葉山碧の話をしよう。五十嵐亮介が好きで好きでしょうがなかった女の子の話を。 俺と碧は幼稚園からずっと一緒だった。小学校、中学校とずっと一緒だった。思春期になれば男は女を遠ざけると言うが、俺は碧にそんな真似はしなかったし、碧も俺から離れていかなかった。そのせいか、周囲からは俺たちが付き合っていると思われていたようだった。俺はその心算だった。碧も……そうだったと思いたい。 そして高校に入学した。当然、碧も一緒だ。お互いに、自分の受験先を聞いての受験だった。素直に同じ所へ行くと言えなかった。 恥ずかしかったんだ。 お互いの気持ちは知っていた。好きだって言葉にしなくても伝わっていた。 だけど、口には出来なかった。まるで当たり前のようにそこに居てくれた人に、改めて好きだなんて言うのが、―――――恥ずかしかった。 高校に入学してから数日。彼女が何時ものように俺の部屋に来た。 部屋に来たといっても何をするわけでもない。勝手に本を読んだり、思い出したように言葉を交えるだけだった。『思い起こせば』、それは酷く得がたい時間であり空間だった。 一緒にいるだけで、優しくなれる。碧は俺にとってそういう人だった。 「おい、もう七時だぞ」 今でも覚えている。始まりはこの言葉からだ。 「え、もう?」 碧が読んでいた雑誌から顔を上げる。俺は携帯を碧に突きつけた。 「あちゃー」 碧はぺろりと舌を出した。 「ごめん、もう帰るね」 「送って行こうか?」 「んー」 細い指を唇に当てて、碧は唸った。 「いいや。直そこだし。歩いて五分程度だしね」 俺は馬鹿だった。どうしようもないほどに。 「そっか。じゃ、また明日な」 その時向けられた笑顔は四年たった今でも覚えている。 うん、と軽く頷いて。にっこりと笑った。 「またね。亮介」 碧は俺の部屋から出て行った。そして二度と、俺の元へは姿を現さなかった。 交通事故、だった。 歩いて五分の距離。そんな近くで、五十嵐亮介が好きで好きでどうしようもなかった葉山碧は…………死んだ。 自分の選択に何度も後悔する。 あの時ああしていれば。一言でも何か、彼女に言っていたら。あの自分が一番、大事にしたかった笑顔は消えることは無かっただろうか。 いや、そもそも俺と彼女が出会っていなかったら。彼女は死ぬことも無かったのかもしれない。………そんな馬鹿なことを考えて、 俺の心は今もあの時のまま、最後に彼女の笑顔を見た瞬間で止まっている。 「五十嵐っ…………五十嵐!」 浩一の声に俺ははっと顔を上げた。ゲームセンターの喧騒が耳に戻ってくる。 「どうした、ぼうっとして」 怪訝そうな顔をする浩一に俺は苦笑した。 「いや、なんでもない」 俺は軽く首を振った。 「少しのぼせたかな。熱気が凄くて」 浩一は安心したように笑った。 「はは、そうか。次はボウリングとかにするか?」 「男二人で?」 この男女両方に好かれる、俺の自慢の親友はからからと笑った。 「そりゃ、しょっぱいな。奈緒と美緒を連れてくるか、あいつ等ボウリング巧いぞ」 「お前」 俺は意識的に意地悪に笑った。 「また、妹の話か。いい加減、妹離れしたらどうだ」 浩一はけっと吐き捨てた。 「馬鹿野郎。テメエまで俺をシスコンとか言うのかよ」 浩一は俺を促してゲームセンター外に出た。喧騒が遠ざかる。 「だいたいよー、俺はシスコンじゃねーっての。分かる? 家族を大事にするのは当然であってだな」 「可愛い妹なら、尚更?」 俺が言うと、浩一は口を閉ざして僅かに頬を染めていった。 「ま、まあな」 「はははっ」 「笑うんじゃねー!」 浩一が俺の背中を叩いた。俺は笑いを止めない。浩一はまたけっと吐き捨てて、そっぽを向いた。 分かれ道に差し掛かる。浩一の家は大学方面。俺は駅方面だ。 「じゃ、またな」 「おう」 俺たちは何時ものように、別れた。俺は遠ざかる浩一の背中を何となく見ていた。 遠藤浩一。俺と碧の子供の時からの共通の友人。碧が死んだ時、俺を励ましてくれた親友。 「でかく、なったよな」 浩一の背中を見てぼそっと呟いた。碧が生きていたら、どんな女性になっていただろうか。 軽く頭を振って、歩き始めた。 碧の未来の姿を考える時、何時も結論は同じだ。綺麗になったに決まってる。 生きていれば、きっと誰よりも。 駅前。 俺はコンビニで買った弁当を手にぶら下げて家路を急いでいた。 この辺りは夜になれば、それなりに危ない場所だ。俺みたいな奴が一人で馬鹿面下げて歩いていたら、係わり合いになりたくない人種が寄ってくるだろう。 君子危うきに近寄らず。良い言葉だ。 「ね、君一人?」「ちょっとさ、そこらで飯でも食べない? あ、当然俺らの奢りだから」 俺は偶々耳に入って来たその声に反応してちらりと視線を向けた。 二人の男が一人の少女をナンパしていた。 別に珍しい光景じゃない。なのに、俺の足は止まっていた。手にぶら下げていたビニール袋が音を立てて落ちた。 「…………っ」 声にならない声。俺の失った半身。好きで好きでしょうがなかった女の子。 葉山碧がそこにいた。