; エンディング 猫耳様の変化が止まって一週間経った。 薬師院が言うには、猫の場合はおよそ2年で大人になるらしい。 猫耳という種類については何もわからないけど、 成長が止まったという解釈でいいようだ。 病気を疑ってみたり心配していただけに、とりあえず安心した。 [朝倉] 「それにしてもあれだな。大人って雰囲気じゃないよな」 さっきから見ているのだが、 猫耳様は蝶を追い掛け回して大喜びしている。 [朝倉] 「種族的なもんですかね?」 [乾] 「さあ」 隣で折りたたみ式の椅子に座って 本を読んでいる麻耶先輩に話を振ってみたが、 案の定そっけない。 ちなみに、この椅子はサイモンに持ってこさせたものだ。 有り余る筋力を実際持て余し気味なサイモンは、 昔から荷物持ちと相場が決まっているのだ。 当のサイモンはと言うと、やや遠めの所で筋トレに励んでいる。 近くでやらないところを見ると、以前先輩が [乾] 「私、筋トレ見ると貧血を起こすから」 と言ったのを未だに気にしているらしい。相変わらずバカだ。 でも実害が無いから誰も教えてやらない。[l] 友情って麗しい。 [朝倉] 「お天道様がもったいないから、そろそろ俺は昼寝します。適当に起こして下さい」 [乾] 「それは『良い頃合を見計らって起こす』のか、『ぞんざいに起こす』のかどっちよ?」 先輩流の『ぞんざいに起こす』というのがどんなものか、 ちょっと……いやかなり気になったが、 どう考えたって命の方が大切だ。 [朝倉] 「前者で頼みます」 [乾] 「了解」 悪夢以外に選択肢が無さそうだ。 ; 暗転 [朝倉] 「誰かに顔を踏みつけられる夢を見たんですが、心当たりありませんか?」 [乾] 「全然」 こちらを見ながらしれっと言っているが、足元ではもそもそと靴を履いている。 土足のまま踏まなかったのは、この俺に対するせめてもの敬意なのだろうか。 寝る前に、確かに『前者』と言ったはずなのに『後者』で起こされた気がする。 [西門] 「まったく羨ましい光景だったぞ」 バカが戻っていたらしい。 [朝倉] 「ごめん、俺ってばノーマルだから。で、猫耳様はどこ行った?」 [乾] 「上よ」 本に目を落としながら、人差し指だけを上に向けて教えてくれた。 その指の先をたどった所にある太い枝の上で、 起用に丸まって寝ている猫耳様を見つけた。 [朝倉] 「ああいうところはさすが猫だよなぁ」 [西門] 「見慣れたもんだけどな」 [朝倉] 「いまさらだけど、この状況に慣れるってのもおかしな話だよなぁ。だって猫耳だぞ?」 [西門] 「2ヶ月も見てれば慣れるってもんだ。最初お前が連れてきた時は、さすがの俺でも嘘だと思ったぞ」 ぎりぎりの常識はあるんだね。 [朝倉] 「2ヶ月か、もうそんなに経ったのか……」 [西門] 「すっかり俺色に染めちまったぜ」 [朝倉] 「髪と目の色だけな。誤解を招くような言い方はやめろな」 [乾] 「髪と目の色『だけ』ねぇ」 唐突に会話に入ってきたと思ったら、 相変わらず耳ざといというかイヤラシイというか、 わざと答えにくい問いを投げつけてくる。 [朝倉] 「せ、性格とか内面は……俺の影響が強い……と思う」 [西門] 「そうか、『心は俺のもの』か」 [乾] 「ずいぶんと、はっきり言ってくれるじゃない」 [朝倉] 「はいはい、すいませんね」 まともに相手をするだけ馬鹿を見る。 こうやって人はねじれて行くんですね。 世の無常に思いを馳せて遠い目をしていると、 世界の汚なさとは無関係の人が見えた。 [胡桃沢] 「やほー! 忠ちゃんいるー?」 [朝倉] 「いらない」 [胡桃沢] 「ヒドイッ! 忠ちゃんをいぢめないでよー。 