが、瑞穂は辞めようとしない 「止めさせないよ」 瑞穂は簡単に言い放った。 「だって、まだトシは辞めるなんて言ってない、辞めるって行ったら抱きしめて止めてあげる。トシだけじゃないチームみーんな、でもみんなそう簡単にはやめようとはしない、意地なのか、馬鹿なのか……でも、何度だって、純粋な目で立ち上がる。 まるで自転車に乗る練習をしてる子供みたいに」 瑞樹は苦笑する。 「止まるのは簡単、だけど、走り続けるのは辛い、だから、私は応援する。 それが私」 「そんな…だってトシはプロじゃないんだよ。こんな無理して走る必要ないじゃない!」 「だったら俺は、やめるべきか?」 「だって、怪我が」 言葉を遮りもう一度説いた。 「それが理由でやめるべきか?」 「……ッ!」 静香は言葉を呑む。 「なぁ、静香…俺はやめるべきなのか?」 俯いて、静香は何も言わない。 「確かに俺はプロじゃない でも、前を見てみろよ?」 前方にいるのはトシの追撃をサポートする為に待ってるチームメイトだった。 「みんなが待ってるんだ、俺を勝たせようと」 窓枠から完全に手を離す。 「だったら、ここで辞める理由はない…」 穴が開いたカッパを脱ぎ捨てる。 「ここで脚を止める理由はない」 ペダリングを再開する。 「ここで自転車を降りる理由はない!」 グローブを引っ張る。 「だから、少しでも、ほんの少しだっていい! 意味がある方に俺は行きたい!」 前に向き直り、サングラスをかけ直す。 「俺は勝ちに行く! すこし意味の、理由の、為に!」 ギアを一つ重くする。 「俺がいける限界まで、あんな思いはもうしたくない! して欲しくない! 俺はあきらめたくないんだ! その証明の為に!」 叩き付けられた手が痛みで、震えが止まらないがハンドルを握って無理矢理震えを止めて腰を上げ、加速した。 「俺は走る!」 車列を形成し、一番後ろに付く。 先頭交代しながら高速で集団に追いつこうと巡航する。 『あと30km、タイム差14分』 無線を聞き、更に加速した。 ○     ○ 一列で車列を組みながら高速で巡航していく。 それを後から眺めながら車で着いてサポートする。 助手席では瑞希が無線に向かって常に前のタイム差などを読み上げていく。 「静香!ボトル準備して全員分!」 「うん」 ボトルに飲み物を入れてフタをしめていく。 『瑞樹先輩足つった、ここでリタイヤします、本部に報告おねがいします』 後輩の一人が車列から離れる。 「分かった、ボトルだけ上げるから端で休んでなさい、セカンドサポートが来るまで待ってて」 『りょうかーい』 先生が車列から抜けた後輩に車を寄せ、瑞樹は後ろから肩を叩き、ボトルを渡す。 「はい、お疲れ様」 「ありがとうございます」 そのまま彼の横を抜けて、車列を再び追う。 「ここまでして、一人を勝たせようとしてるの…だって、そんなの彼らだってがんばってるのに…」 「静香にしたら珍しいかもね、個人競技だからマラソンは、がんばった人はそれなりに評価され、結果に繋がる、そこから先は才能とかもあるんだろうけど」 瑞樹が疑問に返答してくれる。 「ロードレースってのはこういうものなのよ、別にアシストのみんなが評価されないって意味じゃないよ? でも、みんながエースにはなれない、どうしても縁の下の力持ちになっちゃう」 そして瑞樹は逆に質問してきた。 「でも、それって悪い事かな?」 「え?」 「縁の下の力持ちでも、エースやチームは評価する。お礼とかそういう気持ちで対価をくれる、それも悪くないと思うの」 瑞樹が無線でタイム差を伝え、話に戻る。 「だって、私はマネージャーとっても嬉しくて、楽しいから」 笑顔で瑞樹は言い放った。 「もっと役に立ってない私が、そう思うんだから」 何も言えず、下を向いてしまった。 また一人、車列から離れていく。 凄い辛そうな顔で路肩に自転車を止め腰を下ろす。 「ありがとう、気付けたから、みんなありがとう」 「あとでみんなに言ってあげて」 「うん」 ○     ○ ゴールまで7kmを切った所で先頭集団に追いつく 前は場所取りの混戦状態 「ギリギリ間に合ったか」 『最後よ、踏ん張りなさい』 無線から激が飛ぶ。 「まったく厳しいねぇ、アシスト一人で勝ちにいこうなんざ」 「てか、俺無理、もう足うごかねー」 「たった今アシストなしになった俺はどうすれば勝てると思う?」 『根性、気合、ガッツ…』 「おし、もういい、理論的に勝つ冷静な策が無いと見た!」 「わかってんじゃんよー、俺もう疲れたからー」 冗談めかしで言ってる神田だが、目に見える疲労が溜まってる。 今はペースアップしてる集団について行く事すらやっとなはずだ。 「わかってらー、後6キロはがんばって走れよ、1キロで全員同タイムだ」 「ああ、わかってるがんばって来い」 「おう」 『ゴールで先に待ってるわよー、頑張れ』 サポートカーが自転車集団から離れ、先回りしゴール地点に先回りを始める。 