それにちゃんと質問に答えてよー。 いないのはわかったからもういいけど」 相変わらずの素直さで安心する。我がサークルの良心は健在だ。 どうでもいいけど、奴を「ちゃん」付けで呼ばれる違和感は一生消えないと思う。 [胡桃沢] 「忠ちゃんがいないから聞くけどー[l] 猫耳ちゃんの事、どうするの? ずっと隠しておくの?」 [朝倉] 「あーどうしようね。いつまで従姉妹の子で誤魔化せるかわからないし」 いきなり深刻な話だ。 [朝倉] 「とはいっても、これといって名案は浮かばんのよ。2ヵ月考えたけど」 [西門] 「滝に打たれて修行でもして来い。 打たれ死ぬくらいの覚悟でやればきっと浮かぶ! 絶対浮かぶ!」 [乾] 「名案の代わりに朝倉の土左衛門が浮かぶかもね」 [胡桃沢] 「でもでも、そんな死に方じゃあ、かずちゃんがうかばれないよぉ」 くるみに悪気は無いだけに文句が言えない、可哀想な俺。 [朝倉] 「でもさ、バレるまではこのままで良くね? バレたらその時に考えよう」 [薬師院] 「バレるって、誰に何がバレるのだね?」 [朝倉] 「――――っ!」 唐突に話題のその人登場。モノマネ歌合戦の本人様登場よりびびった。 [薬師院] 「まあいい。ところでゴメンよハニー! 教授に捕まって3分も遅れてしまった。 許しておくれ!」 [胡桃沢] 「忠ちゃんは、私より教授が大切なんだね……」 名物が始まった。 サイモンと麻耶先輩はいつの間にか俺の近くに寄ってきて、観客を気取っている。 [薬師院] 「そんな事はないよハニー! でもうちの教授の事はキミも知っているだろう? 必要以上に敵を作らないのが正しい世渡りじゃないか!」 [胡桃沢] 「じゃああなたにとって、教授に嫌われる方が私に嫌われるよりもマイナスって事なのね!」 [薬師院] 「いいや、それは違うよ」 薬師が急にやさしい表情になる。 いよいよ来るな、と感じた観客陣(3名)は 対ショック防御体勢(心の準備とも言う)をとる。 先輩は無表情だけど。 [薬師院] 「世界の全てを敵に回しても、ボクはキミのそばにいるよ!」 くせぇ! この超絶ありきたりなクサい台詞を堂々と言えるあたりが薬師らしさだが、 何度立ち会っても背筋がムズ痒くなるのは抑えられない。 だがメインはここから。 [胡桃沢] 「忠ちゃん……それ、本気?」 [薬師院] 「本気だとも」 [胡桃沢] 「……世界を敵に回した人が近くにいたら迷惑に決まってるじゃない! 私の事を思いやってくれてるならそんな事言えるハズないわっ!」 (なるほど! そう来たかー!) 観客一同、心の声で合唱。相変わらずくるみはいい事を言う。 [薬師院] 「それは誤解――」 [胡桃沢] 「忠ちゃんの馬鹿! もう知らない!」 [薬師院] 「ま、待ってくれよハニー!」 走り去るくるみを追いかける薬師。 C級ドラマみたいな展開の、いつも通りの光景だ。 そう、何もかもいつも通り。 ちょっとしたイレギュラーなんて丸ごと飲み込んでしまう、日常という心地よい流れ。 永遠に続くなんて思ってはいないけど、 終わりの刻(とき)を迎えるまでは、あえて逆らう必要なんてないんじゃないか。 さっきは「浮かばない」なんて言ったけど、これが俺の出した答えだった。 成長が止まったからといって、状況が変わるわけでもない。 猫耳様が存在するという事にかわりは無いのだから。 それに俺自身、猫耳様からいろんな刺激を受けたし、教わったことも多い。 身体の変化が終わったこれからこそ、 終わる事のない心の成長を、 一緒にやっていけるんじゃないかとも思うのだ。 だから改めて確認する。 木の上で寝こけている本人に分かるように、 心の中で。 [朝倉] 「これからもよろしく。猫耳様」