5kmポイントのアーチを潜ると道の両サイドに柵が設置され出した。 既に集団の空気はピリとしており、先ほどまで見られた余裕さは一切ない。 前方には20名前後の選手たちが各チームごとに集まり誰よりも早く、自チームのエースをゴールラインの向こうに送り届けようとしている。 誰もが勝てる位置に居る、そして、僕もまた勝てる位置に居ると言える。 若干の下り傾斜があり速度は50km/hを越え始めた。 1kmを切ると集団の後方が縦に長くなっていく。 速度が上がった証拠だ。 『答えなくていいから聞いてトシ』 瑞樹からの無線が入る。 『私も静香もこれだけは思ってる、怪我だけはしないで…ゴールで待ってるわ』 カーブを曲がるとゴールが見えてくる。 全員が腰を上げてダンシングをする。 伸びるのが左の集団、それについて行く。 残り800m 先頭のアシストの後ろを行く内藤が見えた。 ●     ● 内藤は4km地点で後ろを確認した。 「いないな…」 120km地点で落車させた…いくら上りが多めのコースで彼がヒルクライマーだとしても、追いつくのは難しいはずだ…2週間前だって落車させている。 『こちら安部、内藤ゼッケン84、ゼッケン84が20番手あたりに居る』 後ろを見回す。 (どこだ!? どこに居る!?) 140km地点で中どころにいた、黒と赤のジャージの集団がいないのに気付いた。 (全員でアシストに行ったのか!? ワンディレースで落車した奴を!?) 全員でアシストしに行った、この行為は暗にこいつでお前に勝つっと言ってるのだ。 そして20番手付近でそいつは俺を狙ってる。 『集中しろよ、敵はあいつだけじゃない』 「うるさい! わかってる!」 現状、ゴールが狙えるチームは6チーム、アシストが3人のチームが1つ、アシストが2人のチームが2つ、3人居る自分のチームは優位だ、そのはずだ… だが、後方20人は正直誰でも一位になる可能性がある。 前で引いてるのはうちのアシストだ、残り2km問題なく引いてくれる筈だ。 (本当に大丈夫なのか?) 不安が襲う、見えない敵が後ろから来てる。 だが、何度も後ろを確認する訳には行かない…自分の不安が露呈する事だけは避けたい。 残り1km どうする? ロングアタックするべきか!? 残り900m 全員が腰を上げ、全速で漕ぐ、50km/hは越えて集団が更に縦長になっていく。 残り500m 最後の6連複合カーブ、これを抜けると最後のストレート100mののぼりゴール。 一個目 二個目 三個目 カーブを抜けながら加速していく。 四個目 カーブと坂のせいでうまく加速が得られないのでギアを一つ落とした。 五個目 六個目 最後のカーブを4番手で抜ける。前のアシストの右に出て加速、スピードが違う、行ける、距離もある、このまま加速すれば一位で……ッ!! 耳に入る音 更に右から選手が来てる、それも速い、音が一気に迫ってきてる!! 誰だ!? 爆発的に加速してくる。 後ろは見れない でも 来てる! 横に並ぶ、黒と赤の影 その影に対し被せて進路を塞ごうとするがそれは叶わない。 ぶつかり、弾かれ、二人ともコースギリギリまで吹き飛ばされる。 横姿が見覚えがある、背中のゼッケンは 『84』 「加藤ぉおおおおおおおおッ!!」 俺とあいつ何が違う!? スピードが違う、ギアが違う、脚質が違う、筋力が違う、回転数が違う、違う、違う、違う、違い過ぎる…!! 「なんでお前がそこにいるっ!!」 2台がコースの両サイド、観客の目の前でウォールと人の壁ギリギリを抜けて加速していく。 俺はスプリンターだぞ!? お前はなんでそんなギアを踏める!! 「ふざけるなあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」 ●         ● 全開で漕いだ。 進め、進め、進め! 前に、もっと、もっと、もっともっと前前前に!! 横や後からのプレッシャー、このまま競り勝ちたい! 歯を食いしばって自転車振り、足を、ペダルを回す。 「あああああああああああああ」 横から衝撃、内藤が体を当ててくる。 「てめぇ!」 「負けられないんだよ! 加藤、お前に!」 何度も体当たりを受けて観客の柵ギリギリまで押させれた。 ブレーキをすれば避けれる…内藤は自滅だが、集団に飲み込まれ勝ちはなくなる。 どうする? 上等だ、耐えてやる。勝つためにココに居るんだ。 加藤がまた離れた、体当たりのモーション 加藤と自分の間に人影が入った。 黒と赤のジャージ、ゼッケン83 神田だ。 「いけぇ! トシ!」 思いっきり、自転車を振り、ペダルを叩きつけ、ひきつける。 『いけええええええええええええええええええ』 『行け! トシ、いけええええええええええ』 無線の叫びが背中を押す。 行け! もっと! 誰よりも早く! 願いに反して足が回らなくなってくる。 「ああああああああああああああああああ!!」 全然回らない苛立ちが声になる。 ダメだ、無理だ、もう足が回らない また、こんなところで僕は諦めるのか どれだけ走れば、どれだけトレーニングを積めば、誰にも負けないくらい強くなれるんだろうか? 後と差が開かなくなっていく。 あとどれだけ走れば僕は強くなれるのか… 誰か・・・誰か、どうか・・・どうかどうか、教えてくれないだろうか・・・ 『お願い、かってぇえええええええ、としいいいいいいいいいい!』 無線から聞こえる静香の声。 一度も僕の勝利を願わなかった彼女が、今、僕の勝利を願ってくれた。 「あたりまえだああああああああああああ!!」 負けるわけにはいかない、勝たなきゃ、勝って彼女の所に行かなきゃ行けないんだ! 「あああああああああああああああああああああ」 吼える 「くそおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」 内藤も吼えた。 これが 更に回転数を上げる。 これが、俺の もう上げまいと思ったギアを、また一つ重くする。 これが、俺の全力全開の意地だ! 「俺の……ッ! 勝ちだ!」 ラインを割る、誰よりも早く。 ハンドルから両手を離し、天を仰いだ。 空が嘘のように蒼かった。 思う。 出来ないと誰もが言った。 出来ると信じた仲間がいた。 痛かった 辛かった だが、諦めなかった 諦めたくなかった 50km/hで自転車から放り出された時に諦めた何かを仲間の前で諦めたくなかった あいつの前で諦めたくなかった 声は周りの声援で届かないだろうし、俺も大声が出ないが小声で言う。 「止まるな漕ぎ続けろ…理由があろうが無かろうが、自分が納得するまでいい、逃げるな」 後ろからゴールに雪崩れ込んだ選手たちが背中を叩いて行く。 「おつかれ」 「おめでとう」 だの、みんなが一言づつ残していく。 息が苦しくてしゃべれないので、笑いながら手を上げて答えていく。 乳酸の所為で足を止める事も出来ず、すぐに瑞樹と静香の横を抜けて、横にある大型駐車場に入っていく。 チームテントを見つけて、向かっていくと途中で後ろから声を掛けられた。 瑞樹だ。 小走りで近づいてきた瑞穂はそのまま、サドルと体を支えて押してくれる。 「はい、お疲れ、なんか飲む?」 手を振りいらないと伝える。 「怪我の調子は? 出血してる?」 頷く。 「傷、後で見せて、場合によってはメディカルに行くから」 頷く。 しばらくの無言 「一位おめでとう、ホントうれしい、けど、心配させないで」 「はぁ…はぁ…はぁ…ごめん」 「今回ラッキーだったわ、骨折も無いみたいだし…ホントにラッキー」 オフィシャルから1と書かれたカードを渡され、首から下げる。 サポートカーの横には車椅子に乗り換えた静香が居た。 「言って来なさい、行ってきなさい」 瑞樹が最後に一押しして、自転車が転がっていく。 (二人で話せと…) カン、カン、カンっと喧しいフリー音で静香が下を向いたまま気付く。ペダルから足を外して、足を下ろす。 「ったく…ホイール前後潰しちまったよ」 半笑いで話しかける。 「怪我…大丈夫?」 「骨は折れてないかな、いてーけど」 1の文字が入ったカードを外して静香の首に掛ける。 「次はお前の番だな」 静香は顔を上げた。 「うん、これでマラソンやめられなくなっちゃった、誰かさんのお節介で」 うんざりとした顔してから、笑顔を向けてくれた。 「おめでとう…ありがとう………格好…良かった」 言葉尻が小さくなった。 「最後の言葉が聞こえない」 恥ずかしがってるのは分かってるからあえて意地悪を言う。 「みんながよ、ゴールスプリントで歯食いしばって眉間にしわ寄せてるのがかっこいい訳ないでしょ」 必死に漕いでるのでかっこよさなんて気にしてられないのは事実だ。 「ごもっとも…」 「これ、トシのでしょ、おめでとう、頑張ったね」 首にカードを掛け直される。 「俺、一位なんだ…一位か」 やっと出来た あの時から諦めた勝利 車に背を預ける。 「出来た…出来たんだ…俺でも、一度諦めた俺でも」 静香は静かに僕の言葉を聞いてくれる。 「だから、走って欲しい、辛い事もある、苦しい事もある、それでも時間は進む、つまずいても立ち上がる時間があるから、立ち上がって欲しい」 「うん」 手を差し伸べる。 「行こう、手助けしてやる」 差し伸べた手を静香は取る。 「うん、助けて、私も助けるから、支えあおう? そっち方が楽だから、一緒に居よう」 静香の言葉に僕は目を丸くして、手を強く握った。 「ああ、一緒に居よう」 僕は彼女に強く引っ張られて、青い空の下、キスをすることになった。